2015年6月30日火曜日

「異常」の中での困惑

事件というものは常に異常ではあるのだけれど・・・

東海道新幹線の中で乗客の男が液体をまいて、自分もかぶってライターで火をつけて“自殺”した。もう一人女性も亡くなったという。
巻き添えを食ったような客も重症者や軽症者が出たと言う。

異常な事件だ。新幹線と言う公共交通機関の中での焼身行為。

事件の詳細はもちろんわからない。その男が何者であり、動機が何だったのかわからない。

昨日、「焼身」のことを書いた。動機や目的が何であろうと、このニュースに接した心境は余りにも複雑だ。推測は出来ないが、この未曽有の事件に暗澹たるおもいがする。

世界一安全な新幹線の中での事件。今後、航空機と同じように新幹線など公共交通機関でも「手荷物検査」などが実施されることにもなりかねない。

今想像できるにはこんなことだけだ。

とにかく今日あった異常な事件。

箱根では噴火があり、レベルは3に引き上げられた。想定内とは言え、自然の異常現象は続く。いや本来は以上では無い自然現象なのだろうが。

事件があれば、かならず市民生活に影響を及ぼす。

1Fの現場では2号機で一時間あたり1,000μ㏜を超える放射線が測定された。まさに異常ともいえる数値。東電では原因不明といい、詳しく調査するといい、今後の作業には影響が無いという。高線量が検出された場所は無人ロボットを投入する「入り口」だったというのに。その“配電盤”は人の手を仮りねば開けられないところだというのに。

除染を進める。その一言だけのような東電。

1Fは未だもって「異常事態」の中であるということを再認識する。

ギリシャでは「デフォルト問題」が起きている。ギリシャの金融事情はまさに異常だ。
当然その影響は日本にも及んでくるはず。EU全体の問題でもあろうし、対処を誤れば世界的金融恐慌にも及びかねない。

人為であろうが自然現象であろうが「異常」をどう考えるかということ。

これらの異常の中で頭の中には困惑だけが広がる。

永田町の中で交わされる「暴言問題」だって、異常なのだ。

福島の地にあって、一つだけ以上では無い「正常」な判断が示された。

原発事故による避難で、その苦痛、ストレス、うつ病を発症して事故後4か月して自殺した浪江の男性。その遺族が起こした損害賠償訴訟。

福島地裁は訴えを認め、東電に2,700万円の損害賠償を命じた。

これで2件目の賠償認定。

遺族は言う。「東電の幹部に家に来てもらって仏壇の前で頭を下げて謝罪してほしい」と。

東電が賠償に要する費用は7兆円を超えたという。さらなる「借入れ」を要請しているとも言われる。

賠償だけでも7兆円のかかるという原発。

日本だってとっくに「債務超過」の国なのだ。財政赤字の国なのだ。
担当大臣はギリシャのことを問われても、マフィアのようないでたちで、答えをはぐらかしている。

異常気象、異常気候は農作物の収穫にもダメージを与えている。

異常、異常・・・。その困惑の中に立ちすくむということ。

2015年6月29日月曜日

「2014・6・29」、「2014・11・11」

去年の今日、6月29日。新宿駅南口の歩道橋の上で一人の男が身体にガソリンをまいて焼身自殺をはかった。
集団的自衛権反対を訴えて。

多くの人からの記憶から失われている事件だ。

事件発生時はツイッターなどを通じて現場の様子が流され、混乱した街の様子が伝えられた。
男は安倍政権への抗議文を読み上げ、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」の詩を読み、自ら火を付けたという。

死には至らなかったらしい。病院に搬送された。「警察では回復を待って事情を聞く」と新聞には書かれていた。

しかし、結局「続報」には接していない。何処の誰で、どんな経歴のある人で、その後どうなったかも含めて。

知り得たのは「そんな事件があった」ということだけだ。

マスコミには「自殺報道」に対しての倫理綱領のような、不文律のようなものがある。
「模倣犯が出る可能性があるから」として報道を抑制するという倫理観だ。

著名な芸能人が自殺した時、「後追い」のような人が出たからだという。

彼が「正気」であり、「確信犯」であったのなら、“その後”は伝えられるべきだったと思う。
取材しなかったのか、警察がそれ以上の発表をしなかったからか。

なぜフリージャーナリストという人達が追わなかったのか。なぜルポライターがそれを書きつづらなかったのか。

今、政治の場での集団的自衛権をめぐる論議について各マスコミは報道に必死だ。今を伝えることだけで手一杯なのだろうか。

模倣犯が出るということを避けるとはどういう事なのか。
生命を第一義とするということか。世間を騒がせないということが第一義なのか。それとも・・・。極力「伏せたい」ということなのか。

それは模倣犯であったのかもしれない。去年の11月11日の夕方、東京の日比谷公園でやはり一人の男が焼身自殺を図った。


 “集団的自衛権容認に基づく安保法制の立法準備及びガイドライン再改定などを即刻やめよ”“《沖縄の辺野古・高江の基地建設を今すぐ中止を》。
そんなメッセージを携えていた。遺書だ。衆参両院議長と安倍首相に宛てた。
「新田進」とペンネームを記していた。 そのペンネームからこの人の像が垣間見えた。

 都内に住む60代。数年前まで裁判所に勤めていた。そのかたわら、ペンネームで様々な活動をしていた。その一つが映画作りだった。
 1995年に沖縄で起きた少女暴行事件の抗議集会に行き、「軍隊のない、悲劇のない、平和な島をかえして」と訴える声をカメラでとらえていたという。原発や憲法について考える市民団体にも加わっていたという。

そんな「死」があったことをどれくらいの人が記憶しているだろう。
今、高まりを見せる抗議集会やデモ。国会前だけではなく渋谷にも全国にも及ぶ。
老いも若きも参加している。

それを知っていたら彼らの「選択」はどうだったのだろうか・・・。

政治の場では「リスク」というあやふやな言い回しで、“想定内”の自衛隊員の死の事が語られている。
70年前にあった多くの死の事実、体験はどこか「他人事」のように語られる。
「死の現場」から戦争が語られてはいないようにも思える。

一人一人の死。その視点から語られることでもあるはずなのに。
それは「3・11」にも、原発事故に関しても共通する視点だ。

伝えれる死もあれば、伝えられない死もある。一人の人の行為が世の中を動かすこともある。無関係な時もある。

「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。眠らせてくれないかい」。そんなネロの声が聞こえてきそうな・・・。

2015年6月28日日曜日

野党は“野党”であるべきなのであり

ドッコウショと掛け声をかけながら広辞苑を書棚から引っ張り出してくる。とにかく重いのだけど。

試に「野(や)」という字をひく。

のはら、人の手が加わっていないこと、自然のまま、官途につかないこと、民間、ありのまま、洗練されていないこと、いやしいこと、なじみ従わないこと。等とある。

野党という項に飛ぶ。政党政治において、現在、政権にあずかっていない政党、在野の党とある。前に戻ると野に下る、という項があり、官途を退いて民間の生活に入る、下野する。とある。

この字解をもってすれば「あずかる」政党だから、あずかるという語は与ると書くのだから与党ということになるのだろう。

小学校の国語の時間ではないのだからなんとも妄語を書いているとも思われようが、与党の中であった“妄言”を“看過(谷垣が使ったからだけど)”出来なくて。

夏を挟んで延々と続く国会。与党のざまざまな妄言や暴言を、そして本丸の安保法制について野党はとにかく徹底的に、お題目ではなく、満腔の怒りをもって追及すべきだ。まずは沖縄に対するあの暴言、狂言、無知な発言を。

安倍の意を受けての自民党議員の発言や振る舞い。看過できないのは我々だ。看過できないとして処分を出したというのは本心で看過できないとしたわけではない。世間体を取り繕っただけ。
彼らは本音を言い、安倍はそれを代弁者と見ているに過ぎない。

居酒屋談義だとかわそうとする。居酒屋に行ってごらん。若者が集まる居酒屋。そこでの「居酒屋談義」は、今や全くと言っていいくらい様相を異にしている。
多くが戦争について、安倍政治について語っている。

居酒屋談義なんていう言い方は「居酒屋」をバカにしている。舐めている。そこは小皿叩いてチャンチキオケサの世界では無くなったのだ。会社の愚痴をいう場所でも、バカ話をする場所でも無くなったのだ。

「街場の政治論」が交わされる場所になったのだ。

野党論について言う。とにかく徹底的に勉強してほしい。憲法学者の言うことを聞いていればこの国は潰れるだとか、憲法よりも政権の考えが優先するなどとほざいている人たちがのさばる与党。
論破はいかようにでも出来る。安倍はかわし、逃げるだろう。しかし、議論の持って行き方、質問の仕方では逃げられないような論理の組み立ては出来るはずだ。
今、政党間で野党が再編どうのこうのとは言わない。ただ政党が違っていても、前の質問者が時間切れで終わって消化不良の問題。それを次に質問する党が「引き継いで」いけばいい。自党の主張を述べることに拘るのではなく。

ポツダム宣言のやりとり。つまびらかにしていないという答弁。あれで終わらせている。維新の党が内閣に質問趣意書を出した。閣議決定された答弁書が国会に出された。そこには「安倍はポツダム宣言を十分知っている」と書かれていた。
知っていると言って来たのだから、それをもとにあの論議をやり直すべきだ。あの宣言の内容をどう捉えているか、考えているかは安保法制論議や改憲論議の入り口にもなりうるのだから。

野党は自党のメンツを捨てて、論戦の中では共闘すればいいのだ。

野党はあくまでも野党であるべきだ。政権交代なんて見果てぬ夢を追うのではなく、野党の存在を知らしめることが大事なのだ。

マスコミだって野党であるべきだ。決して政権に与するものであってはならない。いつの世でもマスコミは在野の精神で事にのぞむべきであり、批判勢力でなければならない。是々非々なんて言い逃れをすべきではない。

批判勢力があるからこそ、まともな国が存在できるのだ。

オール与党になったら・・・。多くが政権に与したら・・・。その結末はすでに歴史が証明していることのはずだが。

だから、在野の人間として、万年野党を貫くつもりだ。これまでもそうしてきたように、これからも。
妄言を論じる妄語にて。

2015年6月27日土曜日

自民党よ、どこまで墜ちるのか


自民党内の“チンピラ”代議士が、党内の会合で言った。

気に食わない民放の番組がある、広告主に言って提供をやめさせろ。
知った風なことを言うぜ。

もう、この類の安倍をはじめとした無知蒙昧な奴らのことにいちいちかまってはいられないのだが。
沖縄の地方紙二紙を潰せと言った「百田発言」も合わせて、まさにこれは自民党の劣化の象徴だと思うから言っておく。

「お前らバカかよ」と。

民放の広告、それは放送局と直接交わされる契約では無い。間に広告代理店が入っている。
彼らの念頭にある民放の番組。大方はどれを指しているのか想像がつく。

TBSとテレビ朝日の報道ステーションなのだろう。
報道ステーションは電通一社が買い切っている。広告主は電通の“選別”に任されている。ローカル差し替えの部分を除いては。

電通はすでにして局に“圧力”をかけているはずだ。それは参与としている怪僧ラスプーチンのような奴の差配で。

NHKはすでにして、百田、籾井ラインで報道を骨抜きにした。かろうじて頑張っている番組はあっても、夜7時、9時のニュースは完全に政府広報だ。
民放だって多少の意識はしている。“自粛傾向”は顕著だ。

それは出来るはずの無いことだが、菅が電波法をちらつかせ、免許更新しないと言ってからというものの在り様。

百田発言こそ許せない。沖縄に対する認識がまったく間違っている。いや、間違っているというより沖縄県民の尊厳を無視している。
なぜ、沖縄の県紙二紙が安倍政権を批判しつづけるのか。
県民の意思を代弁しているからだ。

民放労連と新聞労連は抗議の声明を出した。民放連、新聞協会は沈黙の中にいる。当然だ。多くの経営者がすでに安倍に「毒饅頭」を食わされているからだ。

首相になるちょっと前、田中角栄は言った。朝か夜の目白での懇談の席で。
「君たちはなにかというと我々を批判する。どんどんやれ。それが君たちの商売なんだから。仕事なんだから。だから、我々はそれに負けない政治をやる。それが商売であり、仕事なんだから。両方があって世の中はうまく行くんだ」。

この角栄の言葉を今の自民党の政治家たちに贈りたい。まして、田中派の系譜につながる議員たちに。

昨夜の朝まで生テレビを自公の議員は「ドタキャン」した。その日の事が話題になるのは必定。それに対応する思考も言葉も持っていないからだろう。

逃げたのだ。

安倍も国会で言う。「報道については知りません」と。委員長がその事実があったと言うと、なにやら当たり障りの無い答弁。ポツダム宣言をつまびらかにしないに続いての知らぬ存ぜぬ答えらぬの「逃げの政治」。

自民党は会を主催した青年局長を更迭するとか。それは責任を取らせるものでは無い。国会審議に影響が出るのを恐れたための小手先細工だ。

なんかすべてが「安倍官邸が書いた筋書通り」に見える。

自民党は堕落する一方だ。

しかし、そんな議員を、まさに「アベチルドレン」の如き議員を誕生させたのは選挙民だ。
そして何があろうとも絶対的安倍信者という人たちもゴロゴロいる。

気に食わないものは叩き潰せ。これが安倍の信条であり、本音なのだ。と拝察申し上げる。気に食わない奴は仲間外れにすると言うあの最悪のガキ大将思考。

そんな「次元」で捉えるのが一番わかりやすいのでは。

百田の暴言は沖縄県民を侮辱するものもある。とてもじゃないが見過ごすわけにはいかない。彼の発言はエスカレートしている。ほんとは潰れて欲しいのは朝日、毎日、東京新聞だと。

名指しされた各紙、脅された民放。ひるむなよ。こんなチンピラどもに。裏で安倍官邸がどんな糸を引いていようとも。

そして、大西英男の選挙区、東京16区。井上貴博の福岡1区、長尾敬衆の比例近畿ブロック。そこの選挙民はどう受け止めているのだろうか。落とすしかないと思うけど。

もはや言論の自由とか民主主義がどうだとか言う以前の問題。

またも嫌な週末を迎えていると言うこと。

2015年6月26日金曜日

「高株価」と「高齢者」と

なけなしの金を持って固定資産税の滞納分を払ってきた。その“余韻”かな、
そんなぼやき節。

株高 投資マネー膨張。30代トレーダー2億円の利益。60代 売却益で定年後の新居。

昨日の新聞に、昨今の新聞にも踊る見出しだ。

株価は高騰している。日経平均2万円を上回る。ITバブルの再来だと書く。アベノミクス長者だとも書く。

奇妙な幻想に捉われる。日本中が金持ちになっているというような“錯覚”に陥る。そして自らの「落ちこぼれ感」にさいなまれる。

株は持っていない。興味も無い。相場に興味も無いし、もともと株を買う資金も無い。

「株で儲けた」という友人の話を時々聞くことがある。それとても「他人事」だ。

株価の動きを伝えるテレビのニュースでは、兜町にいる高齢者の姿が度々映る。
儲かった、儲かったという嬉々たる表情の人。

高齢者は金持ちだと言われている。その資金を云々という論評もよく聞く。
他人様の懐のことはわからないが、れっきとした高齢者の一人である僕は「カネが無い」。

基本的には年金暮らしだ。“ベースロード電源(笑)”。
その年金は比較的高額なのだとされてはいるが。介護保険料などを差し引いて手取り月約20万円。
年金暮らし、これって8割方の高齢者の姿ではないだろうか。
大金持ちや株で儲ける人は残りの2割あるかないかでは。

株価高騰の「明るいニュース」が報じられる面を繰ると介護保険料を払えない高齢者が増えている。未収が270億円以上だと書かれている。
保険料滞納者にはペナルティーがかかると書いてある。

どっちも社会の「実相」だ。そのはざまで僕は戸惑う。

株主総会時だ。数億円の報酬とか退職金の話しがニュースを賑わす。画空ごとだ。

10年程前、ある会社でこんなことを話しあった。「会社って誰のものですか」と。

社長のもの、社員のもの、株主のもの、社会のもの。

全員の答えは社会のものだった。

昨日は電力各社の株主総会だった。
再稼働反対を訴える株主提案はことごとく否決された。

会社が「株主」と“認定”しているのは、会社提案に賛成する人達。もちろん個人投資家だけではないが。

つまり株価が上がることを期待している人達。その場の雰囲気は「会社は株主のもの」にすら見えたということ。

日本創成会議では「高齢者の地方移住」が目玉政策とされている。甚だしく疑問だ。

どこか原発避難者の話と重なる。

高齢になって移住するという事。まったく違う環境に身を置くということ。
もはや基本的には「生産人口」ではない高齢者を受け入れた自治体はどうなるのか。どうするのか。そして本人たちは。
それが“地方創生”に寄与することなのか。

高齢になって見知らぬ土地に住み、そこに馴染めるのか。車を運転できなくなった人はどう日常を送ればいいのか。
少なくとも馴染めない環境は高齢者にとって居心地のいいものでは決して無いはず。

言葉は悪いが「高齢者という“棄民”」だとも思える。

株には興味は無いし、それに手を出せる才覚も無い。株価の動向は経済指標の一つとしての関心はあるが。

なんでかきょうはぼやき節なんだ。
体が老化を訴えているからか。老いとは「肉体の問題」と「カネの問題」との対峙と葛藤だとの思い。

でも・・・。

思考だけは貧困になるなよな。金持ちをやっかむなよな。
「倚りかからず」なんだよな。くよくよするな「馬鹿者よ」、なんだよな。

2015年6月25日木曜日

「聞いて、見て、知る」ということ

昨夜ある集まりのあと、友人数人と二次会に行った。
一人の友人が話し始めた。彼は成蹊大学の卒業生、母校愛に燃えている。
「あの学校っていい学校なんですよ。学園紛争とも無縁だったし。
でも、先輩のあに人は変ですね」」と切り出した。

酒が入ると彼は饒舌になる。

「僕は考えたんですけど、あの人の言っている集団的自衛権って、全部個別的自衛権の範囲内のことじゃないですか。無理があるんですよね。
去年、沖縄に行ったって言ったでしょ。家内も一緒だったんですよ。
空港から那覇市内までタクシーに乗ったんですが、その運転手さんは50年仕事をやっているそうで、子供の頃に沖縄戦を体験しているということで。
その運譚手さんの話を聞いていて家内は泣きだしてね」。

奥さんと相談して沖縄滞在の行程に戦跡やひめ百合の塔や、基地を見ることを組み込んだという。

知らなかった沖縄を聞いて、見て、知ったという。

もう一人の友人は母親の立場で話し始めた。濠の中で口をふさがれて窒息死した幼子の事などを。知っている範囲で。
そして言う。
「今頃だけなんですよね。沖縄の事をマスコミが熱心に伝えるのは。いつもは完全に無視しているみたい。常に伝えて欲しいな」と。

短い時間だったが、知っている限りの沖縄戦の実態や、米軍基地の話し。日米安保の話し、そして地位協定の話をした。

山梨や岐阜には海兵隊の基地があった。住民の反対運動でそれを無くした。
でも、その基地は無くなったのではなく沖縄に持って行かれたんだと。
戦後、日本中に米軍基地があった。規模はともかく福島にだって基地があった。

東京近郊だって、それこそ砂川事件の舞台の立川基地や今もある横田基地。朝霞、横須賀、多摩。戦争に負けた国は敵の基地だらけだったのだとも。
それらの多くは旧日本軍の部隊や訓練所があったところだったとも。

敗戦国であるイタリヤやドイツでも米軍基地はあるけれども、その地の「主権」はその国が持っているんだということも。地位協定のことに絡めて。

「僕はれっきとした自民党員なんですけれど、今回の国会でやりとりされていることはやはりおかしいと思うんです」と冒頭の彼。
「あの先輩を除いてはいい学校なんだけどな・・・」と繰り返す彼・・・。
「もう一回沖縄に行きたいな」とも。

23日の「沖縄の日」。那覇には多くの観光客がいた。
「観光で来ているんで、戦争に関係するところには行きません」と若いカップルが言っていた。

観光って何だろう・・・。

原発事故後、「ダークツーリズム」という言葉が一部の思想家や識者から言われたことがある。

「原発事故地観光化計画」と呼ぶのだそうだ。その「ダーク」というカタカナ語に抵抗を覚えた。観光と言う言葉の響きにも違和感があった。

//ダークツーリズムとは戦争や災害の跡といった人類の負の遺産を巡り、死者に追悼の意をささげ、現地の悲しみを共有する新しい観光のスタイルです。90年代後半に提唱されました。議論の発祥地の欧州では、既に旅行会社もツアー名に取り込むなどマーケティングとしても一般化しています。その代表地としてアウシュビッツ強制収容所があり、チェルノブイリがあります。
「観光」という言葉にレジャーを想起する人も多いと思いますが、広島と福島、あるいはチェルノブイリを巡ることで、戦争や事故の記憶、被ばく者、被災者の気持ちを受け止め、科学と社会の負の側面に思いをはせることができます。入り口は興味本位の人もいるかもしれませんが、帰る時には何かを受け取っていく旅を作ることが大事なのです//。

提唱者の一人が語っていた言葉だ。

その人の文脈の中には、言葉の中には沖縄は例示としては入っていなかった。

福島から沖縄を考えるということ。

成蹊大卒の彼も「風評被害」なるものを蒙った人の一人だ。自分の立場を越えて沖縄に心を寄せた彼。酔うと饒舌になる彼。でも、そんな友人がいてくれたことがことに感謝する。

酒を飲むのも悪くはないなとも。本音が出てくるのだから。

2015年6月24日水曜日

「安倍首相“の”談話」ということ

つまり、この人は、結局、政治を私物化しているということでなないだろうか。そんな気がしてならないのだ。

昨日の沖縄、安倍にとっては真に居心地の悪い数時間ではなかったのだろうか。
戦没者追悼式。翁長の平和宣言には歓迎の拍手が沸いていた。
安倍の来賓祝辞。翁長にすでに先制攻撃をされている受け身の立場での挨拶。
内容は空虚であり、場違いなものであったと思う。

野次が飛ばされていた。これはよくない。例え会場にいた人にとって、翁長県政になってからの軋轢はあるとしても、とにかく話は聞くべきなのだ。野次でかき消すのはかえって禍根をのこすことにもなりかねない。

きっと安倍は“屈辱感”すら覚えて帰京。居心地の悪さと屈辱感は、これからの沖縄政策にとって大いに影響するだろう。

県民の気持ちをくみ取ってはこなかったはずだ。翁長との会談も、戦跡の視察もなかったとんぼ帰り。
「公務があるため」と御側用人は言っていたけど、新聞にある首相動静の中にはそれは見当たらない。

ならば初めから行かなかった方がよかったのかもしれないとも。それはそれで非難されることではあっても。

国会は在り得ないような、まさに国会法を無視した“違法”のような大幅会期延長。
安保法制の国会審議中に出すことになった「談話」。
その談話は閣議決定された首相談話ではなく、閣議にはからない首相の談話とすると言われる。

戦後レジュームからの脱却を言う「最高の舞台」だったはずの8月15日を挟んでの首相としての「悲願」。

おそらく国会審議に、もう一つの悲願の解釈改憲、安保法制案件を通すために、そのために選んだ「方法論」。

村山にしても小泉にしてもその談話は閣議決定している。政府としての公式見解。
公明党の動きを視野に入れてか、国際社会を意識してか、「私的談話」で収めようとする術策。

誰が描いた戦術か、悪知恵かはわからないが、まさにまずは国会ありきの「足して二で割る」方式じゃないの。

談話を出したいという安倍の顔も立て、公明党などの協力を得て法案成立を図ろうとする”苦肉の策“。

安倍首相談話と安倍首相“の”談話とでは雲泥の差だ。

たった「の」という助詞一つで、そのことの重さ大きさが変わるということ。

なんでもいい。「談話」を出して自己陶酔に浸るという事か。

「とかく学者は字句に拘る」って言った党幹部がいたけど、安保法制の立役者がいたけど、この一つの字句も意味は大きいのだぜ。

かって石原慎太郎が言っていた。憲法前文について。それは日本語では無いとして、「せめて、“諸国民の公正と信義に信頼して”の「に」を「を」に変えろと言っていたこと。それを変えてその文脈をどう読み取るのかはさっぱりわからなかったが。

安倍の政治手法。それは機を見るに敏とういうか、ご都合主義とういうか。
常に自分がその中心にいて、事を思い通りに運びたいということか。

私的な談話に何が盛り込まれるのかはわからない。彼が自ら書くのか、誰かが代筆するのかも。

それに国際社会がどういう反応を示すのか。内容次第の部分はあるが、私的な「つぶやき」である以上、なんらの効力も持たないことになるはず。

だから、かって観たことがある映画。感動の名作。その題名を彼に贈る。その映画のタイトル。「存在の耐えられない軽さ」。


「アンダーコントロール」も私的見解だったということかな。

2015年6月23日火曜日

「今は平和でしょうか・・・」

今日6月23日は沖縄慰霊の日。沖縄での戦闘が事実上終わった日だ。70年前。

記念式典は正午前からだという。NHKをつけた。式典の模様が“中継”されたのは定時ニュースが終わってからだった。
翁長知事の平和宣言、沖縄の高校生の詩の朗読、そして安倍首相の会挨拶。

12時45分からはいつものように連続ドラマ。6月23日は日本にとって「特別な日」であるのもかかわらず、いや、今だからこそ余計に「特別な日」であるにも関わらず、つまらない連続ドラマを欠かさないNHK。

それが今の日本の姿を象徴している。

安倍の後にも来賓のあいさつがあり、駐日大使も臨席していたはずだ。式典が終わるまでの、それが“録画”であっても放送するのが使命だと思うのだが。

式典の余韻を噛みしめることが、平和を考えることにつながるのだとも思うのだが。

式典で述べられて高校生の詩。やはり印象的だった。広島や長崎でもそうだ。もう戦争を原爆を「知っている」人は1割にも満たない。語り継ぐべき若者たちが、それを語ると言うことに意義があるのだ。

詩を読んだのは、沖縄県立与勝高校三年の知念捷クン。詩の題名は「今は平和でしょうか」。

戦争で夫を亡くした大伯母の話をもとに書かれた詩。沖縄語では「みるく世(ゆ)がやゆら(今は平和でしょうか)」というのだそうだ。「今は平和でしょうか」を。

大伯母は夫を亡くした無念を抱えたまま認知症を発症。介護施設で今も、出征する夫を思う歌「軍人節」を歌い続けているという。
彼は読む。

 「無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく」と。

平成生まれで、どこまで大伯母の思いに寄り添うことができるかは分からない。しかし、それでも、「潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める」「みるく世の素晴らしさを 未来へと繋(つな)ぐ」と誓った。 

式典が行われた摩文仁の丘。平和祈念公園。最後の激戦地でもあったところだ。
首里を放棄した日本軍が最後まで“抵抗”した場所。本土の司令部から「持久戦」を指示され、米軍の本土上陸を阻止しようとした場所。
多数の民間人も犠牲になった場所。民間人がにわか仕立ての軍人にされ命を落とした場所。

その地で最後まで指揮をとった大田実中将。自決の前に打った最後の電文。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。

県民が戦ったことを明記している。

沖縄戦。それはまさに「正史」だ。今を生きる人たちはその「正史」と真摯に向き合わねばならない。

後世の特別の高配が米軍基地だということなのか。

摩文仁の丘には戦没者の名を刻した礎がある。沖縄の子どもたちによって今日までに綺麗に拭き清められた礎。その前で遺族は慟哭していた。

NHKだけではない。民放のニュースもどこかおかしい。
式典が始まる前の様子を伝え、「悲惨な地上戦の終結から70年、体験者が少なくなり、戦争の風化が懸念される中、沖縄は23日、平和とは何かを改めて見つめ直す一日となります」とアナウンスは結ぶ。

平和とは何かを見つめ直すのは沖縄だけのことではないのだ。
日本中がこの日も沖縄を想い、平和を考えるべき日なのだ。

どこか「沖縄だけのこと」とする“意識”が垣間見られたようで悲しい。
基地とても沖縄だけのこととするかのような空気がそこに見えるような。

礎。それは3・11以降、それも風化がすでにして言われ始めている被災地にも各所にある。
宮城県名取市の閖上地区にある14人の中学生の名前を刻んだ礎。福島にだってある。子どもの名を刻んだ礎が。

それらは宮城や福島だけの礎ではない。

国会が戦争法案を成立させるために、戦後最長といわれる95日間延長された。
「今は平和でしょうか・・・」。
高校生の問いかけは重い。

2015年6月22日月曜日

「超法規的政治」

ネコからメールが来た。ネコと言っても猫ではない。彼の名字から付いた渾名だ。
小学校、中学校を共にした幼馴染。家は庭で繋がっていたお隣さん。

高校時代に一度か二度会ったか。彼は級長をつとめた勉強の出来る奴。こっちはどちらかと言うと落第生。彼の高校は都立でも優秀な生徒が行く学校。
こっちは「落ちこぼれの私学」。

賀状のやり取りはしていたが、直接会ってはいなかった。10年くらい前「ネコの股旅日記」という自費出版の自伝が送られてきたくらい。
そのネコと妙な縁があって「再会」した。顔を見たわけではない。メールのやりとり。そして彼はこのブログを読んでくれているらしい。

彼から来たメール。最近の政治を憂いながら安倍政治は「超法規的政治」だ言ってきた。上手い事を言うもんだ。納得だった。
解釈改憲や違憲といわずに「超法規的」。そう最高法規を無視する政治なんだから。

見覚えのある言葉だ。「超法規」。安倍の政治の系譜である清和会の福田赳夫が使った言葉だ。
バングラディッシュのダッカ空港での日航機ハイジャック事件。日本赤軍の起こした事件。
首相の福田は一部の反対を押し切って拘留中の赤軍派9人を釈放し、ダッカに向かわせた。

福田は「超法規的措置」とし、「人命は地球よりも重い」と語った。この超法規措置に反対した法相の福田一は辞任した。

その超法規的措置という言葉が超法規政治という言葉とオーバーラップする。

人命は地球より重い。たしかにそうなのだが・・・。

今度の超法規的政治。それは人命にも及ぶ。政界の師でもあろう福田赳夫が言った人命の重さ。
それが「軽くなる」可能性は大なのだ。福田の発した言葉の価値観と安倍の思考の中にある価値観はどう変わったのだろうかということ。

時代は変わった。国際情勢の変化です。変化を判断するのは我々政治家です。とかわされるのがオチなんだろうが。

安倍といい、高村といい、谷垣といい、自民党も変わったもんだ。そうつくづく思う。

“こめつきバッタ”もいい加減にしたらと。

今朝の新聞の短歌の投稿欄。
「原発をリードした中曽根康弘も集団的自衛権は認めざりしに」。
中曽根はれっきとした自主憲法制定論者だった。改憲派彼の悲願でもあった。
その中曽根をすら安倍は超えた。

国会の会期は9月27日まで延長されることになるようだ。延長を決める本会議に野党がどう対応するかはともかく。
日本国民との“約束”では無い。アメリカとの約束を成就させるために。

集団的自衛権の行使は、どんな言葉や言い回しで取り繕おうとも自衛隊員の「人命」に関わることは必然だ。

論語にある「己の矩を超えず」。それは70歳を指している言葉だが、人の道を外さない。法を犯さないという意味だ。
60歳にして矩を超える安倍・・・。

短歌欄にあったもう一句。
「自衛権どうなるかねと案じてる鏡の吾と床屋の親爺」。

安倍が通うのは美容院だからね。そんな冗談もむなしいか。

もっとやろうよ「床屋談義」「居酒屋談義」を。

ネコに会って話をしたいなと。居酒屋で。多分そうであろう“年金暮らし”。その悲哀を交えながら。

2015年6月21日日曜日

「憲法」と「広辞苑」と


憲法は国の最高法規である。しかし、その解釈は時の政権によって変えられる。のだそうだ。

国会は言論の府だとされている。言論、つまり「言葉」をもって議論し、政治を決めて行く場でもる。言葉が“支配”するところなのだ。言葉に“支配”されているところのはずなのだ。

安保法制をめぐる国会の議論の中で、議論にならないような言葉のやりとりの中で、安倍の口からは「レッテル貼り」という言葉が散弾銃のように飛び出している。

レッテルを貼った、貼らない。レッテル貼りでは無く中身の議論をすべきだ。レッテル貼りは不真面目だ。レッテル貼りは無責任だ。レッテルを貼って議論を矮小化することは断じて甘受出来ない・・・。野党の方もつられるように“レッテル”を持ちだしてくる。

戦争法案、それはレッテルではない。実態そのものだ。

そして自民党の幹部は「憲法学者は字句に拘泥する」と非難した。
とにかく集団的自衛権の行使は憲法違反では無いと。
時の政権が憲法の解釈を行い、どう判断するかは当然のことだと。

憲法という最高法規は政府の解釈でどうにでもなるといわんばかりだ。
政治家が憲法学者の見解を真っ向から否定するのは当然だと言わんばかりに。

憲法に書かれている字句は政治家が勝手に解釈してもいいということだ。
憲法解釈は政権の手に委ねられているということだ。

「レッテル」という言葉の語意をたずねて広辞苑をひく。22万語以上が収納されている言葉の森だ。
辞書を引くという作業は肉体的に辛い。老眼で読むことはしんどいことなのだ。
でも、そこにある「言葉の森」に分け入っていくことは、言葉の多用性、多様性にも触れることであり、欠かせないことなのだ。

レッテルと言う言葉は単なるその森の木に過ぎない。

「商品に製造会社などが貼り付けてある紙札。商標。
転じて、ある人物や物事に対する特定の評価。とある。
レッテルを貼るとは一方的に或る評価・判断を下す。とある。

レッテルとは商標なのだ。評価・判断を下すということだ。国会でつかわれているこの言葉は使い方としていささか可笑しい。

まさか言語学者が知恵を絞って編纂した広辞苑の解釈まで変更しようということなのか。

言葉の「指針」がなくなるってことじゃないのかな。

まさか広辞苑にある字解まで否定するってことなのだろうか。評価・判断を下すと言うことが議論を矮小化することなのだろうか。

いつの頃からだろうか。誰が首相だった時からだろうか、政治家の言葉の劣化、貧困さが目に余るようになった。

言論の府に相応しくないような言葉、間違った言葉使い。意味をなさない野次、品格の欠如した野次、場外発言・・・。

日本と言う日本語を使う国にあって、外来語のようなカタカナ語が連発されることも嘆かわしい。

文系の大学を下位に置き、理系を上位に置こうとする“教育改革方針”。

この国から「日本語」が除外されようとしているとも思える。なんかおかしいと思うのだけど。

日曜の嘆き節にて。

2015年6月20日土曜日

「戦争」を、その「姿」をどこから語るか。

国会もメディアも「戦争論議」が盛んだ。今のこの時、それが政治的にも必須の案件だとは思えないにもかかわらず。安倍が火をつけた戦争論議。
徹底的に議論しなければならない事になった。

国会で論議されているのは、憲法問題も含めて「政治」としての戦争論議。
政治、その中には外交や防衛といった国の根幹にかかわる問題が前提であるから、政治としての戦争が議論されるのは致し方ないと言えばそうだが。

とにかく、国会の場では、政治としての戦争が語られている。戦争法案が提出されたのだから当然だが。

そして、そこには「安倍語」が存在し、言い逃れや屁理屈含めて、理解しがたい言葉がまかりとおっている。

戦後70年という“節目”。
まだ戦争体験者いる。兵士として戦争を味わった人。民間人でありながら、沖縄では戦争に巻き込まれた人たちが数多くいる。その他の地でも。

兵士も民間人も、みな同じ“人間”だ。人間としての尊厳を持って生まれてきた人たちだ。

戦地に行った兵士も、沖縄の体験者も、原爆の被害者もこぞって言う。
「戦争はしてはならない」と。
その壮絶さ、悲惨さを原点として戦争を語る。人間の問題としての戦争だ。そこで語られるのは。

僕も戦争体験を持っている。記憶がある。戦後の記憶もある。燃え盛る街中から懸命に逃げた体験。住む家も食べ物も無かった体験。
沖縄の人に比べればとてもじゃないが比較出来ない程度のものだけど。

日本軍であろうとアメリカ兵であろうと、民間人であろうと、沖縄に消えた多くの命。生き残った人達の悲惨な体験談。

それを語り継げる人はやがていなくなる。

国会議員の中にも、なんらかの戦争体験者はいるはず。聞いてきた戦争があるはず。だが、おおむね、そのことについて彼らは語らない。論議の焦点に据えない。

政治としての戦争論議、生死を掛けた悲惨な体験をもとにした戦争論議。
そこには「大きな隔たり」がある。同じ土俵上での論議にはなれない。
そこにこの論議のある種の不毛さをも覚える。

政治として語られる戦争。それは言葉のもてあそびといった感じすらする。

政治から戦争を語るのか・・・
体験から戦争を語るのか・・・

戦争では必ず誰かが死ぬ。
死から戦争を語るべきなのか。
“国益”とやらから戦争を語るのか。

政治の場で、言葉だけの戦争として語られている光景は滑稽だ。

「集団的自衛権をフグに例えれば、フグには毒があるから全部食べたらあたるが、肝を外せば食べられる」。
内閣法制局長官はそうのたまわった。

法の番人たる法制局長官の言葉も「安倍語」に等しい。

肝を外すのは誰だ。資格を持った調理人以外にそれは出来ない。してはならない。その“調理”は誰がするのか・・・。
フグの肝さえ外せない調理人。それが「法の番人」だという言葉だけの戦争論。

政治として論じられる戦争論は実体論とあまりにもかけ離れている。

「殺されるのも殺すのも嫌だ。戦争は反対だ。やってはいけない」。そんな声を上げる若者の方が、感情論のようであって一番理に適っている。

だから、国会の場で、リスクなんていう曖昧な言葉では無く、現実にあった死というものを正面から議論すべきなのだ。

「安倍語」はなんの意味もなさない。

2015年6月19日金曜日

「厳然たる反対勢力」

60年安保が“終焉”を迎えてから、この国はもろもろの分野で「融合反応」が起きたのかもしれない。

もちろん「核融合」もその典型かもしれないが。

体制・反体制。その二極対立で物が語られていた。体制とは何か。その定義や実像も言葉にするのは難しいが。

国会では与党と野党と言う。今、一応は自公が与党、その他は野党とされている。では野党とは何か。

日本社会党と言う政党があり、その党も路線対立から民社党という政党が生まれていったのだけど、公明党が誕生し、共産党もあった。与党とは自民党だけだった。

社会党は「なんでも反対政党」と呼ばれた。つまり「厳然たる反対勢力」だったのだ。裏の話しは止めておく。

自民党はその反対勢力に大いに意を用いた。暴走はしなかった。出来なかった。
労働運動というのがあった。簡単に言えば総評は社会党系、同盟は民社系に色分けされてはいたが。

60年安保の反対勢力の中心は社会党であり、共産党であり、総評を中心とした労働者階級、そして学生だった。

彼らによって岸政権は打倒された。それを知っている与党自民は社会党を常に意識していた。社会党は政権獲得といった“野望”は持っていなかった。
反対勢力であることに「意義」を感じていた。
その「反対勢力」が存在すると言う構図としてのバランス。反対勢力は“抑止力”でもあったのだ。

言葉を変えれば、それがどこか正常な社会を構成し、どこか議会制民主主義は健全に機能していたのだ。

経営側は常に労働組合を意識していた。労使対決という構図があっても、労働組合があり、それが機能していることが、ある程度「バランス」を維持していたのだ。

今、何処までが野党なのかよくわからない。その政治的立ち位置含めて。今の野党なる政党は常に流動化している。

安倍は野党を見くびっている。恐れるに足らずと踏んでいる。それは祖父を倒した野党とは全く違っていると思っているから。

民主党にしても政権を担当した。そこで“蜜の味”を舐めた。社民党も然りだ。政権の一翼に加担していた。
公明もその蜜の味からは逃れられない。
維新、それは大筋、既成政党からの「落ちこぼれ」の集合体だ。

労働界。今や惨憺たる有りさまだ。連合は政権にすり寄り、企業の労組は「労使協調」という“美名”のもと経営側に加担している。

かって未組織労働者という言葉があった。それを今では「非正規雇用社員」と名付けることも出来よう。それに置き換えることも出来るかもしれない。

原発事故後、東電労組は何をしてきたのか。危険な仕事や酷な仕事は「下請け」に回した。自分たちは安全な場所に身を置いて、その事故に対する経営責任など問おうともしなかった。
その他の大企業と言われるところ、いや中小でもそうだ。非正規雇用者、パート、バイトに大事な仕事も委ねる。自分たちは高給をとって安穏としている。
労使一体となってだ。

たまたま大手のドラッグストアに行った。店員はほとんどがパート。販売、商品知識はその人たちの方が優れている。「私たちが辞めてしまったら、この店は成り立たないのに、給料は安いしシフトはきつい」と顔見知りの店員さんが言っていた。

労働組合が厳然たる経営側に対しての反対勢力にならない限り、この「非正規雇用」の問題は解決しない。

官邸や国会前に集結している「安倍安保」反対デモの人達。多くが一般市民のはずだ。

安倍の「価値観」からすればそのデモとても脅威の対象では無いのだ。歯牙にもかけないのは祖父の時とは環境が違うからだ。

でも、「時代は変わった」と見たい。市民の力が体制を崩すことが可能になるかもしれない。そんな淡い期待・・・。

なぜ「安倍政権が生まれたのか」。その鍵の一つに“労働運動衰退”と言う現実があるようにも思えて。

「厳然たる反対勢力」が存在しないのだ。

2015年6月18日木曜日

安倍が言う「国民」とは

安倍はしきりに「国民」「国民」という言葉を使う。国民を守るための安保法制だと言う。

彼はその「国民」と言う言葉をどれくらい「つまびらか」のしているのか。

国会のやり取りを聞いていると、彼が言う「国民」とは、彼に同調する「安倍国」の人たちでしかないのかとも思う。

日本国籍を持つ者はすべて「国民」だ。金持ちであろうと貧乏人であろうと。
それらすべてを“守る”というのが宰相としての“常識”だ。

安倍国と書いて、また、田中慎弥の小説「宰相A」が浮かんでくる。日本人と旧日本人。

どうも安倍に反論する人達は彼の中では「旧日本人」ということになるのだろうか。
この本は「少年A」ほど売れていない、読まれていない様子だ。それが今の日本の一つの姿だ。

横道だが、選挙権が18歳以上となった。付則で民法や少年法の改正にも言及しているようだが、あくまでも「検討」すること。国会での検討とは、結論を出さないことに等しい。選挙制度改革がそうであるように。違憲、違憲状態と裁判所が指摘しているにも関わらずだ。

なんとか状態であれ、以前、この法制を語った時のあのパネル。赤子を抱いた母親を救出するため、自国民を救出するための“象徴”として描かれたあのイラスト。

安倍は「国民」という言葉を概念を勝手に使い分けているような。
そして、今、国会で論戦なるものが交わされているのは「違憲」かどうかということと「機雷掃海」の在り方の話し。いわばアメリカをどう支援するかの話し。

自国民よりもアメリカ軍を守るということのように感じられる。

福島県人は「国民」なのだろうか。年金生活者は「国民」なんだろうか。「非正規雇用者」は国民なんだろうか・・・。貧乏人は・・・。

例えば、自主避難している福島県人。大方が母と子。“支援打ち切り”の方針が示された。
被災者の中には生活の困窮している人もいる。

避難している人達は「原発戦争」の犠牲者なのだ。そしてまぎれもなく税金を納め、役所に住民登録をしているれっきとした国民なのだ。

原発は国策だ。

その国策による犠牲者なのだ。

自国民を守るなら、仮想の”戦争論議“をする前に、まず足元の自国民を守るべきではないのか。
彼ら、彼女らの多くは「守られていない」と感じている。

暴論かもしれないが、見捨てられた民とされているようだ。自主避難の是非を言っているのではない。実態を言っているのだ。
そこに“戦争”が絡むと、様相は違っていても、見捨てられた民としての沖縄の姿が重なる。
満州に放置されてきた日本人たちの姿も重なる。

“満州国”に居た日本人を放置したのは誰か。満州国と関わりの深かった岸信介ではないか。

満州国から引き揚げてこられた、ようやくの思いで帰国出来た92歳の老婦人は、癌を患いながら中国残留孤児の支援活動に携わっている。東京にいる知人だ。

国民とは何か。国家とは何か。もう一回「つまびらかに」されては如何。
国民の代表である議員が構成する国会。その国会をなんと心得ているのかも。

明らかに安倍は国会を軽視している。野党の言い分は歯牙にもかけない。委員会に出席するのも「単なる義務感」だけとしか思えない。
まともな論戦には応じないのだから。何を聞いてもオウム返しのような持論の開陳だけ。
それをもってして、やがて言うのだろう。国会で延々と丁寧な説明をしてまいりましたと。
説明とは相手をある程度「納得させる」ということなんだぜ。

「黙って俺について来い」。顔がそう言っている。黙ってついて行く人たちが、まだ「国民」の半数近くもいる。

なぜ宰相、安倍晋三が出来たのか。国の“本質論”として考えた方がいいのかも。

2015年6月17日水曜日

「同族会社の社長としての安倍」という“喝破”

「憲法の解釈を閣議で決定するのは、同族会社の会議のようなもの。百家争鳴になっても一番偉い社長や会長の鶴の一声で決議されてしまうのと同じです。
現在、国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険とは何か。
それは一番偉い最高責任者であると言っても過言ではありません」。

新聞の投稿欄に作家の森村誠一が寄せた一文だ。彼はもう82歳だとか。

この“喝破”、きわめて明解なりやと思うのだけど。皮肉を込めた正解なのだ。

安保法制をめぐる、集団的自衛権をめぐる国会の動き。自民党の議員のほとんどは“同族会社の社員”なのだ。
その“会社”は安倍が創業者でないにも関わらず。

“社員”も安倍が採用した人達では無い。3割の選挙民が推したものなのだけど。

「我が国」「我が軍」「我が党」。この「我が」という言葉。まるで自分の“所有物”のように聞こえるではないか。我が党は我が社なんだろう。

社長のご機嫌を損なわないように、あれやこれやと言いつくろう幹部社員たちと思えばわかりやすい。

でも、事は一社云々を越えているのだ。憲法と言う最高法規をめぐる問題なのだ。
にも関わらず、永田町に巣食う「同業他社」たちは、本質論をそっちのけにして、小手先の“方法論”のような、修正なんてことを言いだす。
この法制を巡っては国の根幹にかかわることにあっては“修正”なんていう国会の“習性”は存在しないはずなのだ。

同業他社、同業団体として、安倍会社の提案に対してイエスかノーかしかないはずのことなのだ。

憲法学者のほとんどが、「違憲」だとした法案。それはもっとも重い提起なのだ。
その時点で、この法案は「終わっている」と見るべきなのに。

平和のための戦争と言う。そんな勝手な屁理屈は無い。戦争が平和をもたらすわけが無い。
そもそも憲法とはだけではく、そもそも平和とはという本質論にも及ぶのだ。

戦争に前方も後方も無い。戦場に前方も後方も無い。敵からすれば、すべてが敵なのだ。

戦国時代の戦だってそうだった。桶狭間だってそうだ。後ろから攻めた方が勝つ。退路を断ち、帰る道を閉ざした方が勝つ。それが戦略だった。

戦時中、孤立した太平洋の島嶼。あらゆる物資が欠乏していた。そこに向かう輸送船をアメリカは徹底的に攻撃して壊滅させた。
正面よりも後方を叩いた方が得策だったのだ。輸送船には反撃能力が無い。

その輸送船には物資だけではない。兵力も乗っていたのだ。

戦時中の本土攻撃。その目標は「兵站」を叩くことだった。主な目標にされたのが軍需工場だった。そこはことごとく攻撃の対象であり、焼失の憂き目にあった。

郡山大空襲と言うのもあった。そこにあった保土ヶ谷化学の工場が軍需工場とみなされ空襲されたのだ。

後方の方が、支援する方が襲われる危険は大なのだ。
集団的自衛権の行使は後方支援。そんな「理屈」は歴史に照らしても現実に即さない。

平和の祭典、東京オリンピック。それを招致するために、東京の“後方”にある原発事故現場を「隠した」。アンダーコントロールされていると言って。
しかもその「コントロール」は最高指揮官が為したものでは無い。東電に任せきりの事。

「安保会社」を創業したのは祖父だ。二代目はあまり家業に熱心でなかった。創業家三代目がその「再興」を図ろうとしている。
そして、その三代目は何とも目立ちたがり屋のお坊ちゃまなのだ。何をしでかすかわからないようなお方。そうだよな。「憲法審査会」の開催まで止めろと言うくらいなんだから。
「我が国」の面目躍如なりってことか。

2015年6月16日火曜日

「町」は一朝一夕では出来ない

こんな西洋の諺を中学時代に習った。
Rome was not built in a day。ローマは一日にして成らず。あのローマ帝国を、繁栄を極めたその国を作るのには7百年と言う歳月と長い苦難の歴史があったということ。それから派生して、大きな事業は長年の努力なしには出来上がらないとう“格言”ともされた。

西暦2000年代のある日、福島から町が忽然として消えた。神隠しにされた町が出来た。その町をどうやって「再建」させるのかということ。
それは、それこそ一日、一朝一夕で成し遂げられるはずは無い。

今、福島は「帰還問題」で揺れている。国は帰還困難区域を除いて、早期の住民帰還を目指す。その帰還を妨げている数多くの問題が指摘される。

除染の問題。線量の問題。
家の修復、インフラの整備。インフラというと何を指すのか。下水道、道路などの公共インフラだけではない。
日々の生活にかかわる身の回りの環境。例えば病院、高齢者施設、子供のための施設、買い物が出来るスーパーやコンビニ・・・。と皆が言う。
それが整備されないと帰れない、帰らないと。

仮にそれらが満たされたとしよう。そこは復活した町となり得るのかどうか。

町には歴史がある。何百年にわたり、その地の人が積み重ねてきた歴史。たとえ、そこに新しい建物が出来ても、新しい施設が出来ても、時によってそこに住む人が変わっていても、町の真ん中に大きな樹があった。駅舎があった。小川があった。丘があった。学校があった・・・。

その先の角を曲がると幼馴染の家があった。お化け屋敷と呼ばれるようなふるい家があった。自転車屋があった。電気屋さんがあった。畳屋さんがあった。新聞販売店があった・・・。

神社があった。郷土の歴史館があった。牛乳屋さんがあった・・・。

それらが、その町の独自の空気を作り、その空気が匂いとなっていた。

寄り集まる場所があった。お菓子屋さんがあった。それらは、その土地ぬ暮らす人たちの生甲斐の場所でもあった。
信号を曲がるかどうかが目印だった・・・。

雑多に雑多な人が暮らしているのが町だった。交番があった。消防署があった。

長い歴史を経て作られた町。それが一朝一夕で復元されるはずは無い。

あの「失われた町」の戻るということは全てを一から始めるということに等しい。
失われた町を、町並みを取り戻すことは“不可能”に近いことなのだ。

帰還をためらう人の心根には、そんな漠然とした残像があるのだろう。

自主避難者と言われる人もそうだ。あくまでも自主避難。自分たちの意志によるもの。
県内や県外で暮らして4年余り。
暮らしている場所も町だ。でも、それはその地に居ると言うことだけ。
そこはあくまでも異郷であり、その人たちは異邦人なのだ。心の問題として。

政治やカネでは解決できない歴史・・・。人は「歴史の中で暮らしている」のだ。

そんな“繰り言”めいたことを言っても始まらないと誰もが思ってはいる。でも逡巡するのだ。

だから、「福島」の問題は難しいのだ。「フクシマ」は「フクシマ」のままなのだ。

高度成長期、東京でも大阪でも、各地に「ニュータウン」が生まれた。そこは今、多くが“廃墟”だ。歴史の無かった場所に“歴史”を作れなかったのだ。
歴史の「上書き」は出来なかったということなのだ。

帰還問題、自主避難問題。期限が切られた。そのことで様々な意見が交わされている。
そんな中でふと思ったこと。

「故郷」、東京は初台も随分町の光景は変わった。住んでいる人も見知らぬ人が多くなった。時々その地に足を向ける。そこには、やはり変わらぬ「匂い」を感じる。そこが「失われた場所」では無かったから。

2015年6月15日月曜日

55年前のきょう・・・。

1960年6月。国会周辺は連日“騒乱”状態にあった。その時、大学2年生だった。日米新安保条約をめぐっての反対闘争。条約の自然成立を19日に控え、55年前の今日にあたる6月15日は、まさに反対闘争の天王山だった。

時々、国会前のデモに参加していた。別のどこかのセクトとか党に関与するのではなく。19歳の少年が自分の意志表示として参加していた行動。

この日、国会前に行くことを先輩から激しく止められた。学校の中庭の一隅で。そこにこの日行くことは危険だと言うことを音楽部の先輩は皮膚感覚でわかっていたのだろうか。

結局、その説得を聞き入れた。国会前には行かなかった。そうたまたま行かなかった。

夜、ラジオの中継で国会の南通用門前で女子大生が死んだことが報じられた。
東大生、樺美智子さんだった。

あとから聞いた話では、彼女は連日デモに参加していたわけではなく、この日はたまたま行ったという。

たまたま行かなかった奴と、たまたま行った人・・・。

国会周辺は30万人を超える人たちで埋まっていたという。ラジオの中継が伝える国会周辺の状況。それがどんなものかは十分に想像された。ジグザグデモを繰り返す反対派、それを阻止しようとする警察や右翼。

まさに「内乱」のような体。それまでの経験で、その「怖さ」は十分味わっていたから。警棒、棍棒、放水・・・。

首相の岸信介は自衛隊の出動も検討していた。しかし、それを赤城宗徳や三木武夫が必死に止めさせた。
自国民を自国の“軍隊”が、もしかしたら“武力行使”で鎮圧する。それに至るかも知れないと言う状態を危惧して。

デモ隊は南通を破り突入を図ったが結局は鎮圧された・・・。

翌日、学校に行った。校庭の中にある掲示板。休講の掲示。
商学部教授、樺俊雄、休講。その掲示がそのことがまぎれもない事実で有ったことを示していた。しばし、掲示板の前に立ちすくんでいた記憶。
その教授の授業は学部が違うから受講したことは無かったが。

安保反対闘争の中で一人の女子学生が死んだ。

そして55年後、国会周辺では安保法制、安保条約を下敷きにした“戦争法案”を巡ってデモが行われている。
昨夜は2万5千人の人が参加していたという。

でも、しかしだ。デモの様相は全く違う。55年前はまさに闘争であり、生死にかかわるものだった。
30万人が取り囲んでいたのだ。

今は規制が厳しい。もちろん過激なジグザグデモも無い。過激な行動をとる学生運動も無い。

形や様相は違っていても、どこか共通している「55年」を挟んでの抗議行動。

相手は祖父とその孫という系譜への退陣要求。

時空を超えた不可思議な感覚に捉われる。デジャブ感満載なのだ。

原発再稼働反対に端を発した国会前の官邸前のデモ。メンバーは原発反対時と同じなのだろうか・・・。


安保改定条約は自然成立した。この日から4日後に。そして、反対運動は急激に衰退していった。その残滓はその後の学園闘争につながってはいくのだが。

自然成立を待って岸は退陣した。

今の政権は、国会の会期を延長して安保法制法案の成立を図るという。
反対闘争が今後どんな展開を見せてくるのかは不透明ではある。でも、きっと続くだろう。デモ参加者が30万人と言う状況にはなるまいが。

そして、仮に成立したとしても安倍には退陣と言う予測はあてはまらない。

今の学生を論じることは出来ない。自分に関して言えば、時間が55年前にさかのぼって欲しいなと言うある種のノスタルジー。

55年前の「たまたま」だった“後悔”に似た思いを払拭させたい気分とてこれありにつき・・・。

2015年6月14日日曜日

リスクという言葉の「危うさ」

「リスク」という言葉が飛び交っている。リスクってどういう意味なのか。
時としてカタカナ語(日本語のカナ表記)ではない。いわば“外来語”というか、外国語。

それを使うことによって、日本語は時には“曖昧化”され、人はその意味をそれぞれが勝手に“解釈”する・・・。言葉の定義が“共有されていない”中での議論がかみ合うわけが無い。

過日、ある集まりで、言葉を巡る話の中でこのことを取り上げてみた。
「リスク」の意味を聞いた。逡巡して返ってきた答えは「危険」。
デンジャーという英語がある。それも「危険」という意味だ。
その違いは・・・。

「言葉の迷路」にはまりこむ。

原子力発電所に時々“視察”に行っていかころ、放射線管理区域の扉の前に書かれてあったのは「リスク」ではない。「デンジャー」だった。しかも髑髏マークさえ書かれているものもあった。

喫煙は健康への「リスク」があると多くが口を揃えていう。健康へのリスクとは癌などを発病することを指すのだろう。
たばこの包装紙にはこう書かれている。
「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」と。

リスク、リスク、リスク・・・。日本は「リスク社会」だ。どこにでも「リスク」が存在し、その言葉が徘徊している。人は好んでこの「リスク」という言葉を用い、漠然とした“概念”や“語意”の中でそれを使う。

今、国会で、その内外で多用されている「リスク」という言葉、用語。
「国民のリスク」「我が国のリスク」「自衛隊員のリスク」などなど。

自衛隊員のリスクとは、すなわち“戦死”とうことのはずだが、そのことも「リスク」という、いわば曖昧な言葉の中に包含されてしまっている。

ある時までは「リスク」とは“経済用語”として使われてきた。特に“バブル経済”というものがあった時。この“バブル”という経済用語とて意味や定義が特定されていない「ある種の現象」を指して使われはいじめたのだが。

40年近く前か。管理職講習というのがあった。その教科の中に「リスクテイキング」という言葉が書かれていた。意味が分からないからそのことを議論しようもなかった。意味を講師に問うた。話の腰を折るなと“コンサルタント”と称する人に怒鳴られた。
その研修の結果は人事部に通知されていたのだが、なんと評価されていたのかはわからない。

リスクという言葉を日本語として「認知」するのなら、それが何を指すのかと言う「共通の認識」が出来上がっていない限り、「リスク」を巡る論議はかみ合わないに決まっている。それぞれが思っている「リスク」の捉え方が違っているのでは・・・。

原発のリスクともよく言われる。そのリスクとは何か。事故を起こす可能性か、その事故が及ぼす広範囲の被害なのか。それも共有されていない。

言葉を弄んでいるのではない。

理解しあえる「共通語」を使おうということだ。

安全保障法制についての議論が、その法制の内容がわかりにくいと多くが言う。
わかりにくい言葉が多用されているからだ。安易に使われているからだ。

とかなんとか。日本を取り戻すためにはまず「日本語」を取り戻してはいかがかと。
とはいえ、日本語というのも、もともとその表現は「曖昧な文化」として、むしろ惻隠を持った美しい表現ともされてきたものではあるのだけど。

やはり「迷路」かな・・・。

2015年6月13日土曜日

「夢」について

とにかく毎晩夢を見る。夢の時間がどれくらいだかはわからないが、とにかく、心象としては、ず~とという感じなのだ。

寝ていて見る夢。ほとんど「嫌な夢」ばかりだ。だれかと口論していたり、迷路にはまり込んでいたり、忘れたいことが登場したり。有り得ようもない光景であったり。

うなされてはいないのだろうが、大方毎晩汗をかく。寝起きは悪い。起床したという現実と夢の残像がかみ合わない。
それは最近とみに多い。

だから熟睡感が無いのだ。
医者は「ストレス」だという。しかし、それを解消する方法は無い。
考えることを止める以外は。

誰だい。こんな苦痛を与えてくれているのは。

♪夢で逢いましょう♪、ザ・ピーナツの歌があったけど、そんな“ロマンチック”な夢の世界に誘われたことなんかないし。

♪夢の中に、夢の中に、行ってみたいと思いませんか~♪って陽水が歌っていたけど、毎日忘れ物、探し物、見つからないものだらけだし。

「夢」「夢」「夢」。

夜中に見るのも夢だ。“白昼夢”という夢もあるらしい。

夢の超特急。夢のマイホーム。夢のマイカー。

夢から覚めた夢。

ドリームジャンボ。夢を買うのだと言う。そのユメとはカネか・・・。

♪いつでも夢を~♪。女優さんが昔、歌っていたっけな。

夢は叶う。夢を持て。夢をあきらめるな。

被災地に飛び交っていた「夢」という文字。

寝てみるのも「夢」。“希望”を意味することも夢。

英語ではそれも、これも「ドリーム」なのか。

昔、郡山で初めてみた映画。黒沢明の「夢」という作品。
「こんな夢をみた・・・」というナレーションで始まる8つの映像のオムニバス。

たしか「狐の嫁入り」ではじまり、キツネに化かされ・・・。

その中に「赤富士」という一編があった。

大勢の人々が逃げ惑っている。足下では、疲れ切った女性と子供が座り込んで泣いている。
原子力発電所が爆発したという。愕然として見れば、赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。
発電所の責任者や、技術を開発した科学者が絶望して自殺した後も、押し寄せる赤い霧を必死に素手で払いのけ続けている人たち・・・。

黒沢が見た「夢」は40年後現実となってあらわれた。原発事故は。
富士山だって“予測”の範囲だ。

この「赤富士」について言えば、21世紀の、ここ数年、そして今そのものだ。

黒沢の「夢」は現実だった。叶って欲しくない夢だった。

黒沢の描いた夢を夜中に僕が見てうなされているわけではないが。

寝ていて見るのも夢。憧れるのも夢。人生の指針にするのも夢。

「夢」の正体がわからない。

夢とは透視なのか。限りなく不透明なものなのか。

今日はこれから一日中ある会合に出かけます。そこに「夢」があるのではなく「現実」があるだけですが。

それにしても「夢」という言葉が、なんと多い事か。音楽でも、そう真夏の夜の夢にしても、映画にしても、文学にしても。

明恵上人を書いたものに「夢を生きる」という本があった。

“ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ”。

この歌を読み解けるわけも無く・・・。

2015年6月12日金曜日

もしかしたら「保守」は終わったのかもしれない

きのうあった衆院の憲法審査会。「激論が交わされた」とNHKのニュースでは言っていたけど。紙を読み上げるってのが「激論」なのかな・・・。

紙を読み上げるのではなく、自分の言葉でしゃべり、議論を交わすのが激論ってことじゃないかな・・・。

それはともかく“代打”で、まさに“ピンチヒッター”で登場した自民党の高村正彦くん、その傲慢な言葉にには、まさに政治の終わりすら感じた。

「憲法学者の誰よりも、長い間、このこと(集団的自衛権)を考えてきた」。
ならば外務大臣をやっていた時の自衛権と憲法に関する答弁ってあるあなんだったんだい。
官僚の書いたものを読んでいただけってことかい。本心は違っていたってことかい。

高村くん、本学の後輩。法学部法律学科卒。弁護士資格あり。大学時代憲法を学んだはず。先生はだれだったのか。君の憲法観は大学時代に勉強した、考えたものなのかい。

そして極めつけのお言葉。
「国民の命と平和な暮らしを守りぬくため、自衛に必要な措置が何であるかについて考え抜く責務がある。これを行うのは憲法学者ではなく、政治家だ」。

これに共通したことを言っていた人もいる。安倍の家庭教師だ。
「憲法栄えて国が滅ぶの愚を犯してはならない」。彼も東大法学部だ。

政治の世界を「保革対決」という。保守とはどの政党だ。革新政党ってどこだ。
共産党を今でも革新政党と呼ぶのか。
共産党を除いてはオール保守だ。ただ、保守の意味合いが違う。

自民党にあっても、少なくとも後藤田正晴という人がいる時代の自民党。憲法や自衛権のことに関して、「まともな理解」をしてきた。
時には逸る首相もいた。後藤田はそれを身をもって押しとどめた。
「国」を考えた上でのことだ。

自主憲法制定を自論にしてきた中曽根だって、今の「安倍自民党」のような暴論は吐かなかった。それは、ある意味「真の保守」だったから。

安倍自民と保守政党とは呼びたくない。保守を名乗る「私党」だ。

集団的自衛権と憲法。それを語るに本質論では無く開催時期や人選が悪かったなどと「手続き」のいちゃもんで事を語るという愚行を平気で犯している人達。
本質論の議論が出来ない人達・・・。

やはり「自民党」は終わったの感が大なのだ。

昔日を多少は知っているから、余計にそう思う。

「失われた自民党、保守政治へのへのオマージュ」・・・。

砂川判決の、およそ「誰よりも憲法について考えて来た」という人の「つまみ食い理論」。

砂川判決についてのことは昨日書いた。

それに加えて触れておく。あの判決の「隠れた本旨」。田中耕太郎にあった多少の罪の意識が書かせたものか。

//安全保障にまつわる条約という非常に難しい問題は問題の性質上、司法が判断することはあきらめる。だけど、憲法の埒外の聖域に置いてよいわけではない。だから、とりあえずは条約を締結する内閣や批准を行う国会の判断に従うとしても、最終的には「主権を有する国民の政治的批判」に任せるべきだ//としているのだ。

国民の政治的批判、それは、各社それぞれの“思惑”があろうとも世論調査に表れていることなんだけど。

保守政治家の矜持ってものがあったのだけど。

2015年6月11日木曜日

「司法」をめぐって思うこと、いくつか。

福島では原発事故の避難者約470人が起こした集団訴訟。東電に損害賠償を求めた裁判。
提訴から約2年半、やっと口頭弁論、原告の本人尋問があった。

避難者側が求めているのは土地や建物といった有形なものに対しての賠償。それと「ふるさと喪失」への慰謝料だ。

郡山の仮設で暮らす人は言う。双葉町の人だ。
地域ぐるみの祭りや冠婚葬祭。そうした“助けあい”の関係が失われた。でも町内に戻り、農地を再生させて農業を再開できないかを模索している。ふるさとをいつか取り戻したいと。

いわき市に避難している人は、すでに市内で中古住宅を買って住んでいるが、賠償金の格差などから近所付き合いに気を使う。
「町にまえれないうちは避難民だ。なんでこんな目に合わなくてはならないのか」と。

「ふるさとの喪失感は言葉では言い表せない」という人も。

ふるさと喪失。その“価値観”に司法はどう目を向けるのか。どうそれを理解するのか。まだ結審は先のようだが、「こころ」の問題までも司法は裁かねばならない。

早く結審すべきだと思うが、それはひとえに裁判長の訴訟指揮の在り方・・・。

沖縄では普天間基地の騒音をめぐって住民が起こしていた訴訟。損害賠償請求。
那覇地裁沖縄支部は住民2,200人の訴えを認め、日本政府に7億5千万円余りの支払いを命じた。
裁判長は言う。「原告が受けている騒音被害は深刻かつ広範にわたる。受忍しなければならない程度と評価できない」と。

騒音訴訟は二度目。前回も3億6千万余りの支払いを命じる判決が確定している。

裁判はもちろん基地の根幹となる日米安保条約には触れていない。あくまでも精神的、物理的苦痛に対してのものだ。

どこか福島のふるさと喪失論に通じるものもある。


そして「砂川裁判」。安保法制論議の中で、与党側が“つじつま合わせ”のように掘り出してきたもの。そこには集団的自衛権という言葉も概念も存在していない。そりゃそうだ。集団的自衛権なんて言葉は無かったのだから。

日米安保条約をめぐっての基地闘争。一審の伊達判決では違憲。いきなりの最高裁上告。そして、なんとも早い最高裁判断。安保改定に間に合わせるように。

砂川判決は“純粋”な司法判断では無い。田中耕太郎最高裁長官は、後に公開されてアメリカの外交文書によれば、判決に至るまでに、在日米大使館や外務省を通じてのアメリカ政府当局者と、さまざまな「意見交換」をしている。

最高裁長官が内閣法制局長官であるかのような。

そして、日米安保については的確な憲法判断を避けている。高度な政治的問題は司法判断には馴染まないと。

昔、時々聞かされた。司法は、もちろんその中には検察も含まれる。法務省の中では、法の論理よりも優先されれものがあると。それは国家の根幹を揺るがしてはならないという不文律だと。

砂川判決は、今の安保法制論議の中に登場させることは、そもそも「馴染まない」ことなのだ。

この三つの司法に関すること。いずれも昨日のこと。

別にニヒリズム的に言うのではないが、「裁判官も人の子よ」ということ。
裁判官、裁判長の「個人的判断」によって事は決まると言うこと。

だから今、あらためて言う。「司法が問われている」と。それをどう見るか、最後の砦としての司法と思うか、それとても三権と言う名の“権力”の一つとみるのか。
少なくとも第四の権力と揶揄されたマスコミには、なんら拘束力は無いのだし。

「砂川判決」と言うものが何であったのか、その認識すら共有されていないのだし。

複雑怪奇な世にござ候とでも。

2015年6月10日水曜日

「時は金なり」といわれるけれど・・・

今日は「時の記念日」だという。これだけは小学校で教えられた。
1920年、東京天文台が決めたものだという。6月10日とは、もちろん旧暦であるが、日本書紀によれば天地天皇が水時計を使った日ということに由来するらしい。

西洋の諺には「タイム・イズ・マネー」なんて言うのがある。「時は金なり」だ。

なるほど、「時間はお金のように貴重なものだから、無駄に費やさず、有効に使うべき」という戒めだとか。

時間と言う、いわば“無限なるもの”と、カネという“即物的”なものを並立させているところがいかにも西洋らしい。

時間と言う概念と金という目先のものを「並立」「対比」させることに違和感を覚えるのだが。
同じような意味の言葉に「一刻千金」というのもあり、「春宵一刻値千金」というのもあったような。

時間と金。同じ「価値」を持つものだろうか。少なくとも今は、お金で時間を買う時代なのに。

新幹線、リニア新幹線。まさにそれだ。“便利”な家電製品の数々。家事の時間は大幅に短縮される。家電を買うことによって得られる時間。
それらで得られた時間を人はどれくらい有効に、大事に使っているのだろうか。

いわゆる「残業問題」もそうだ。

「生きる」ということに於いては、時間は余り残されていないような気がする。若いころは、生きる時間は無限のような感覚がどこかにあったが。
無駄な時間を過ごしてきたような気もするが。

今、「福島」は時間と金との戦いの時期だ。

少なくとも原発の廃炉に向けた作業。放射能による汚染物質の処分。はたしてどれだけの「時」を必要とするのか。廃炉に向けた作業も、そのスケジュールは遅れに遅れている。
遅れれば遅れるほど、その費用はかさむ。

除染だって待った無しの時間の問題なのに、それが「効率的」に行われているのかどうか不可思議だらけだ。
除染や賠償金で約9兆円ものカネがかかる。東電に支払い義務が課せられているものの、国は金融機関から借金をして、東電に「貸して」いる。
借りた金には利子が付く。

3・11から4年数か月の時間。その時間をカネに換算しても詮無いことではあるが、どこか「無為」であったような時間というきもするし。

腕時計は電波時計というのを持っている。還暦祝いに友人たちが贈ってくれたものだ。当時は高価だった。今は驚くほど安価だ。

郡山から川内、富岡、大熊に抜ける国道288号。一時強制避難させられていた都路村には電波塔がある。どうやらその電波塔から発せられる電波が腕時計の時を刻んでいてくれているようだ。

日本の電波塔はもう一つ。兵庫県の明石。グリニッジ標準時を刻んでいる。

288沿いには「電波塔のある町」という大きな時計を模した看板があった。
東に向かう時の一つの行程の時間の目安だった場所。

飯舘村も時間がゆっくり流れているような村だった。会津の只見川も時間がゆっくり流れる川だった。
都路にしても、飯舘にしても、「失われた時間」がある。その「失われたもの」に対しての“対価”としてのカネの問題がある。

そして、今の時代。

時間はもとより、すべてのことに於いて「カネ」が優先されているような時代。

「時は金なり」とう諺が、なぜか“残酷”な言葉のようにも思えてくるのだが。

2015年6月9日火曜日

その「姿」に何を感じるかということ

なでしこジャパンのサッカーを見た。彼女たちを見ていていつも思うことがある。
特に澤選手だ。彼女の「姿」なのだ。

きょうも途中で交代となった。代わりの選手とハイタッチをしたあと彼女が取る行動。

ピッチに向かって軽く礼をするということだ。頭を下げるということだ。彼女の後ろ姿は、背中は、何も言葉を発していないが、「背中が教える」ということはこういうことだと思っている。

大学駅伝。走り終わってタスキを渡した選手は走路を振り返って礼をする姿を見る時がある。その瞬間からその学校の応援団になる。

野球は好きでは無い。しかし高校野球だけは好きだ。勝っても負けても彼らは球場を去る時、球場に向かって一礼をしていく。
その姿に胸が熱くなる。
勝敗よりもその姿を見たいがために野球中継はなるべく見る。

サッカー。男子選手にも澤のような後姿を見せてくれる人もいる。

国の行方を左右する法案の審議。議場では多くの議員が居眠りをしている。
本会議中継を見る。議場への出入りに際して、議場に礼をする議員の姿は見なくなった。

かっては与野党問わず「礼」をわきまえていたものだが・・・。

自分が試される場、試された場。そこへのある種の「敬意」。

クールビズなんて訳のわからない言葉を「国民的用語」にし、国権の最高機関である場にノーネクタイで出入りする。

話し合いには胸襟を開くということは肝要だ。でも、「おおやけ」の場では身なりはきちんとしなくてはと。
またもサミットなるものが行われていた。当初は先進国首脳会議と呼んだ。サミットとは頂上を意味するのだろう。参加各国の首脳が集まるのだから。
G7とも呼ぶ。GはグレートのGなのかどうか。

記念撮影と言うのが会議の最後にある。恒例の行事だ。そこでどの位置に立つか、立たされるか。それにこだわった首相がいた。アメリカの大統領の、アメリカは大方真ん中にいるのだが、すり寄るように、他の人をかき分けるようにして隣に写りたがっていた人もいた。
その位置がその国の価値にもつながるようなことを記事として書いていた新聞もあった。

安倍が今回、どこにいたのか。撮影後の写真というやつでは向かって右端だった。さてさて如何思われているのだろうか。

安倍が出発前や到着後に記者団のインタビューを受けていた。その後ろにチョロチョロしている奴がいた。NHKのカメラを意識して立ち位置を微妙に変えて、とにかく写真に写ろう。安倍と一緒に写ろうと腐心している奴がいた。
見苦しい姿だよ世耕くん。

それも選挙区向けのものなんだろうな。あざとい姿だ。

で、そのサミットなるもの。どれくらい意味のある会合なんだろうと。今やだよ。最初の頃はそれなりの外交的政治的意義はあったものだけど。
もはや形骸化した「つまらんお祭り」に過ぎない。

出席する人達だってわかっている。首脳会談の前後の「個別会談」の方が重要だということも。
共同宣言なんていうが、それはとっくに事務方で出来上がっているものだし。

今回のサミットの成果は2050年までに温室ガスを最大70%減らすと言うことで合意したことだと伝えられる。
最大の排出国中国はこの会議にはお呼びもかからない。

この合意を受けて、これをダシにして「温室ガス削減のための原発」なんてまたぞろ言い出すのだろうか・・・。

なんか政治家たちは常に見苦しい姿を見せてくれる。澤の背中からは多くを学ぶ。澤の汗の一滴でもわけてもらって煎じて飲めばいかが。
暴言すぎたかな。

2015年6月8日月曜日

福島に引かれた見えない“線”

こんな会話が時々遭遇する。

「避難者は賠償金で車買ってさ、それもベンツやBMだ」
「うちの近所の借り上げみなし仮設でもさ、凄い車に乗っているよ」
「こっちは軽自動車なのにさ」。

その会話に異論をもって割って入りたいと思うが、取りあえずは「無視」することにしている。

賠償金を巡る軋轢は決してなくならない。あの大地震で家屋に被害を受けたり、放射線の“恐怖”を体験してきた人たちでさえ、カネがからむとこういう話になってくるのだ。

今まで通りの家に住み、仕事もあって、日常生活は3・11以前と変わりはない人達。その人たちが目先にある光景でいろいろ言う。

棲む家を失い、特に高齢者は狭い仮設の中で暮らすことに甘んじている。大方の人は仕事も得ている。若者も。
でも賠償金は入る。

ここにある「線」。一つの分断線でもある。避難者以外の人たちの意見や見方が「正しい」としても、どうもそれには与することが出来ないのだ。

だけど、出来上がったこの「線」は乗り越えるのは至難だ。

こうした県民の話を是としたのかどうか、いや、見透かしているからだろう。

賠償金は個人や企業にたいして、「両三年以内」に打ち切られる方向へと進んでいる。
除かれる帰還困難区域の範囲も狭められようとしている。
自主避難者に対しても家賃の補助は打ち切りになる方向・・・。

今、世の中は「目先のこと」でおおよそが論議され、評価がされる。

上記のような空気を避難者たちも知っている。だから、その“出自”を明かさないようにしている人もいる。

例えば「ベンツ」。極端から極端への転換だと思っている。大きな家から避難所、仮設。その反作用としての軽自動車から高級外車。
それを束の間の贅沢というなら、それもよかろう。先が見えないのだから。

「野良猫に餌を与えないでください」という看板論議に似ている。

野良猫に餌を与え、そこに住み着かれたら迷惑だということなのだろう。

でもちょっと「本質論」を考えてみよう。そもそもなぜ「野良猫が発生したか」ということだ。

川崎で先頃あった生活困窮者のアパートの火災死亡事故。マスコミの目線はその建物の構造や違法性に集中する。
実際に考えなければならないことは、眼を向けなくてはならないのは、なぜそこに住み着く人が生まれたのか、そこ以外に住むことが出来ない人がいるという社会構造なのに。

福島県民同士でも、カネが絡むと「寄り添う」ことは難しい。中央から大臣や副大臣が来て「寄り添う」とお題目のように言っていくが、しらじらしすぎる。

そこにも長く太い線があるのだ。

一時、「仮の街構想」というのが言われた。帰還困難なら、新たな土地にその“コミュニティーごと”移転すればいいという考え。
しかし、そこに謂われるような「コミュニティー」は成立できるのか。

友人、知人、支え合い。そこにも「線」があるのだ。人間、誰しも誰とでも仲良く出来る訳が無い。
集団移転、集団仮の街が実現しないのはカネ以外の「生きる術」にあるのだ。

「いつまでも賠償に頼っているのはどうかとも思う。避難指示が解除されたら町に戻って商売を再開したい」という人もいる。「でも、町民が戻ってくるのか」という悩みを抱えながら。

避難先でなんとか店を再開した人もいる。赤字続きだが。「でも、もう国の支援策には頼りたくない」という人もいる。

何にかかわらず引かれてしまった線はなかなか消せない。線を乗り越えるのも難しい。
だから、線は目先のことで引くべきでは無いと。

その線が引かれる本質。それは人間の性(さが)、そして原発と言う文明の“所産”。

2015年6月7日日曜日

桃李もの言わざれども・・・

「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」。史記にある有名な言葉だ。

以前から好きな言葉だった。もう20年も前か。郡山の隣町に三春町がある。緩やかな起伏のある地形。国道288線から脇にそれ、小道をちょっと上がるところに喫茶店があった。そこにこの言葉が額装して掲げられていた。
三春の地名は、春になると桜、梅、桃が同時に咲くと言うところから付けられた名前だという説もある。

史記の言葉の意味はおおむねこんなところだろうか。
“桃やスモモは自分から見に来いとは言はない。黙って咲いていても、その美しさに惹かれて多くの人が見に集まって来て、自然とその木の下には蹊(こみち)が出来る。
つまり、徳のある者は多弁を弄し、多言を用いなくても、人はその徳を慕って自然に集まってくるものだ“。

成蹊大学、学園というところの名の謂れだ。この故事に由来した学校だ。記憶にある成蹊大学の光景。校門から校舎までの間に、長い小道があったと覚えている。さながらその小道は「哲学の道」のような風情を醸し出していたのだが。

安倍晋三は成蹊大学の出身だ。いや、正確に言えば小学校から大学まで、いわば「エスカレーター」に乗って上がってきた学歴。

彼が通った学び舎。そこの名前の謂れ、由来。たぶん彼は知らないのだろう。
彼にとって成蹊学園と言うところはいかなるところであったのか。
「学ぶ」ところであったのか、「青春の一時期」だけを“浪費”しただけのところだったのか。
お勉強は、家に帰って、家庭教師の東大生、平沢勝栄に習っていたのだから。
平沢勝栄、福島高校から東大法学部卒。警察官僚、自民党衆院議員、時にはちょんまげの鬘をつけたタレント議員・・・。

法学部卒だから憲法にも知見があると推察する。

今、安倍は学生時代の「先生」をどう思っているのか知らないが、あまり重用はしていないみたいだ。
しかし、拉致問題に首を突っ込んだり、憲法について薀蓄を傾けるなど、多分に“類似点”があるような。

安倍は「校訓」に比して極めて多弁だ。国会での答弁、長々と喋る。しかし、かつてそう呼ばれた人がいたように「言語明瞭意味不明」なのだ。

一般的・我々・要するに・基本的に・総合的に判断して・・・などなど話をはぐらかすような枕詞を多用する。
論理は全く破たんしているにも関わらず、自分の意志を押し付ける。
挙句、やってはならない野次を飛ばす。それも全くの喧嘩腰に。

とても「徳」のある人には思えないのであり。

挙句、安保法制の担当閣僚である中谷防衛大臣はこんなことをのたまわっていたみたいだ。

「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行ったわけでございます」。

無知にもほどがある。防衛大学では憲法をどう教えていたのだい。

憲法を法律に適応させる・・・。憲法は誰に聞いても「最高法規」だ。そのもとでの各法。刑法、民法、商法、刑訴法。民訴法。その下に各種の法律、法令が存在する。

自分たちが勝手に作ろうとしている11本の法律を憲法に「適合」される。
この人たちって「立法府」という法の名の付くところにいて、禄を食んでいる人の言うことかい。

饒舌な安倍は桃や李にはなれない。姿、見た目は格好いいかもしれないが。
誰かがにわか仕立てで作った道を“安倍教信者”が歩いていくだけ。

史記にはこんな名言もある。
「千軍は得易きも、一将は求め難し」。その意味は多くの軍兵は容易に集められるが、それを統率する、ただ一人の武将を得るのが難しい」というようなこと。

後方支援なるものの撤退判断。それも詭弁でしかないのだが。安倍は武将ではないはずだ。

2015年6月6日土曜日

「先生」が「センセイ」を叱るの図

学者さんたちはおおむね大学などで教鞭をとっている。「先生」と呼ばれる立場だ。その先生3人が国会の場で安保法制についての政府の解釈改憲を「違憲」だと言った。

180人もの憲法学者、先生が「違憲」だという声明を出している。

およそ国会議員から始まって、県議、市議、果ては町村会議員に至るまで、「センセイ」と呼ぶ習わしがこの国にはある。
その始まりがいつの頃からだったのかは残念ながら知らない。
国会議員を「センセイ」と呼ぶ習わしの世界に長い間巣食って来た。最初から違和感これあり。自分ではセンセイと彼らを呼んだ覚えは無い。せめて選挙で生まれた議員、国民の代表ということで「選生」と書くならまだしも・・・。

センセイがたはお互いをもセンセイと呼び合う。まさに噴飯ものだけど。

「あなた方がやっている解釈改憲なるもの、それは憲法に違反しているのですよ」と先生がセンセイを叱った。
叱られたセンセイは開き直る。

「集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で容認することは“立憲主義”を否定していない。解釈変更は行政府の裁量の範囲内だ」と。

これは防衛大臣のお言葉。その他の政権に与する人たちも「先生」に難癖をつける。

ちょっと待ってよ。あなたがたセンセイ達は学校教育にも口をさしはさみ、道徳の名のもとに「先生の言うことを聞きなさい」とさせようとしているじゃないの。

「解釈変更は行政府の、内閣の裁量の範囲」だ。それこそ憲法で言う「三権分立」の趣旨に反している。

もともとアナタがたセンセイにそんな権利は与えられていないはずだ。

なんでそんな思いあがった考えが生まれてくるのか。そう、あなた方が担ぐ総理大臣サマが「専制」君主を気取っているからだ。

昨日、「振出に戻そうよ」と書いた。

以前には「知憲のすすめ」ということも書いた。

そもそも論、原点に立ち返った論議をしようよということだ。

違憲立法審査権というのが最高裁には付与されている。裁判官は憲法学者ではないが、少なくとも憲法についても「熟知」しているはずの人だ。

言っても聞かないのなら、先生は最高裁に提訴すればいい。

ところが問題なのは、その最高裁の判事たちだ。違憲の判断を「高度な統治行為論だ」として判断を避ける可能性は大なのだ。

その判事さんたちの任免権は、建前としては衆院選挙の時の選挙民の判断に委ねられていることになっている。しかし長官は総理大臣の指名だ。

内閣法制局の長官人事も総理大臣が握っている。

極論すれば「意のままになる人物」ということにもなる。

「センセイ」たちがいかほど憲法について学んできたか。「先生」の意見を排斥するほどの“知見”を有しているのか。

無い。

挙句、「先生」の人選を間違えただの「場」や「時期」を間違えただの、国会の中だけに存在する、まさに“国会対策的手法論”が、手続き論的なものが持ち出される始末。
「自公合意」の時に見られた小手先細工のつじつま合わせが「正論」だといわんばかりの。

センセイがたよ。もはや観念したらいかが。専制君主よ、身の程わきまえたらいかが。

センセイ方が“校則”に違反しているということ。

そもそも「センセイ」などという“敬称”を彼らに与えたことが間違いなのかもしれないな。時には官僚どもから“揶揄”としてその呼称が使われていることをご存知か。

「せんせい」は「先生」だけでいいのだ。

違う意見は聞く耳持たない。それが民主主義と言う名の国の中でまかり通っているという「不思議な国のアリヨう」。

敢えて付言しておく。

憲法のよって立つ理念である立憲主義をも否定するならともかく、 立憲主義のもとでは、国家権力の裁量の範囲は憲法によって制約されているということ。
今、政府が言っているのは「政府が決めるから、国民は任せなさい」という専制的論理。“裁量”ということで済まそうというなら、その姿勢自身こそが憲法違反なのだということを。

2015年6月5日金曜日

瓢箪から出た“意外”な駒

きのうあった衆議院の憲法審査会。そこに与野党で人選され呼ばれた憲法学者3人。

もともとは安保法制が議論のテーマではなかった。別のテーマが議題だったとう。

民主党の議員が、その場を好機と捉えたのかどうかはしらないが、今、国会で論議の的となっている安保法制、集団的自衛権行使についての見解を質した。

自公推薦の憲法学者も含め、もともとは自民党の改憲草案作りに手を貸していた憲法学者も含めて、3人とも「違憲だ」との見解を示した。

なんか突然降ってわいたような“展開”。政府与党は大慌て。
そして菅官房長官のコメント。これにはびっくりだ。

「違憲じゃないと言う学者も大勢いる。違憲という指摘は全くあたらない」ときたもんだ。
相手は長年、憲法の勉強をし、研究してきた学者。その見解を一政治家が言下に否定する。

まさにお笑い草だ。

何でも自分たちの都合のいいような第三者機関や諮問会議を作り、専門家に任せて・・・といつもそれを隠れ蓑に使ってきた人達。

まさに寝耳に水、瓢箪から駒ってことなのか。諺の本旨からは外れるから「意外な駒」と言っておこう。

予期しない展開になると真っ向からそれを否定する。指摘はあたらないって、そこまで官房長官は「勉強」してきたのかということ。

学者までも「制御」出来ると思っているのだろうか。
この一言は政権の「思い上がり」をはっきりと示したものだ。

もう餅は餅屋ではなくなったのだろう。

「違憲じゃないという学者も大勢いる」というならその名前を挙げて欲しいな。

憲法学者にも「御用学者」っているのだろうか。まったく居ないわけではなかろうが。

こと原子力に関しては、原発事故そのもの含め、反対、賛成に学者・専門家の意見が分かれていた。あの事故直後から、原子工学専門の学者や防御学専門の学者に至るまで、そして今は、その被ばく影響まで、医者も含めて、その論議は二分されていた。

だから国民はどっちの側の学者や専門家の意見を了とすればいいのかわからなかった。

大袈裟に言うなら、学者が持論を自由に述べる。それは戦後獲得してきた「民主主義」のありようの一つの姿ではないのか。

官房長官風情が反論できることでは無いはず。どこまで傲慢で行こうとするのか。

民主党推薦の小林節という教授は改憲論者だ。9条を改正しろという自論がある。それをしないで解釈改憲をするのが違憲だと言っている。

自公推薦の教授も今の安保法制論議に異を唱えたものだ。

だから、何が何でも改憲反対と言っているのでは無い学者の意見に謙虚に耳を傾けたらどうなのだろうか。

審議が行われている衆院の特別委。やがて参考人の意見聴取と言うことも有り得る。野党はその手順を執拗に求めるべきだ。

もしかしたら、予期せぬ出来事で風向きが変わってくるのかもしれない。
国会の委員会の中でも論戦を通じて安倍政権の「ボロ」は次々と出てきている。
野党が追い込めないだけだ。

そこに学者の意見が公式の場で出されてしまった。

「指摘はあたらない」なんて言い草で通るとでも思っているのだろうか。

曲学阿世という言葉がある。学者のいう事にどれくらい信を置くかは、いや、彼らへの信を失ったのは「3・11」後のこと。

やはりこの安保法制、出直し、仕切り直しにしたほうが賢明なんじゃないかな。
多分、国民の間での戸惑いだって多くあるのだから。

「緊急事態」が明日に迫っているわけじゃないのだから。

「穏やか」に言ってみてるのだけど。

2015年6月4日木曜日

「隠れん坊」「と鬼」

そう、昔・・・。夕方になるとガキ大将が呼び集めた。
「隠れん坊するもの寄といで」と。
「じゃんぽんよ」と言って鬼を決めるのがルールだったが、大体は一番弱いものが鬼にされた。目隠しをされ、「もういいよ」というガキ大将の声がかかるまでは、その場にしゃがみ込んでいた。みんな一斉に隠れた。

「鬼」はやがて探し出す。それがひとわたり終わるとまた元に戻って・・・。

「一抜けた」と止めようとしてもやめさせてもらえなかった。遊びは日が暮れる頃まで延々と続けられた。

鬼は常に一番弱いものがされてしまっていた。

懐かしい昔の、子供の頃の話だ。

今、大人の間でも「隠れん坊」がガキ大将を中心にして流行っている。
ガキ大将の名前は「シンゾウ君」という。

隠れる、隠すが当たり前のこととして。
東電の云われる“隠ぺい体質”は全くと言っていいほど治らない。いくら暴かれてもまた隠す。

不都合なことはとにかく隠す。最近の汚染水漏れの問題。ホースに穴が開いていたというなんとも言えないお粗末さ加減。
開いた口がふさがらないどころではない。あきれる以外の何ものでもない。
あげく、高濃度の汚染水もタンクの中に混ぜていたという。

さすがにあの“鵺男”の田中原子力規制委員長も「マネジメントが出来ていない。汚染水に取り組む戦略的なものが見えない。かなり罪は重い」とコメントした。

悪く言わせて貰えば、再稼働へのマネジメントは出来ているのかとも言いたいし、東電を叱ってもどこからも矢は飛んではこないのだから“カエルの面にションベン”のようでもあるのだけれど。

良いここだけは隠さない。積極的にPRする。不都合なところはひたすら隠そうとする。

もう、この体質は抜けないのだろう。

これが「福島」の問題だけだと思っているのなら大間違いだ。東電の「杜撰さ」は、そのままこの国の「杜撰さ」と国際社会からは思われてしまっている。

信用を失っていくのだ。この国が。日本と言う国が。


ガキ大将は「アンダーコントロール」などと慣れない外国語を使って隠ぺいに手を貸しているが。

そして、またまた再燃した年金を巡るお粗末な事件。情報漏えい。それも隠されていた。担当の官僚は隠れん坊に必死だった。

第一次安倍内閣の時には「最後の一人まで探し出す」と大見得を切ったものの。それを言ったのは安倍だけではなかったかもしれないが。
「最後の一人まで取り戻す」と英雄を気取った拉致問題。同胞がいる地は今は、戦争予測相手国でしかない。

そして、安保法制を巡る数々の言動。明らかに「真意」を隠し、多言を弄し、他言を読み上げ、本音を隠し続けている。

戦争をしたい。戦争ごっこを始めたいという願望。

心ある「鬼」は、その隠れているところを知っている。しかし、見つけ出しても、また元からやり直そうとしている。

そう、この遊びの例えの鬼は「国民」なのだ。

この話は、一時好評を博した、現代の寓話のような広告コピーにもつながる。
「僕のお父さんは桃太郎という人に殺されました」というやつ。

鬼の子供が泣いて桃太郎に抗議するお話。
これを、桃太郎は安倍、鬼は国民と置き換えれば非常にわかりやすい。

ボランティアという名の桃太郎が鬼の子供の父親を結果殺してしまうという寓話。

嘘は嘘を重ねる。隠し事は新たな隠し事を作る。

「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれますよ」と僕は親から教わってきた・・・。

心ある鬼よ、閻魔さまと手を結ぼうぜと冗談交じりに。

2015年6月3日水曜日

「除染」のある光景

今日から事務所の除染が始まった。郡山の赤木町というところ。
借りてるアパート(家賃格安)なので、先日大家さんが立ち合いに来てたが作業は今日、明日と紙が投げ込んであった。

未だにここの線量がどれくらいかは知らない。大家さんには伝えたのだろうが、終わったあとの線量も伝えられるのだろうが、“間借り人”は蚊帳の外だ。
車両の音と人の大声。いまだ落ち着かずなのであり・・・。

我が家の除染は去年に終わっている。業者との打ち合わせ、線量の計測、樹木の剪定の範囲、土にするか芝生にするか、砂利にするかの三択。

「現状回復ですから」との市のお達し。業者がよかった。芝生をやめて砂利に。要望取り入れて貰った。
結果、線量は何μかは下がっていたが。

この除染、それを行う順番はどうなっているのか。2011年、住宅除染が始まった時、最初に行われたのは線量の高い地域だった。市内でも場所によって線量のばらつきが。

池の台、麓山、鶴見坦を皮切りに、あっちっでやったりこっちへきたり。市内の線量を全部知っているわけではないが、どうも飛び飛び。
同じ町内でも、50メートル向こうは前年、我が家は翌年。

「字(あざ)単位でやってますから」と市の担当部局は答えるのみ。

なんにせよ、ちょっと前にも書いたけど、住民の様子は「何を今更」の感のだ。
それこそセシウムの半減期には至ってないものの、すでに線量はかなり低下しているはずだし。あれから4年・・・。

市内ではまだこれからの所もあると聞く。

多分、福島市だってそうなのだろう。何千人もの人を投入しての一斉除染では無いのだから。

除染がある光景。いまだ続くこの土地・・・。

2011年の今頃か。農家の人たちの集まり、勉強会を覗かせてもらった。
除染に関してみんな必死であり真剣だった。
自分の農地の測定は自分たちでやっていた。線量計は著しく不足していた。
ロシア製のなんとかという機器を60万とか80万円で買い、測っていた。

セシウム、ベクレル・・・。

彼らの合言葉。「正しく測かって、正しく怖がる」。怖がると言うのも変だが、「正しく測って正しく知る」という事だったと思う。

ヒマワリが効果があると聞けばそれを植え、ゼオライトがいいと聞かされればそれを使い、土の入れ替えがいいとなれば表土の表裏を入れ替えて。

チェルノブイリに行った専門家を招いたり、学者の意見を聞いたり。

住宅では、約300世帯ある我が町内会。市から貸し出された線量計は3台。順番待ちでやっと測った我が家の周囲。庭から玄関から雨樋の下。
2、8μくらいあったかな。あの当時は。

やがて出来たホールボディーカウンター。受診に人は列を為し、農作物の検査にもその測定装置があるところに、丸ごと野菜やコメが持ち込まれ。

「ND(不検出)」のラベルを貼ってもらって・・・。

ああ、ダメだ。この騒音。建てつけ悪いおんぼろアパート。防音装置など無いアパート。二重窓でも無いアパート。表の車のエンジン音と水を吸い込んでいるのか、その機械音。まったく何も集中出来ない。

普天間だぜ。オスプレイだぜ。

住民にある「今更感」「今頃感」。仮に市民団体かメディアがアンケートをとったとしよう。どこかの政党でもいい。

不満だ、やや不満だ。たぶん7割を超すだろう。遅すぎるという声も聞かれるだろう。市の対応が遅いから自費でやった。どう補てんされるのかという声もあがろう。
低線量被ばくへの懸念を表明する人だって5割はいるはず。

しかし、除染の光景には慣れきってしまっている。

懸念と不満と光景と。除染って何だろう・・・。何でだろう・・・。

この地の除染もさることながら、この国をあずかる人の「こころの除染」ってないのだろうか。被ばくよりも確実に“死”があるであろう戦争に向かおうとしているその心根。

2015年6月2日火曜日

「声なき声を聞け」

60年代安保の頃、官邸や南平台の岸の私邸前には連日のデモが行われていた。
「アンポハンタイ」「岸を倒せ」のシュプレヒコール。

岸はきっとそれに業を煮やしていたのだろう。そんな時、後楽園球場ではプロ野球の巨人戦があった。何万という観衆がプロ野球に興じていた。

それをテレビで見ていた岸は得たりやおうとばかりにその光景に“飛びついた”。
「これが国民の声だ。安保で確保された平和の中で、野球観戦に日々の疲れを癒している。これこそ声なき声だ」。そんなセリフ。

「声なき声を聞け」は、瞬く間にあちこちに駆け巡り、安保に対する国民の声をどう聞くかという岸の「価値観」として取り上げられていた。

岸の「セリフ」を遺伝子として持っているならば、安倍も「声なき声」を聞かねばならない。
その「声なき声」とは何か。戦争法案(あえてそう言わせてもらう。そうだと思うから)によって、その「事態」になれば戦争にまず先に巻き込まれるのは自衛隊員だ。

その自衛隊員の声こそが今の「声なき声」だ。岸の時代の言葉の解釈とは違うけれど。

当事者としての自衛隊員。彼らが、この戦争法案、安保法制についてどう思っているのか。
その声はほとんど「伝えられない」。

彼らは「語らない」。いや「語れない」のだ。それが今のまさに「声なき声」であるにも関わらず・・・。

戦後、警察予備隊から自衛隊へ。その頃「自衛官募集」という看板や標識があちこちに立てられていた。自衛官になり手がなかった。
地方連絡本部という募集の担当部署は、街中で、仕事にあぶれているような男に次々と声を掛けていた。

自衛隊員は“日陰の身”と言われた時もある。

そしてあの頃の国会では「三矢研究」という自衛隊幹部による機密の図上演習計画が暴露され、国会は紛糾に紛糾を続けていた。

自衛隊の”受難の時代“。第二の「三矢研究」はあるのかないのか。

そして、今、後方支援の名のもとに紛争地域、いや、戦闘地域に派遣されるであろう海上自衛隊、場合によっては陸上自衛隊。

撃たれるか撃つか。第二の自衛隊受難の時代なのだ。

3・11。福島はもちろん被災地では多くの人が自衛隊によって助けられた。泥の中から助け出された人、救援の食糧を得た人。
全く無防備で、爆発した原発の上から放水したヘリ。煙りでくすぶる建屋に水をかけた人。

そして、避難所では風呂を作り、家を失った人たちの支えになった自衛隊。

その自衛隊の姿を見て自衛官を志願した若者もいた。
今、自衛隊員はどうなっているのか。減っているのか増えているのか。
防衛大卒業生の「任官拒否」は増えている。

国を守る。その信念に自衛隊員は揺るぎは無いと思う。
でも、全く論理構成もされておらず、言っている本人が理解していない「戦争」。その渦中に身を置くことを潔しとしているのだろうか。

東北の被災地で、自衛隊員によって助けられた人は言う。「あの人を戦争で無くすことは許されない」と。
被災地で自衛隊の活躍を見て、結婚した女性もいる。彼女は夫が「戦地」に行くことを想像していたわけではない。

戦争の当事者を除外したところで交わされる「戦争論議」。いわば他人事としての戦争論議。それは国民の中にもある。

「声なき声」を伝えられる方途はないものか。

もし、防衛省が自衛隊員にアンケート調査でも出来れば、そして自衛隊員に自由に答えさせることが出来たなら・・・。開かれた民主主義ってそういうことではないかとも。

2015年6月1日月曜日

苦悩する「福島」

六月だ。月日は「意志を持たない」ように進んでいく・・・。

郡山市内では、未だあちこちで除染作業が行われている。付近の住民は言う。
「なんだか今更って感じですかね」と。
「除染」を心待ちにしていた時はもう過ぎてしまったようだ。

役所は“義務感”でやっているんですかね。そうも言う。

我が家の近所では田んぼを売り払い、あるいはそれを転用地として貸してか、住宅が建てられている。
その家は太陽光発電のパネルが屋根に貼られている。その反射した光は、時間によっては眩しい。

月日の経過は、決められ始めた「期限」が「タイムリミット」が迫ってくることをうかがわせる。

自主避難者への住宅提供費用の打ち切り。その期限とされるのは来年の3月だ。
避難区域の解除も進められる。
帰還困難区域を除いては、再来年、2017年が目途とされる。

そして「賠償金」は帰還困難区域を除いて、2018年3月だと言う。

いずれも「正式決定・通達」ではないものの。

いずれにせよ、「生き方」の選択が迫られてくるということだ。

空き室は増えてはいるというものの、「仮設」はいまだ”健在“だ。仮設が無くならない限り、福島に「復興」という言葉はあてはまらない。

「福島」は困惑している。3・11前と同じ生活を維持してる人は圧倒的に多い。いまだ「被災者」とされる人は十数万人だ。

福島という言葉の中で、一番共通しているのは「検査」と言う言葉。
食品検査、健康検査。
日々、検査という言葉がつきまとうというのが“異常性”としての福島。

「福島」という言葉を使って、福島が“避難、忌避、攻撃”された時には県民の意識の中に「共有」が生まれる。
しかし、日常の中では、県民同士の軋轢が増している。

賠償金の問題から始まって、生活習慣の相違や、伝統的な価値観の相違などでだ。

「レッテル貼り」はけしからんと言い、「一括りで言うな」と国の安全保障を巡っては言われる。

福島県には「福島」というレッテルが貼られたままだ。

「福島から始めよう」というフレーズが見える、聞こえる。何を始めるのかがわからない。
もし始めることがあるとすれば、まずは県民の中の共通した意志を持つことだ。
そんな意識の共有がいままであった試が無い国にあって、福島でそれが出来て、初めて「福島から始めよう」というフレーズが生きてこようとも言うものだけど。

昨日、安倍は福島を訪問していた。太陽光発電所を視察して、支援を約束した。西会津の地熱発電所を見て、それへの支援も約束したと言う。

葛尾村からの避難者が住む仮設住宅を訪れた。住民と懇談したというが、そこで何が語られ、彼がどう思ったかは、伝えられていない。もうネタにもならないということなのだろうか。

そして何よりも1F構内ではトラブル続出だ。管が破損しての汚染水漏れからはじまって、東電の対応の杜撰さ。それとてももう「慣れっこ」になってしまっているのか。

大方の「交渉事」は、その答えや対応は担当官庁や部署の中で「たらいまわし」にされる。丁寧な説明、それは“流行言葉”とされている。しかし、誰も確たる答弁はしない、出来ない。

「被災」に直接関係する人の間には、”疲れ“と”諦め“の感情が交錯している。

国を国民を守るため。その安全保障論議の中に、文字としては国民の生命や暮らしと言うものが記されている。語られている。
その論議の中に原発被害者の存在は、まったく“消されて”いる。

今、目の前に、4年間も放置されてきたような日々を送っている人達がいる。目の前にだ。それを語らずして、戦争を語ると言う政治の的外れさ。

4年と3ヶ月という時日の経過・・・。時の過ぎゆくままにとは言えまいに。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...