2018年1月11日木曜日

変化の年としての平成30年

暦とはある意味非常にうまく作られたものかもしれません。
人の一生についても「干支」をもとにして60歳を還暦としました。
それは時代についてもあてはまりそうです。

今年から60年前は、昭和33年。もろもろ変化を予測させる年でした。
ようやく戦後の空気が変わりはじめていました。

モノクロのテレビが登場したからわずか数年。テレビは各家庭に急速に浸透しはじめていました。
カラー化されるとは誰も予想していませんでした。

フィルムの映像がVTR化されるとも思っていませんでした。
団地族が雨後の竹の子ように生まれていました。

インスタントラーメンが出来ました。今のインスタント時代が幕を開けていたのです。

1万円札も発行されました。岩戸景気の幕開けのような時代でした。

その頃17歳の少年は「警職法反対デモ」に連日のように参加していました。
それは去年の共謀罪法の端緒だったのかもしれません。

テレビが衛星中継機能を持つなんて誰も予想していなかった。
電話もすべての家庭には行き渡らず、電話を引くには多額の債権購入が必要でした。

しかし、誰もが何かの変化を感じ取っていたようです。

そして60年後、テレビは形も機能も変わり、電話は一人一個の携帯電話、スマホになりました。

電話機が世の中を激変させたのです。

「電話が写真の機能を持つようになった。いや、写真機で電話が出来るようになった」。村上春樹の騎士団長殺しという小説の中にある一行です。

スマホという「怪物」が世の中に何をもたらしているのか。
人間性を剥奪する行為に大いに貢献しているような。

SNSという「サイト」は9つもあるそうです。
フェイスブックもインスタも「写真」がなければ意味を持たないような気風。

「個」をさらけだすSNSへの投稿。

プライバシーなるものとSNSは「VS」なのか「WITH」なのか。

アメリカの大統領は常にツイッターなるもので私見を打ち込んでいます。

大方の病院の医師の診察室にはパソコンが常備されています。
レントゲン写真は現像などという手法では無く、撮影すれば瞬時に医師の前のパソコンに画像が届きます。

診療室で医師がパソコンを見る時間と、パソコンと向かい合っている時間と患者の顔を見る時間とどっちが多いか。

スマホの功罪――。
それを持っていれば電話も出来る、メールも出来る、写真も撮れる、さまざまな情報にも接することが出来る。

かたや、ながらスマホは事故を生み、イヤホンを通じて大音量の音楽が頭脳に突き刺さる。スマホ依存症という病名も生まれた。
人間関係がスマホを介在してのみ存在し得る・・・。

そしてスマホは5Gの時代になるそうです。第5世代。スピードが今の何百倍にもなるとか。

そんなにスピードを求めて何が得られるのか。
遺伝子のゲノム編集も進化するそうです。

科学技術の進化は止まるところをしりません。
今年を変化の年とするならば一言。「立ち止まる」ということではないかと。
世の中の流れに無条件で身を置くことでは無いのだと。

「立ち止まる」という詩がある。福島の詩人長田弘が書いたもの。

立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば、
 雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
 草のことばを話せますか?

立ち止まらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。


 「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態だ」と言った人がいる。

“スマホの正体”を言った言葉のように思えて・・・。

きょうは11日。あの時スマホが果たした「功罪」。いや、スマホだけではない「ネット」。それを考える日。

“「その日」のために何かをするのではなく、その時にあったことのために何かができるように、世の中の今を見ることが私たちには必要だと思う。”

青森県の16歳の女子高生の言葉に頭を垂れるのです。
この高校生の60年後はどうなっているのだろうとも。

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