2011年7月22日金曜日

「被害者」が「加害者」になる不条理

連日テレビを賑わす”汚染牛肉問題”。きのうのテレビ。”消費者”の着飾ったおばちゃんがカメラに向かって言っていました。「心配です(自分の健康)、しばらく福島県産の牛肉は食べません」。その映像の後ろに台風の余波と思われる風にはためく「がんばろう東北」ののぼり。偶然なんだろうけど余りにも”滑稽”なテレビが切り取ったヒトコマ。

福島県の畜産農家は壊滅的な打撃を受けている。放射能汚染が牛にまで及ぶ。
当然政府は想像力を働かせ予想すべきであり、対策を講じるべきだったにもかかわらず。
最初は乳牛。暫定基準値を超えていたということで福島県産の牛乳は出荷停止。乳牛農家は廃業にまで追い込まれた。「処分」される牛を泣きながら、ごめんねといいながら見送っていた農家の人の姿は忘れられない。

そして起こったのが肉牛。餌のせいで、藁のせいで放射性セシュウム検出。肉牛出荷停止。酪農家の怒りや悲しみ。計り知れない。

汚染されたという藁は福島県だけにとどまらない。宮城でも他県でも。酪農家も藁農家も「被害者」である。その被害者がいつの間にか「加害者」にされてしまっている。牛を出荷した農家は陰湿な仕業にさらされているという。メールや電話やなども含めて。

この経過を伝えるメディア。特にテレビ。汚染牛、福島。新聞の見出しもそうだ。大きな見出し。大きな字幕スーパー。色まで変えて。
どこにその肉が行った、どこにあった。どこのスーパーでと。見ている人は思う。読んでいる人は思う。福島県産の牛は全部汚染された「悪い牛」だと。まるで探偵ごっこのように肉の行方を追い、「消費者」に、怖い、嫌だ、食べないと言わせる。その報道の仕方は、むしろ誇らしげだ。俺たちは正義の味方だといわんばかりに。そして付け足しのように専門家の見解。「200グラムを毎日食べても、1キロの肉を食べても内部被曝量は0.008マイクロシーベルト」だと。もちろん、他の食品や自然界から受ける放射能の累積って問題はあるにしても。

でもね、だったら安心じゃないの。なんで「出回っているけど安心」って見出しやタイトルにしないのか。安心じゃニュースにならないから。

視聴率競争なのか。騒然となる話題がいいのか。「安心」は付けたし。「不安」は怒涛の如く。煽る、煽る。新聞の訂正記事。誤報は大きく。訂正はベタ。それと同じ。

不安を煽ることがそんなに楽しいことなのか。

福島県産の牛肉はもう終わり。そのうちに他県産の牛肉にも飛び火するでしょう。
食卓から、飲食店から牛肉が消える日。あながち想定外ではないかも。
牛肉は大幅な値崩れ。畜産農家はやってられない。

放射能汚染は、こころも汚染する。汚染列島。不条理はさらに生まれるはず。

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