2011年8月25日木曜日

5万人が消えた地

大震災、原発爆発、放射能汚染・・・。ほとんで何も解決していない。
そして福島県からは5万人の人が消えた。消えたというのは失礼かもしれない。避難、疎開と言うべきだろうが。
とにかく福島県の住民であった人たち。過去形でかたらねばならない人たち。
津波で家を無くして県外に出た人もいるだろう。高線量で避難を強要され県外に出た人もいるだろう。
でも、多くは「被曝」をおそれての避難、疎開。「こんな汚い空気の中に住めると思ってんの」。そんな言葉を吐きつけ海外に行った生粋の郡山人。繁華街を闊歩していた男。別に責める気は更々ありませんが。その人それぞれの価値観、生き方。

200万人の人口だった福島県。そこから5万人がいなくなる。人が集まるところに街は栄え、人が居なくなった街は衰退の一歩をたどる。

経済活動は滞り、消費も減少し、明日の担い手もいなくなる。やがて日本一の貧乏県、過疎の県になるかも。

今日から大部分の小中学校は新学期。小中学生は1万4千人居なくなったという。学校一つをとれば約50人の減とか。

久々にあった友達と子供たちは何を話すのか。学校で語れる「夏休みの思い出」は何を語るのか。

おおかたの子は言う。「表で遊べなかったし、プールにも行けなかったのでつまらなかった」。そう語る子供たちの胸にはガラスバッジと称する積算放射能測定器具。ガラスバッジにしか頼れない親。

校庭で遊べない、走り回れない。そんな子供たちに健康面で、精神面でどんあ影響がでるのか。確実に素人の亭主でも言える。発育に大きな影響あると。もしかしたら“汚染”による影響の比ではないような。

「子供は社会が育てるもの」。民主党のマニフェストなるもの、まやかしの公約にはそう書かれていた。そして何万円もの子ども手当を配るとした。その子供たちが“放置”されているような。
すでにしてメディアの目下の最大の関心事は政局。そして島田紳助のヤクザとの交流。紙面の多数は政局割かれ、テレビは紳助話にうつつを抜かす。

なぜか「救世主はあなただ」といわんばかりに小沢一郎をキーパーソンと位置づけ、小沢史観を再燃させる朝日新聞。そして笑えた。社説に紳助が登場。「紳助さん引退―どうみてもアウトだ」。

今、苦しみ悩む人たちを思い、主張すべき、論陣を張るべきことは多々ありと思うのに。

どっかにだれかが書いていた。「やはり日本は何も変わっていないのだ」と。

“弱者”である子供たちは政権獲得のための道具に使われ、今や、ある意味、見捨てられようとしている。

朝日新聞は「最後まで仕事をあきらめない」と菅を持ち上げる。図に乗った菅は毎夜慰労会と称する宴会へ。自慢話にでもふけっているのか。

新学期を前にして、たまたま“当選”した遠くの県の子供キャンプ。「学校で友達とも会いたいけど、休んで遊んでくる」。近所の子供がそう言ってきた。小学校の兄妹二人だけでバスに乗って。「そうか・・・行っておいで。思いっきり遊んでおいで」。そうとしか声をかけられなかった亭主。

宿題をやってこなかった。先生に怒られる。それだけが気がかりだったずっと昔の亭主の始業式。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...