2011年8月27日土曜日

帰れるのか帰れないのか

郡山のビッグパレットに避難してきている、いた、富岡町の人達。臨時の町役場はビッグパレット内。川内村と並んだプレハブ。

役場の職員に今年4月に採用されて若者もいます。富岡の仮設は何百戸単位で郡山市内や隣の大玉村に分散して建てられており。役場も今年中には郡山市内に仮庁舎を建設だとか。

若い職員さんたち。御苦労な日々。その数名と「慰労会」に参加させてもらいました。いろんな話が聞けました。いろんな話を聞きたがっていました。

亭主が気になっていたことの一つ。郡山に避難してきてよかったと思っているかどうか。「良くしてもらいました。本心から郡山でよかったと思っています」と。いまだ着の身着のままの人もいました。

酔うほどに本音。政治への不信。政権への不信。リーダー格の人に聞かれました。「もし、総理大臣が田中角栄だったらどうしたでしょうかね」。

強い国のリーダーシップを期待してるのか。田中政治は知らないであろう世代なのに。

いつ帰れるのか。彼らも全く見通しは持っていません。持てない。仕方ないことです。

「ふるさと」という言葉が出ました。「景色としての故郷の思い出や懐かしさはあるだろうが、あなた方は、今、自分達が立っているところで両足を踏ん張り、そこをふるさとだと思って仕事しないと」。有る意味“無責任”とも思える亭主の言葉に目を潤ませながら聞き入ってくれ、固い握手を交わしました。

「お客様からのクレーム対応で一日が終わります」。お客様。つまり町民。役場の人達の苦労が少しはわかりました。

「自分達だけで固まっていたのではダメだと思うんです。外にも目を向けないと」。住民はもとより役場の人間だって人生設計が描けない。

きのう原発3キロ圏内の一時帰宅がありました。平均4マイクロシーベルトだったとか。滞在時間2時間。みんな気にする位牌や先祖、家族の写真。火事場泥棒にやられて惨憺たる有様になっている住居。170人の人には170の「短い物語」が出来、やがて「長い物語」となって紡がれていく・・・。

「やはり帰りたい」そういう人もいれば「現状をこの目で見て、もう帰ってこられないと確信した」という人まで。

丹精込めて手入れをしていた庭の花に、まだ枯れずにいた花に持って来たペットボトルの水をあげて来たとか。生きていたペットに大量の餌をあげてくることしかできなかったと涙で語る人とか。

帰らるのか帰れないのか。

自分達の意思とは全く無関係に「政策」としてしか結論らしきものがだされないであろう人生の分岐点。道しるべの無い人生行路。

あらためて感じさせられる故郷への思い。感情。

秋風の気配が強くなってきました。さまよえる避難民。それぞれがそれぞれの思いを抱きながら過ごすきょう一日・・・。

どうしても「うつろ」にしか見えない民主党代表選。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...