2010年8月2日月曜日

近所の人・・・

大阪のマンションで起きた幼児放置虐待死事件。鬼畜にと言うが鬼でもこんなことしない。まして畜生と言われる動物だって。容疑者はまさに「人間」。こんな事件が増えている。子供が味わった地獄。人間は病みきっている・・・。


児童相談所。通報受けて駆けつけたのが数時間後。なすすべもなく帰ってくる。「権限」無いからと言い訳。これをお役所仕事と言う。一応やることはやった・・・。一応じゃ解決しないことが多いのが今の世。


それにしてもテレビのカメラお前で滔々と語る近所の人。泣き声が聞こえていた。おかしいなと思っていた。普通の親子のようではなかった。いつの間にか泣き声が止んでいた・・・。あのマンションの隣の人なのかどうか。インターフォンからも子供の叫び声が聞こえていたと"証言"。結局彼らはなにもしなかった。児童相談所に匿名で通報しただけ。テレビカメラの前でよくもしゃべれるものだと。


「異変」「事件」は十分想像出来たはず。泣き声なくなって静かになったからほっておいたのか。ゴミの匂いが臭かろうと隣の部屋からベランダ越しに覗けなかったのか。役所の人含め。


個人情報、プライバシーなどという「思想」が余計なお節介と善意の介入を妨げる。マンション群。地域課の警察官も把握できていないし、そこまでやる気は無い。


よくある光景。事件があったあと、滔々と、時には薄笑いを浮かべるような表情で喋り、メディアに露出する「近所の人」。助けるための努力はしたのか。そんなの無理ってことでしょうが。家宅侵入罪覚悟で乗り込む人があってもいい。


「しらんぷり社会」。それが今のニッポン。そんな気がして。こどもの泣き声きいて引っ込んでいたのならテレビが来ても引っ込んでいろって。テレビを見てての傍観者印象論。


風俗女はどうでもいい。子供二人は助けてやりたかった。あの二人の子の運命、宿命と片付けるには余りにも酷すぎる・・・。


「近所の人」。「児童相談所」。遠くの親戚より近くの他人。そんな言葉さえも死語になったような昨今。遠まきで見ている人達に「不作為の犯罪」を見て取ってしまうのは遠くの無責任おやじの偏見か。


みんなが貧しかった戦後には地域社会があった。食えない子ども達は周りの大人にどうにか支えられていた。豊かになったこの国では地域社会は崩壊している・・・。



“チェルノブイリ”異聞

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