地下鉄丸の内線の後楽園駅を降りて、先日事件があった中央大学理工学部の校舎の前を通り伝通院へ。目指すは大国屋という食堂・・・。
事件のあった理工学部の校舎は音楽研究会の練習場のあったところ。冨坂練習場。そこで4年間を過ごしました。大黒屋食堂は出前を頼んだり、食べにいったところ。毎日のように。恵ちゃんというお兄さんがいて。常に貧乏学生の胃の腑を満たしてくれていたところ。
音楽研究会の同期の集まりがあったのです。しかも思い出の場所で。同期生は14人。二人は60歳を待たずして鬼籍に入り。一人はもっか病気療養中。一人、静岡のチャンジイが急用でダメとなり、残る10人が勢ぞろいしました。北海道から滋賀県、富山県在住者も含め。彼らとはそのほとんどと年賀状の交流は続けていました。時々会う奴もいます。しかし、全員勢ぞろいは卒業後初めて。顔がわからなかったり、昔の面影どおりの奴も居たり・・・。幹事役のコンチャン(大村昆に似ていた)が一念発起。全員に「回状」を回し、実現した40余年ぶりの再会、邂逅。大黒屋で2時間半。すべて昔話しに我を忘れ。恵(もう70歳)ちゃん交えての昔日談。それぞれが思い出す回顧談をつなぎ合わせると一本の線が見えてくる・・・。
もちろん周囲の光景は全く変わっていました。練習場とてとうの昔に無くなっており、そこに校舎。そこには相撲部の合宿所や機動隊の宿舎もあり。相撲部にしか無かった電話を呼び出しで取り次いでもらったり。そうです。当時はまだ都電が走っていました。毎日その都電を水道橋駅から利用していました。都電の停留所あとはそのままバス停に。
大黒屋の時間を終えて理工学部の校舎の前をまた通り、御茶ノ水へ。校舎の門の前。刺殺されて教授への献花台。だれいうとなくそこで手を合わせ・・・。もちろん知る由も無い世代の離れた人なんですが。
御茶ノ水駅前の光景も様変わりでした。ネオン輝く繁華街。当時駅前には洒落た洋館の瀬川小児科っていうのがありました。「ここ俺の家、寄っていかない」。冗談を随分言ったものです。小児科の建物ももちろん無し。がっかりしていたら誰かが見つけてくれました。立派なビルにsegawa buildingと書かれている・・・。いろんなテナントが入っている・・・。
懐かしの中央大学学員会館で、夕闇とともに「宴会」再開。呑み、食い、語り合い。近況報告、サンデー毎日の連呼(笑)。回顧談・・・。そして健康談義。学ランを着て突っ走ってきた4年の時日。40有余の歳月は瞬く間に失われ。昔日の友の代わっており・・・。
夜八時過ぎ。散会の時間。「年に一度は集まろう」。再会を約し。学員会館から御茶ノ水駅までの上り坂がこたえる。そう、冨坂の上りもきつかった。4年間、そこが上り坂であったことを覚えておらず。苦も無く上り下りしていたんでしょう。
駅の改札入ろうとして気付きました。切符が無い。買っておいた切符がどこにも見当たらない。やむおえず東京駅まで。新幹線窓口で買いなおし・・・。なんたることや。
きのう午前中は横浜の妙蓮寺で会社時代の先輩の告別式でした。渋谷駅の改札を切符で出た記憶はあるのですが、往復乗車券。大人の休日クラブで買った年寄り割引の日帰り往復一万円の切符。たぶん渋谷駅で取り忘れたかコートを脱いだり着たりして落としたか・・・・。
坂のきつさといい、切符紛失といい、年のせいにするしかない出来事の数々。最後の仕上げ。新幹線で寝込んでしまい、間もなく郡山ですーのアナウンスで目覚め、とりあえず乗り越しだけは避けられたのがまだサイワイ(笑)。
本日は多少疲れております(爆)。そして再会の興奮を未だ引きずっているのであります。最近、「昔の」集まりが増えました。みんな懐かしく集まります。誰しもそうなんでしょうか。みんなそれぞれ「残日録」をつけはじめようとしているのでしょうか・・・。