2015年6月14日日曜日

リスクという言葉の「危うさ」

「リスク」という言葉が飛び交っている。リスクってどういう意味なのか。
時としてカタカナ語(日本語のカナ表記)ではない。いわば“外来語”というか、外国語。

それを使うことによって、日本語は時には“曖昧化”され、人はその意味をそれぞれが勝手に“解釈”する・・・。言葉の定義が“共有されていない”中での議論がかみ合うわけが無い。

過日、ある集まりで、言葉を巡る話の中でこのことを取り上げてみた。
「リスク」の意味を聞いた。逡巡して返ってきた答えは「危険」。
デンジャーという英語がある。それも「危険」という意味だ。
その違いは・・・。

「言葉の迷路」にはまりこむ。

原子力発電所に時々“視察”に行っていかころ、放射線管理区域の扉の前に書かれてあったのは「リスク」ではない。「デンジャー」だった。しかも髑髏マークさえ書かれているものもあった。

喫煙は健康への「リスク」があると多くが口を揃えていう。健康へのリスクとは癌などを発病することを指すのだろう。
たばこの包装紙にはこう書かれている。
「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」と。

リスク、リスク、リスク・・・。日本は「リスク社会」だ。どこにでも「リスク」が存在し、その言葉が徘徊している。人は好んでこの「リスク」という言葉を用い、漠然とした“概念”や“語意”の中でそれを使う。

今、国会で、その内外で多用されている「リスク」という言葉、用語。
「国民のリスク」「我が国のリスク」「自衛隊員のリスク」などなど。

自衛隊員のリスクとは、すなわち“戦死”とうことのはずだが、そのことも「リスク」という、いわば曖昧な言葉の中に包含されてしまっている。

ある時までは「リスク」とは“経済用語”として使われてきた。特に“バブル経済”というものがあった時。この“バブル”という経済用語とて意味や定義が特定されていない「ある種の現象」を指して使われはいじめたのだが。

40年近く前か。管理職講習というのがあった。その教科の中に「リスクテイキング」という言葉が書かれていた。意味が分からないからそのことを議論しようもなかった。意味を講師に問うた。話の腰を折るなと“コンサルタント”と称する人に怒鳴られた。
その研修の結果は人事部に通知されていたのだが、なんと評価されていたのかはわからない。

リスクという言葉を日本語として「認知」するのなら、それが何を指すのかと言う「共通の認識」が出来上がっていない限り、「リスク」を巡る論議はかみ合わないに決まっている。それぞれが思っている「リスク」の捉え方が違っているのでは・・・。

原発のリスクともよく言われる。そのリスクとは何か。事故を起こす可能性か、その事故が及ぼす広範囲の被害なのか。それも共有されていない。

言葉を弄んでいるのではない。

理解しあえる「共通語」を使おうということだ。

安全保障法制についての議論が、その法制の内容がわかりにくいと多くが言う。
わかりにくい言葉が多用されているからだ。安易に使われているからだ。

とかなんとか。日本を取り戻すためにはまず「日本語」を取り戻してはいかがかと。
とはいえ、日本語というのも、もともとその表現は「曖昧な文化」として、むしろ惻隠を持った美しい表現ともされてきたものではあるのだけど。

やはり「迷路」かな・・・。

“チェルノブイリ”異聞

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