八月十五日。あの八月十五日。66年前。大人と並んであの玉音放送を聴いた記憶がある。戦争が終わった。泣く声を拍手を聞いた記憶がある。
この時期になるとテレビから流れる大空襲による被害の映像。モノクロが故に、なにもかも、瓦礫さえも燃やしつくした焦土の光景が語りかけるものは大きい。
大震災。瓦礫の山は残されたままのところが多いが、あの廃墟をカラー映像ではなく、モノクロ映像に反転させたら重なる光景も多いかも。津波の被災地も焦土なのだ。
「災」という字で表現される共通点。人々が支え合って生きてきたという部分でも。
戦争は人災である。なぜ日本は戦争を選んだのか。天皇の意向を無視してまでも戦争に突き進んだ軍部。その組織の危うさ、脆さ。省益優先、真の国家的リーダー不在。統帥権を無視してまでも、国体護持を言い募ったあの時の「偉い人」。それぞれにそれぞれの言い分はあるにしても。
震災。もとは確かに天災である。それを防ぎえなかった人災の部分も大きい。まして、その後の被害の拡大、いまだ進まぬ復興への道、被災者対策。
そこにあるのは戦後出来あがった役所も含め、役人の、官僚の省益優先の思想。リーダー不在だったこの国。
嘘ではありません。あの3・11の時、これからどうする、どうなると思った時、菅の顔が浮かび、あ、もう駄目だと直感した。そしてそれは当たっていた。
66年前も首相は行くたびかころころ替っていた。替えさせられていた。菅は居座るが、どことなく同じ総理官邸を取り巻く光景。
原発も人災である。それは人間の欲望がもたらしたもの。いろんな意味での欲望。物質欲だけではなく、政治欲も。しかし、それで人を殺そうとは思っていなかったはず。結果そうなろうとも。
原爆。それは人が人を殺すために作られ、その投下を命じ、それに従いボタンを押した人。結果は十分わかっていたのに。
共通する「原」の字をなんと読み解く。
兵器こそ使われていないものの、被災地は戦場だと思う。原発事故の現場では、いまだ見えざる敵との戦争が続いている。核の暴走を止めるための外交交渉も、玉音放送もそこには存在しない。
66年の時空を超えて人間は「生きる」ということをあらためて考えている。
朝日歌壇の寄せられていた一句。
「“生”という文字の中に牛がいて牛が地に立ち生きぬとありぬ」。福島市の人の作。
原発20キロ圏内。いまだ痩せこけた牛が草を食み、生きようと動きまわっている。
「戦争と原発を合わせ語る夏」。俳壇にあった一句。
2011年8月15日月曜日
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