2018年10月25日木曜日

「使い捨て」について


昔、首相だった竹下登がよく口にしていた。
「歌手1年総理2年の使い捨て」って。
あにはからんや、2年を待つことなく竹下内閣は終わった。
使い捨てだったような。
愚政の典型。「ふるさと創生1億円」。バラマキの典型、1億円を有意義な使い方をした地方自治体は皆無だった。無意味に使い捨てられた。

孫のタレントは使い捨てならぬ、数年もテレビに出演中だ。
ひたすら”日本語“をぶち壊しながら。それが面白がられるところにこの国の悲しみを見る。

大量生産、大量流通、大量消費。壊れたものは直さない、直せない。そんな仕組みが経済成長を支える。
大量消費とは使い捨て文化が浸透してきたのも一因だ。

使い捨てライター・使い捨てカイロ・使い捨ておむつ・ETC・・・。

我が家の洗濯機が壊れた。10年前の物。修理屋は無い。
家電量販店に行く。14万円。泣けてくる。
15年乗っている車。とりたてて不備はない。
しかし、罰金のように税金が、保険料が上がる。
テレビの車のCMは「止まる車」だらけ。
物を大事にしろと育った世代は使えるうちは使う根性。

レジ袋。何十年も前、その“便利さ”と“もったいなさ”に複雑な感覚を持って来た。

魚の胃の中にレジ袋やポリ製品が入っている。魚が苦しんでいるとか。
なんでそうなって行くのか・・・。
ゴミ袋は優良だし、焼却場に運ばれる。そこの排煙は“有害”なのか。

数年前も「レジ袋騒動」があった。それをめぐって繰り広げられる光景は「エコ」なのか「エゴ」なのか。

「レジ袋問題」を話し合う政府や有識者を集めた会議、各人の机の上には水やお茶代わりに「ペットボトル」のお茶が置かれている。
人が集うあらゆる集まり、会合、会議。申し合わせたかのごとくペットボトルが会議のお供だ。
その景色をテレビで見ながら僕は嗤う。

JRの郡山駅の駅中には「ピボット」というスーパーがある。
駅に用があった途中でそこで買い物をする。
レジの女性に必ず聞かれる。「お買い物袋お持ちですか」と。
「無い」と答えると無表情に、「袋代5円」とレジに打たれる。

大手スパーのヨークベニマルは自己申告のカード入れて3円。
レジ袋の原価は何銭のはず。
エコに名を借りた小銭稼ぎ。

コンビニのレジ袋を止めさせる動きが急。
スーパーに買い物に行く人は大方が袋持参。でもコンビニはサラリーマンが缶コーヒーや煙草、弁当を買うところ。
宅配便の人や、工事の人が昼飯を買うところ。

仕事の合間の昼飯に家から買い物袋を持って行くのか。
熱い弁当やコーヒーは手では持てない。

挙句、消費税引き上げ。コンビニでイートインするのと持ち帰るのとでは2%税率が違う。
食品ロスは年間600万トン以上。食べ物も「使い捨て」。

ポリエチレン関連商品、ポロ袋が出来た時、ストローが牛乳の脇に張り付けられるようになった時、多くの人々はその便利さ、簡易さに感激した。
それが「悪者扱い」されることへの違和感。

環境が第一なのは当然だ。
かつての四日市公害、京浜工業地帯の排ガス。悪臭を伴った灰色の街だった川崎。

郡山市では未だに大型バスが走っている。一台に乗客は数人。そのバスの排ガスとやらはとてつもない。車の窓を開けてそのバスの背後は走れない。

「使い捨て文化」「廃棄物公害」「排ガスの健康障害」・・・。まとまった”思想“はそこにはない。

プラスティック文明に酔い痴れてきたことは事実だが。

とりあえず、政府の会議での「ペットボトル」は止めてみてはいかが。

それにしても、安倍の消費期限は・・・。自分で決めるんだもん、使い捨てにはならないよな。もともと使いがってもよくなかったし、不良品、不用品だったんだけどな・・・。

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。 道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。 ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。 その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。 枯葉は...