1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。
“本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。
しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦、烹炊婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。
所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。
さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。
一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。
沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを“
大田中将は打電後、壕の中で自害した。
いわば遺言とも言うべき「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」という遺志は生かされたのだろうか。否であった。
戦後、沖縄県から全国高校野球に参加が認められたが、負けた彼らは甲子園の土を故郷に持ち帰ることは許されなかった。
沖縄は未だ「日本」では無かった。施政権を持たなかった。米軍の検疫は「土」をも許さなかった。
いつの間にか米軍基地が70%を占めるに至った。
終戦時、皇太子だった平成天皇は11歳。疎開先からもどって聞かされたであろう「沖縄」についてはさしずめ心を痛められたのだろう。
皇太子妃を得てから、天皇になってから、沖縄を11回、慰霊の訪問をされている。
大田中将の“遺言”を実践するために。
これは勝手に想像した「天皇と沖縄」である。
天皇としての最後の誕生日の記者会見で天皇が述べられた言葉。
「沖縄は先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解する様に努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わることはありません」。
民主党政権時、首相だった菅直人は「いま“琉球処分”という本を読み、沖縄について勉強しています」と国会で答弁した。彼は何を学んだのか。
安倍晋三は正月休みに本を読むと言って、百田尚樹のコピペだらけの「日本国記」を机の前に並べて悦に入っていた。
象徴という天皇をどう理解すればいいのか。
憲法第1条。天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・とある。
象徴の意味を一番理解されているのは天皇自身では無いのか。
美智子妃が沖縄について詠まれた歌の一つ。
<雨激しくそそぐ摩文仁の岡の辺に傷つきしものあまりに多く>
大田司令官の三女、愛子さんの詠める歌。
<身はたとへ沖縄の野辺に朽ちるとも祖国守ると父は逝きにし>
今年最後の駄文でした。
2018年12月30日日曜日
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