2017年1月9日月曜日

ボク、「一般の人」なんですけど何か・・・

とにかくこの肩書社会の国。何かの名残だろうか。おおよその書類には職業を記入せねばならないような欄があり、役職欄まである。

職業とは、それを生業にしているものであり、カネを稼ぐ手段なのであり、職種は時にはステータスともなる。
しかし、それを持たない身、“年金生活者”としか書く以外に無い。
“無職”としか書く以外にない。

仮に交通違反を起こし、違反切符に、無職と申告したら、多分、怪しげな眼でみられるのだろう。年金生活と申告すれば、事故を起こす年齢層と区分され、免許証を返納しろと若い警察官から言われるのかもしれない。

無事故・無違反なんだけど。

「一般人」という区分けがあるようだ。

例えば芸能界、テレビに出ている人やテレビ局の中で。
結婚や離婚の報道、お相手は「一般人」と言われる。有名人や著名人ではない、タレントではない、センセイと呼ばれる人でもない場合は。

かねがね疑問に感じていたこの「一般人」という呼称。ワイドショーに毒されたのか、官房長官さままでが使い始めた。

そこまでやるのか、と思う「共謀罪」なるもの。法案の呼称は変えて「「テロ等組織犯罪準備罪」とした。内容も一部変更したが、いわば(安倍の常套句)お得意の単なる言葉の言い換え。しかも”テロ“と言う字を前面に出し、国民の恐怖感を利用としているシロモノ。

テロとはおおよそ無関係なものまでがその法律の適用範囲になっている。
甦るんだよな、高校生の時にはじめてデモに行った、警職法改正の事が。
警察官が恣意的に市民を“犯罪者扱い”にしようとした時のことが。

で、菅官房長官が言った。「一般人は対象としない」という詭弁。彼の思い描く一般人とは誰か。

おおよそ、日本という国の中にあって、一般人ではないのは天皇家だけだ。

政治家だって、一般人だったのが、選挙に出てたまさか当選したにすぎない「ただの人だ」。

“猿は樹から落ちても猿だが、政治家は選挙で落ちればただの人だ”。
永田町で流行った名文句。

政治家はおしなべて「センセイ」と呼ばれる。政治家同士でもそう呼び合う。
大学教授も小・中・高の先生も「センセイ」だ。お互いそう呼び合う。

医者もそうだ。弁護士もそうだ。一般人の家庭の出なのに、国家試験に合格すれば「センセイ」という呼称、肩書を持つ。お互いがそう呼び合う。

官房長官から「一般人」と呼ばれると、なんだか「下にみられている、侮蔑されている」と感じてしまう。

ふざけんなよ、おめえら一般人に名前を書いてもらって当選してきた奴に過ぎないじゃないか。

一般人とは誰か、一般人とは何か。

昔の一般人としてのジャーナリスト、マスコミ人なら食いついただろうに。
あんたらだって下手をすれば「共謀罪」の適用対象になるんだよ。だからビビッているってことかい。

無職の年金生活者、後期高齢者は一般人の中に入っているのだろうか。
「一般人以下」ということなのか。一般人にも入れない“元イッパンジン”。

で、当ブログ、からから亭日乗、「毒舌」はしばらく“放牧”します。
休載へのご懸念は“ご放念”下さりたく。

各種の“メンテナンス”これありにつき。


ただ今日の一言。

ワイドショーは「荒れる成人式」を取り上げるなよ。テレビに映るという彼らの承認欲求を満たすためだけのものだから。

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