桜の季節である。
川の土手も公園の樹々も、あるいは地蔵堂の一本の樹も、桜いろに染まっている。
あちこちで桜の話しに花が咲く。宴が話題になる。
テレビもあちこちの桜の光景を伝えてくれる。
「3・11」以来、桜と言う毎年季節を彩り、人々の目を楽しませ、こころを躍らせる美しい花に対して、“複雑”な思いを抱いてしまうようになった。
全町避難を強いられた富岡。
何回か訪れたあの見事な夜の森の桜並木。
今年は帰還が許可された地域で、戻った人を含め、観光客の目を楽しませてくれている。
夜の森公園の桜並木は、南相馬小高区出身の実業家であり、教育者であり、衆議院議員も務めた半谷清寿と言う人が、あの地域の入植・開墾に当たり、明治34(1901)年に、理想の村づくりを求めて、不毛の原野に300本苗木を植樹したものだ。
半谷の著作「将来之東北」を実践するかのように。
原発事故後の今頃、桜の季節が訪れようとしていた時期。避難所のビッグパレットのダンボールで囲われた居所の中に、その夜の森公園の桜を写した写真を持参してきた人がいた。
頭を下げに来た東電の社長に「この桜を観てください」と静かに言い、「桜がどうなってしまうかそれだけが気掛かりです」と語りかけていた。
その光景が未だに脳裏を離れない。
2011年の春、桜を観ることに苦悩した。
今日の新聞にある人の死亡記事があった。
水俣病資料館の語り部、前田恵美子さんの訃報。彼女も3歳の時に水俣病を発症している。2013年、天皇・皇后両陛下が水俣を訪問された際、自作の「ピンクの花が好き」という歌を披露したという。
水俣病を書き続けてきた石牟礼道子の作品の中にこんな話が記されている。
きよ子という胎児性水俣病患者の母親が語った話だ。
「死ぬ前の頃でしょうか、桜の散る頃、ある日、眼を離した隙にきよ子は括りつけられていた紐をほどいて廊下に行き、縁側から庭に転げ落ちていました。
“おかしゃん、おかしゃん”という声を聞いて駆け寄ってみると、曲がらぬ手のひらに桜の花びらを握りしめていました。“おかしゃん、はなば”と喋れない口から絞り出すように声を出して。
きよ子は命をかける思いで桜の花びらを手にしたかったのでしょう」と。
そして母親はこう訴える。
「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子の代わりに、拾うてやってはくださいませんでしょうか。花の供養に」
悲しく、惨く、そして美しい話だ。
明日は病院に行く日。途中の笹原川の桜は見事に咲き誇っている。
今日の風で花びらが散っていたら、その花びらを数葉拾うつもりだ。
そしてそれを小さなガラスの器に水をはってうかべてみる。
そしてーー。
「桜よ、あなたはいったい何者なのだ」と問いかけてみる。
この7年間がそうであったように。
2018年4月12日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...