こんな会話が時々遭遇する。
「避難者は賠償金で車買ってさ、それもベンツやBMだ」
「うちの近所の借り上げみなし仮設でもさ、凄い車に乗っているよ」
「こっちは軽自動車なのにさ」。
その会話に異論をもって割って入りたいと思うが、取りあえずは「無視」することにしている。
賠償金を巡る軋轢は決してなくならない。あの大地震で家屋に被害を受けたり、放射線の“恐怖”を体験してきた人たちでさえ、カネがからむとこういう話になってくるのだ。
今まで通りの家に住み、仕事もあって、日常生活は3・11以前と変わりはない人達。その人たちが目先にある光景でいろいろ言う。
棲む家を失い、特に高齢者は狭い仮設の中で暮らすことに甘んじている。大方の人は仕事も得ている。若者も。
でも賠償金は入る。
ここにある「線」。一つの分断線でもある。避難者以外の人たちの意見や見方が「正しい」としても、どうもそれには与することが出来ないのだ。
だけど、出来上がったこの「線」は乗り越えるのは至難だ。
こうした県民の話を是としたのかどうか、いや、見透かしているからだろう。
賠償金は個人や企業にたいして、「両三年以内」に打ち切られる方向へと進んでいる。
除かれる帰還困難区域の範囲も狭められようとしている。
自主避難者に対しても家賃の補助は打ち切りになる方向・・・。
今、世の中は「目先のこと」でおおよそが論議され、評価がされる。
上記のような空気を避難者たちも知っている。だから、その“出自”を明かさないようにしている人もいる。
例えば「ベンツ」。極端から極端への転換だと思っている。大きな家から避難所、仮設。その反作用としての軽自動車から高級外車。
それを束の間の贅沢というなら、それもよかろう。先が見えないのだから。
「野良猫に餌を与えないでください」という看板論議に似ている。
野良猫に餌を与え、そこに住み着かれたら迷惑だということなのだろう。
でもちょっと「本質論」を考えてみよう。そもそもなぜ「野良猫が発生したか」ということだ。
川崎で先頃あった生活困窮者のアパートの火災死亡事故。マスコミの目線はその建物の構造や違法性に集中する。
実際に考えなければならないことは、眼を向けなくてはならないのは、なぜそこに住み着く人が生まれたのか、そこ以外に住むことが出来ない人がいるという社会構造なのに。
福島県民同士でも、カネが絡むと「寄り添う」ことは難しい。中央から大臣や副大臣が来て「寄り添う」とお題目のように言っていくが、しらじらしすぎる。
そこにも長く太い線があるのだ。
一時、「仮の街構想」というのが言われた。帰還困難なら、新たな土地にその“コミュニティーごと”移転すればいいという考え。
しかし、そこに謂われるような「コミュニティー」は成立できるのか。
友人、知人、支え合い。そこにも「線」があるのだ。人間、誰しも誰とでも仲良く出来る訳が無い。
集団移転、集団仮の街が実現しないのはカネ以外の「生きる術」にあるのだ。
「いつまでも賠償に頼っているのはどうかとも思う。避難指示が解除されたら町に戻って商売を再開したい」という人もいる。「でも、町民が戻ってくるのか」という悩みを抱えながら。
避難先でなんとか店を再開した人もいる。赤字続きだが。「でも、もう国の支援策には頼りたくない」という人もいる。
何にかかわらず引かれてしまった線はなかなか消せない。線を乗り越えるのも難しい。
だから、線は目先のことで引くべきでは無いと。
その線が引かれる本質。それは人間の性(さが)、そして原発と言う文明の“所産”。
2015年6月8日月曜日
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