2018年5月13日日曜日

官邸の“黒い霧”

かつて政界には「黒い霧解散」と呼ばれる“政変”があった。
政治家が関与した疑獄事件、汚職事件が多発し、その「霧」を吹き払おうとした解散。
極端な話し、政界はしばしば黒い霧に覆われてきた。

「黒い霧」とは松本清張が書いた政界の不祥事を称した言葉だ。名付け親は松本清張だ。

いま、また首相官邸に「黒い霧」が渦巻いている。

加計問題を巡る通産省出向の柳瀬唯夫秘書官の行動、言動の件。
過日の国会での参考人招致で、かって首相秘書官の経験がある江田憲司が自分の経験をもとに質問していたが、いささか隔靴掻痒、ポイントがずれていたような思いがした。

あの参考人質疑やその後の愛媛県知事の会見を聞いておもったいくつかの疑問。
なぜあの加計関係者や愛媛県職員、今治市職員が面談することになったのか。
その経緯が判然としない。

首相秘書官が、多忙なはずの秘書官が、日程をたくさん入れるのが好きな首相の秘書官が「記憶にない」面談が実現したのか。

首相からの指示があったのか。
かねて面識があった加計学園の関係者だったからか。
おおかた、秘書官といえども官邸の要職あるものがなんらかの“介在”が無ければ「陳情」を受けることは無い。
議員であっても野党なら入門を阻止される時代。

政治部の記者になった時、テレビの用語では首相と言うのは使ってはいけない。
総理大臣とすべきだ。各大臣にしても相という言葉はつかってはいけないと教わった。
何故なら、読みいくいし、発音もしにくい。間違って聞き取られることがある。というような理由だった。
首相案件でなく総理案件というのが自分たちの「正しい用語」だと言う“柳瀬理論”の根拠もここら辺にあるのだろう。

しかし、永田町居住者以外では多くが「首相」だ。文字化するときは尚更だ。新聞では首相と表記されている。

名刺が出てきた。ということは名刺交換が行われたという事の証左だ。
それを「相手方の名刺をもらってないか、探したけれど見つからなかった」というのは秘書官室の事務怠慢だ。

官邸に入るには「表門」と慣例でよばれる警備小屋兼受付の様な「関所」がある。
「表門さん、どこそこの誰それさんたちが見えますが面会はOKです」と事務方の連絡がいくはずだ。いきなり来ても入れるはずはない。
受付では名前などを書かされる。警備上の都合もある。
面会記録がないということは有り得ない。

首相と秘書官は一心同体である。常日頃、連日事務報告事務連絡は欠かせない業務だ。親分に報告していないという事は有り得ない。
面談の時にはお茶が出されるはずだ。事務職員は知っているはずだ。

「官邸の中にいると世間の事に疎くなるので、なるべく外部の人と会うようにしている」。
おいおい、あんたは宮中に居るのじゃないぜ。

首相の傍にいつもいるのだから同席していれば”外部“の様子は逐一わかるはずだ。
彼の言い分は「総理も世間の事に疎い」と言っているに等しい。

内閣記者会の記者は毎晩のように秘書官宅にも夜回りに行く。世間と接触できているはずだ。

首相秘書官は田中内閣までは政務秘書官、大方は首相にずっと仕えてきた秘書。
事務秘書官は大蔵省、外務省、警察庁からの出向だった。
田中内閣の時に田中通産大臣の有能な秘書官だった小長啓一氏が首相秘書官になった。彼を角さんが見込んだからだ。
彼は日本列島改造論も書き、田中首相の国会演説原稿も書いていた。

田中内閣の名残か。通産出身の秘書官が定位置を占めた。
今や官邸は通産、ではない経産省か、そこ出身者が枢要な地位を占めている。

今の建て替えられた官邸にはもちろん入ったことがない。
今は公邸といわれる昔の官邸の模様を想起しながら「おかしな点」を列挙してみた。
白亜のような官邸にはどうも黒い霧が立ち込めているような思いに捉われて。

官邸に発生している霧が日本中を覆わないようにと念じながら・・・。

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