2011年7月17日日曜日

森をみて木を見ざるがごとし

木を見て森をみざるがごとし。古くから言われている諺。目先のことにとらわれて大局を見失うことを戒めたもの。

過日、仙谷由人は仮設住宅の遅れを問われて、こう述べた。「市町村によってマンパワーの違いがある、市長さんの力が違うからだ。遅れていると批判するのは、まさに木を見て森を見ざるだ」と。

なるほど。仙谷は森を見ている政治家だったんだ。

最近仙谷と菅は仲が悪いといわれている。本当のところはわからないけれど。
その菅はぶち上げる。「脱、原発依存」を。エネルギー政策の転換を。そして、それを政権としての公約ではなく、個人の思いだという。「思い」の政治。それはもう鳩山でこりごり。なんで民主党政権は「思い」ばかりいうのだろう。
「思い」なんてすぐ変わる。鳩山の前例でわかったはずなのに。

「思いの政治」に賛辞を送る一部のジャーナリズムや論壇がある。文学者が思いを語り、書くということは意味のあることだが、政治と言うものはさにあらず。その国の有り様にかかわってくるのだから。言った言葉の内容ではない。菅直人の本質を分かっていて送る賛辞なのか。

菅の言っていることはまさに「森」。今、「木」を見なくては。木とは即ち目の前のこと。被災民、避難民、生きる術を失いかけている原発被害者。
菅が本心から、政治家としての良心をかけて「脱原発依存」を言っているのだとしたら、あえて言おう。「森を見て木を見ざる」と。森を構成しているのは数々の木なのだと。木を守らないで、救わないで、森は成り立たない。

今日の新聞にあった一人の訃報。岩本忠夫、82歳。原発のおひざ元、双葉町長を5期20年務めた男。20年間原発と付き合って来た男。
反原発を掲げて社会党所属の県会議員をつとめ、やがて“転向”。一時は反原発運動のリーダーだった。町長になって初めて気づく。余りにも酷い赤字財政の町。町長を努めたいという権力欲がそうさせたのか、町を救うためにそうせざるを得なかったのか。東電の「金」に町を預ける。東電無くして町は成り立たなかった。原発誘致に舵を切った。反原発という「森」を捨て、町を生かすという「木」を選択してしまったともいえる。

双葉町の歴史に彼の名前は刻まれる。良きにつけ悪しきにつけ。

原発事故当時、彼は重い腎臓病を患い、双葉町の病院で人工透析を受ける患者だった。爆発で彼も家族とともに避難民になった。結果、福島市に移住。容態急変。一昨日亡くなったという。

東電に原発に裏切られた。その「思い」を強く持っていたのかもしれない。異郷の空を見ながら、我が半生をどう思っただろうか。

きょう福島市内で行われた葬儀。東電からの参列者はあったのだろうか。「功績者」に対しての惜別の言葉、詫びの言葉はあったのだろうか。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...