2018年3月18日日曜日

「国民のカルテ」としての公文書


いわゆる森友問題でこの国は揺れている。
森友問題と言う表現は事を矮小化させる。
国有地の不当払下げ問題と呼ぶべきだ。

公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけている。
その公文書が改竄、隠ぺいされることは何を意味するか。
民主主義の根幹が失われるという事だ。

公文書とは国家による国民のカルテだ。
公文書とは歴史の記述だ。

そのカルテが改竄、偽装されていたらどうなるか。

もし、病院のカルテにそういうことがあれば、患者は間違った治療や投薬を受けることになる。医療の間違いは患者の生命にも関わる。

公文書の改竄は国家を死に至らしめるということだ。

国の歴史が隠ぺいされ、あったことがなかったことにされるという事だ。

城山三郎の著名な作品に「官僚たちの夏」というのがある。
通産官僚の姿を書いたフィクションだ。いや、ノンフィクションだ。
文学として書かれたジャーナリズムだ。

登場する人物は実在した官僚や政治家がモデルとなっている。
主人公はあのミスター通産省といわれた佐橋滋。日米貿易摩擦が国家的問題となっている時の官僚たちの姿を書いている。
省内の派閥争いやノンキャリ官僚の実直な働き方。
官僚としての国家観。

自分たちの政策を実現させるべくいかにして時の政権と関わっていくか。
政治家を説き伏せるか。池田勇人派、佐藤栄作派、その他の自民党の実力者。

政治家の思惑を巧みに利用しながら国家の為という信念で動いた官僚たちの姿。

今の官僚たちと比べれば今昔の感しきりだ。

貿易摩擦でやり玉にあがった自動車産業をいかにするか。
ノンキャリの官僚は自動車メーカーの下請け工場にまで出向く。
現場主義の官僚たち。

この小説は「官僚のカルテ」だ。

森友問題を見ているとこの小説が浮かぶ。

そして考える。森友問題とは何かということ。なぜ森友問題が起きたかということ。
それは「○(まる)政」問題であり、保身を願う役人にとっては至上命題だったということ。○政とは政治家が絡んだ、政治から要請があった課題だという事。

しかし、なぜ政治家があるいは政治家の妻がそれに関与することになったのか。
そこに、この問題の“暗部”を看るのだ。

いま官邸は通産官僚で占められている。1級官庁の財務省は官邸の中で目立たぬ存在になっている。

何故籠池が政治家とつながりを持てたのか。安倍昭恵と関わりを持つようになったのか。
それらの接点の根源がわからない。

「もし、わたしやわたしの妻が関係したのであれば総理大臣どころか議員もやめます」と言わしめたのは籠池側が”悪だ“という認識があったからだろう。

政治家の質や力量は一時と比すまでも無く低下、劣化している。
官僚の書いた紙を読まなければ演説も答弁も出来ない。

政治主導なる“妄言”に国民は欺かれている。
内閣人事局なる“官邸主導”の欺瞞を見抜いている。

だってそうでしょ。
昨日までは「適材適所」と言っていた人物が、公文書改竄の元凶にされる。

安倍夫人の名前が黄門さまの印籠の如くに書かれている。発言内容も書かれている。
「妻に確かめたところ。そんな発言はしていないということだった」と安倍は言う。
ならばあの改竄前の公文書は虚偽の事実を書いていたということになる。
ならば「適材適所」とされた人物やその部下だった官僚が「嘘」を記したということになる。
ならば告訴するべきだ。国政を混乱させ、名誉を毀損させられたという“罪状”で。

明日の参院予算委でどんな論議が交わされるのか。
週末の世論調査がどんな数字となって出るのか。

週末も安倍は、麻生は、側近を集めて逃げ切り策を、想定問答を話し合っていることだろう。

昨夜、友人たちとの集まりがあった。この問題に一人が話を向けると堰を切ったようにめいめいが口を開き、意見を語っていた。
大方が疑問を呈し、疑念を語り、あげくこの国の行く末にまで論議が及んでいた。
市井の民の雑談と言ってしまえばそれまでだが、国民の大多数が関心を持っていることだけは間違いない。

週末に選挙区に帰った議員たちはどんな選挙民の声を聞いてくるのだろうか。

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