時代にそぐわないようですが、なぜか「西暦」が苦手なんです。
気が付けば21世紀も18年が経ったという事。
20世紀と21世紀では何が変わったのかということ。
1999年12月31日から2000年1月1日。日付を跨いだが月日はなんだらだらと過ぎているような気がする。つまりだらだらと過ごして来たという事。
だらだらとした下り坂だったのか、だらだらとした上り坂だったのか。
いやそんな風に時代を捉えれば実もふたもない。
でこぼこ道だったのだ。
20世紀と言えば「戦争の時代」「戦争の世紀」であり、その後は「科学技術の世紀」などいろんな顔を持っていた。
そんな中、「大量生産」「大量流通」「大量消費」という大きな歯車の中に人々は組み込まれてきた。
そして今や「大衆消費社会」。そのエンジンを蒸かして来たのはテレビでありネットだ。
それは決して「豊かさ」が具現化されたものでは無い。
西日本を豪雨が襲った。被災者は多数でた。家屋は流された。住めないような惨状の家、傾いたままの家。
それは「3・11」のその後の福島県の避難者にも通じる。
常識では住居とは言えないようになった家。それでも「あんたには家があるじゃないか」と支援や補償の”査定対象“にされる。
PTSDとなった人たちは「病気」なのに「病気」とされない。それらは時として「国」よりも「地方自治体」の方が冷酷だ。
生活保護受給者ももちろん被災した。知り合いのところに一時身を寄せた。
「扶助者がいる」ということで、しかも”支援金“が届いたということで生活保護を打ち切られる。生活保護の受給判断はその地方自治体だ。
「豊かになった」と首相が豪語すればするほど「貧者」は増えていくのだ。
21世紀になるとき、「2000年問題」というのがコンピューター時代の最大の危機的懸念だった。
それは例えばSEの努力でなんとかクリア出来た。
「2,000年問題」を一番危惧したのは病院だった。医師たちは寝ずにその瞬間を見守ったという。
「国会と言うところは男を女に変える以外は何でもできる」。そう息巻いた政治家がいた。事実日切れの法案の採決で与野党が合意の上で参院本会議場の時計を止めた。
本会議場の大時計が夜の11時半頃から針の進み方が異様に遅くなった。24時の数分前には止まった。2時間の時差を国権の最高機関は恥じ入ることなくやってのけた。
東京オリンピック対策で、暑さ対策で「サマータイム」を実施すると元首相の組織委員長が言い出した。
そのバカさ加減に驚き、あきれていたが、どうやら止めになりそうな気配。
またぞろ持ち出してくる気配とてあり。
酷暑のオリンピックのためにこの国のシステムをコンピューターで動かされている日常を異常な時間形態に支配させようというのか。
かつてゼンマイ仕掛けの時計を手作業で動かしていた時代とは違う。
ばかばかっしいことを言いだしてくるあの人達。
そんな時代に住んでいる。
台風が接近の予想。列島縦断だとか。コンピューターによるJSTの予報を見るしかない。
明日は沖縄の知事選。選挙がどうなるか、台風の影響がどうなるのか。
オリンピックよりも気になる。その結果が。
2018年9月29日土曜日
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