2011年8月22日月曜日

"暫定”に支配される国

「放射性セシュウム検出」。連日新聞、テレビはなんとなく大仰に伝える。最近では米、収穫予定の田んぼの稲穂、栃木県の鉾田市。堆肥は岐阜県。栃木の腐葉土。堺のプールの脇の落ち葉。

もはや“汚染列島”。セシュウムというだけで大騒ぎの神経過敏な国。そしてメディアは言う。専門家によると健康に影響は無い・・・。しかし、もはやだれもその付け足しのようなコメントを信用しなくなってしまった。

国の定めた暫定基準値を上回った。下回っている・・・。なんとかベクレル。なんとかマイクロシーベルト。

数字に振り回される日々。

いつまで経っても判断の基準になっているのかなっていないのか。数字は「暫定」のまま。

暫定。本式に決定せず、しばらくそれで定めること。臨時の措置と辞書にはある。たとえばICRPでもどこでも。まさに押取刀で決めた暫定基準値。それがすべての基準。

危険なのか危険でないのか。誰も明言せず。出来ない。健康に影響無し。じゃ、健康ってなんだい。「暫定」以上に漠然とした言葉。

食品安全基準。あるにはあるが放射性物質に対しては無いに等しい。こよなく食の安全を求めてきたこの国。いや先進各国。

何を基準に安全と言うかわからないけど添加物だらけの食品って健康に影響ないの。あるでしょ。だから有機栽培なんてのがブームになった。

何万人、いや、何十万人という飢えたソマリアの子供たち。食べるものが無い。全くない。骨だらけの肉体。日々餓死する子供たち。

暫定基準を上回ったとか言えば直ちにそれを破棄、唾棄、拒絶する飽食の国の人たちはソマリアの子供たちをどう見るか。所詮は他人事なのか。極端な対比ですが。

いつになったら本式の基準値が出来るのだろう。このままずっと暫定がまかり通るのか。

「検出」された放射性物質。すべてが福島発なのか。汚染マップだけでは正解はないような。もともと自然界にあった放射性物質、計っていたのか。計ってませんよ。稲や堆肥までは。大気のモニタリングポストだけ。

検査体制が不十分だという。当然です。だから、今、国のやる仕事は検査体制の大幅拡充、充実。人を投入、機材投入。先決問題。

そして早く本式の基準決めなさい。専門家さんたちよ。テレビでムニャムニャ言ってないで。そして安全か危険なのかその境界をはっきりさせなさいよ。

リスク、リスク。リスクと危険とな違う。リスクとはあくまでも恐れ。

そして、政治もこれまた暫定に向かっての政局ごっこ。来年の民主党大会までの暫定政権選び。誰れがなるにしても、その暫定政権に身を任さなくてはならない国民や哀れと。

人の一生も暫定かい。人生は一回限りの筈。

地獄は一定すみかぞかし。歎異抄にはそう書かれている。一定(いちじょう)、それはしかと決まったことを言う。確実なことを言う。定めを言う。そう。人生には一定はあっても暫定はないはずなのに。

曖昧な、どれだけの意味があるのかさっぱりわからん“暫定”に縛られて右往左往する人や哀れと。
暫定があるが故に、地獄を一定の栖と心得ざるを得なくなる人ありて。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...