2011年8月8日月曜日

魂を受け入れない仏都

京都五山の送り火。仏都京都ならではの精霊の伝統行事。祇園祭に次ぐ鎮魂の祭りである。

祭りとは決して「お祝いごと」ではない。「ケとハレ」の民俗文化に由来する死者を弔い意味がある。祭祀という言葉にも葬祭という言葉にも祭りという字が入っている。

だから祭りは神聖なものとされ、人々は祭りに様々な思いを託す。

五山の送り火に岩手県陸前高田の津波から「生き残った」松で薪を作り、その薪に被災者が鎮魂のメッセージを書いて燃やそうという計画があった。
発案したのは大分県の美術家。京都の「保存会」もそれに乗った。

陸前高田で薪を集めている人たちは喜んだ。肉親や友人を亡くした人たちに呼び掛け、薪一本、一本にフェルトペンで祈りを込めて鎮魂のメッセージを書いた。400本。

ところがこれに反対の声が上がった。陸前高田の薪を燃やしたら放射能汚染が京都や琵琶湖に広がると。市や保存会に。電話やメールで。
念のためということで薪の線量測る。もちろん問題無し。しかし「反対」の声収まらずだったとか。

保存会はやむおえず計画を撤回。保存会会長は頭を丸めて陸前高田に謝罪に行ったという。薪に書かれた400のメッセージは護摩木に書き写して送り火に使うという。

ふるさとの松に、生き残った松に、遺族が思いを託して書いた自筆だから意味がある。自筆だからこそ死者のもとへ届く。

反対運動。だれがやっているのか。京都市民でないことを願う。京都市民なら送り火の意味を知る敬虔な仏教徒であるはずだから。

なにやらどこにでも出てくるなんとか運動を生きがいにしている人たちの影を感じる。
そんなに心配ならば、京都にいるでしょ。放射能危機を声高に言う有名な学者さんが。その人のところに薪を持って行って調べてもらいなさいよ。仮に汚染されていたとして400本の薪がどれくらいの放射性物質をまき散らすのか調べてもらいなさいよ。

京都には原発避難民がかなりの数身を寄せているという。温かく迎え入れてもらっていると聞く。

もし京都府民の「心の汚染」が広がっているのだとしたら、もうこの国の人たちは・・・・。

そしてもう一つの疑問。この“騒動”について京都の「お寺さん」たちが何も言わないこと。

劫火の中に身を置いて衆生の安寧を願った僧も歴史の中ではいたはずなのに。

大本山も含めて大震災の法要は行われている。しかし、生者に対しての宗教者からの言葉が聞けない。過日も真言宗の僧に問うたけれど。宗教者からの発信が無いと。定かな答えは返ってこなかった。

この大震災、原発事故。

現代に宗教を問う。語る言葉が無いのか。限界を悟ったのか。いかなる事態になろうとも人は宗教に救いを求めるものなのだけど。

京都は観光の地であり、こころの平安を求める仏都ではなくなったのかも。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...