2019年10月19日土曜日

自然は人類を見限ったのかも。

台風19号が甚大な被害をもたらしてはや一週間。
被害は続いており、被災された方々の「悲嘆」「苦労」如何ばかりかと。

我「当事者」にあらねども、「思い、考える」ことしか出来ぬのが歯がゆい。

台風19号の被害。我が家は無事だった。しかし、近くの中小河川の氾濫は多くの被害を目の当たりにしてくれている。
知人の多くも被災したと聞いた。

災害がある度に、我々が手にしてきた科学文明の進歩が、無残に打ち負かされていく。
台風の後には地震が来るともいう。現に、その「大きさ」は巨大ではないが、不吉な災害も予想される。

関東大震災、昭和初期の室戸台風。自然災害の度に引き合いに出される寺田寅彦の言葉。
「文明が進めば進むほど、天然の暴威による災害はその激烈さの度合いを増す」
まさに然りだ。

「国中に電線やパイプ、交通網がはりめぐらされた有様は、人間の神経や血管と同様である。その一カ所が故障すれば、影響は全体に波及する」とも。
ハザードマップを見ると“血管”の様子が人間の血管の張り巡らされている様子に重なる。

永平寺にある「水五訓」の中の記述。。
“自ら活動して他を動かしむるは水なり”
“障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり”
”常に己の進路を求めて止まざるは水なり“

本来は水に喩えた人生訓なのだが・・・。

東日本大震災時、高台にうずもれていた石碑がいくつも見つかっている。
先人のが身を以って記した後世への遺訓だ。

「これより下に家を建てるべからず」。

東日本大震災の津波は、それらの碑の前まで来ていた。

もって瞑すべしだ。

治山治水。国策の要諦だ。
徳川家康も武田信玄もいかにして川の氾濫を食い止めるかに腐心した。
領民を総動員する形で、人力を主に、堤防をつくり、暴れ川の川幅を広げ、蛇行を修繕することに腐心したと言う。

阿武隈川の増水、反乱。その支流のバックウオーター現象。
本宮と言う町は完膚なきまでにやられた。

1級河川を管理するのは国土交通省。
国交省の「人為ミス」で、氾濫被害にあった事象が目立つ。
ダムの放流に際しても然りだ。

人間には「安全バイアス」という脳の作用がある。

そのバイアスが働き過ぎたのかも。

安倍晋三の首相就任にあたってのキャッチコピー。「美しい国」。
法律としての国土強靭化。
眉唾であったような気がしてならない。

政治家の発言や行動には、その人の見識、人間性を疑わせるようなものが多々あった。
それを「無責任バイアス」とでも名付けるか。

今も、被災地の復旧を妨げる無情の雨。
吾、「当事者」にあらねども辛さとくやしさぞ増す。

どうしてこの人が率いる内閣って災害に対してこんなに動きが鈍いのだろうか。

そして、間違いなく言えることは、この種の災害はまだまだ発生する。

自然は人間を見くびっている。

せめて東京の都心にある「地下神殿」を、あるいはそれに類する類の対策を、避難所とされたところの居住環境の整備。

溢れだす水、水が無いと苦境を訴える人々。
泥を流す水も無いということ。
御託を並べず、泥に浸かりながら作業に当たる消防団などの民間人、そしてボランティアにただただ敬意を表する。

偽善めいた“視察”、その翌日「調査の結果、激甚災害にしてします」。

美し国の「正体」を見た。

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