落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。
道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。
ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。
その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。
枯葉はどこから飛んできたかはわからない。やがて口論になる。
枯葉処分の「責任論」。
東京電力福島第一発電所の爆発事故。大量の放射線が各所に飛散した。
二本松にある岩代・小浜城ゴルフ場は汚染された。
客足は遠のいた。経営破たん。別の経営で再建。
ゴルフ場は汚染が原因だとして東電の「責任」を問い提訴した。
東電や裁判所の見解。放射能汚染は風が飛散させたものであり、東電のものでは無い。その放射線は「無主物」だ。責任を風のせいにしたとんでもない「責任論」。
福島県内の被災者から集団提訴されている裁判。
東電の元幹部、会長・副社長らは「津波を予測し得る立場になかったとし、勝俣元社長・会長に至っては「部下から報告は上がってこなかった。知り得る立場に無かった」と無罪を主張した。我々には「責任」はないと。
よしんば「知り得る立場になかった」という主張が事実だとしてもそんな組織を作っていた彼らには「責任」があるはずだ。企業のガバナンスとして。
南相馬の小高区の一部住民が起こしていた原発事故の損害賠償訴訟。いわば第三者のようなADRの和解案すら東電は拒否した。
原発事故の「責任」は会社も国もとっていない。
宙ぶらりんのままの「責任」。
シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏に関する「自己責任論」はいまだ続いている。それは彼が“個人”だからか。
自らは“安全”なこの日本という国に居て、彼の責任を云々する。それはいわば同業のジャーナリストと称する人達が言うべきでは無い。
“私はこのテレビ局の社員です。社が許可しなければシリアには行けない。
一人で、彼の地のことを伝えようとした安田さんの行為を責めるべきでない“
モーニングショーでテレビ朝日社員の玉川徹が怒りをぶつけていたのは腑に落ちた。
「政治責任」とは何だ。言葉だけが存在している。
「説明責任」、それを丁寧ではないまでも果たしたことはない首相。
「責任」「責任」という言葉が連日のようにいわれる。
連日のように企業のトップや学校関係者がテレビカメラの前で頭を下げている。“もうしわけありません”という言葉を並べて。
「製造責任」と言う言葉も聞かれる。
それらの背景には成長の名のもとに、あまた便利で快適で豊かな生活を求めてきた「消費者責任」だってあるのではないか。
落ち葉の季節に思う。
“焚くほどは風がもてくる落ち葉かな”。良寛の句だ。
良寛の教え「足るを知る」。科学文明が進み、AIが進化していく。
良寛の教え、価値観は時代遅れの言葉なのか。意味を持たない言葉なのか。
あとで枯葉一葉に伺てみることにする。
焚くほどに風が持ちくる落ち葉かな
2018年11月14日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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