2011年7月21日木曜日

フクシマの子供の寸描

福島県福島市飯野町。計画的避難区域に一部が指定された川俣町や霊山地区に隣接している町。きめ細かい放射線量はわからないが、おおまかに見ると空間線量は1.2マイクロシーベルト。側溝では6ミリシーベルトが観測される地域。原発からまさに北西方向にあたる。 UFOの里を呼び物に町おこしをしていたことでも有名。風光明媚な「田舎」。

ツィッターから拾ったasahi. Comに書かれていた記事。以下転載してみます。


支援の車に「ありがとう」 福島の姉弟手振り続け3カ月


 福島県の沿岸部の被災地と福島市を結ぶ国道114号沿いに毎日朝と夕、小学生の姉弟が立っている。福島市立青木小学校6年生の広野あみさん(12)と4年生の諒君(10)。行方不明者捜索などで行き来する警察や自衛隊の車両に手を振り続け、3カ月になる。
 夕方、福島市飯野町青木の峠道。警視庁のパトカーが来た。2人はカレンダー裏に書いた「おかえり!!」「いつもありがとう」のメッセージを急いで広げ、手を振って「お疲れさまでした」と大きな声をかけた。警察官も手を振り返した。
 始業式だった4月6日、通学路の国道114号は全国から派遣された警察と自衛隊の車両が連なり、横断できないほどだった。「大きくなったら、人を助ける仕事がしたい」という諒君が、登校前と下校後に手を振るようになった。やがてあみさんも加わった。車が多く通る時間に合わせ、平日は午前6時20分と午後4時半からそれぞれ1時間余り国道脇で待つ。

昨日から多分青木小学校も夏休み。この姉弟はきょうも立っているのだろうか。足元には側溝が見える。記事には線量のことは書かれていない。親がどう思っているかも書かれていない。食い足りないけれど立っていることは事実。

国道114号は通称富岡街道と呼ぶ。富岡から福島市に通じる道。この姉弟は放射線量のことをどれくらい認識しているかも記事にはない。しかもこの記事。新聞紙面には載っていないような。

「それでも彼らはじっと立つ」。これも福島県下で暮らす子供の一つの姿。彼らの住んでいるところの線量は郡山より高いはず。

郡山の子供たち。親の意向が大きいのだろうか。表にはほとんど出ない。県外に多数避難している。避難しようかどうか悩む親も多い。これも福島県下に住む子供の一つの姿。

無責任に聞こえるかもしれないが、亭主はこの広野あさみちゃんと諒くんの側に立つ。

「新聞は美談ばかりしか書かない」と批判する人たちもいる。醜悪なことも伝えるべきだとは亭主も思う。でも、こういう“美談”はいいじゃないの。「こころの汚染」をいささかでも除去してくれるような気がして。

“チェルノブイリ”異聞

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