2020年5月24日日曜日

今、ボクが考えている「正しさ」ということ

大方、人は「正しくありたい」と思っている。
その場合の「正しくある」とは、自分たちの物事への向き合い方を見つめなおし、複眼の視点で問題が抱える様々を考えてみることだと思っている。


「正しく知って正しく恐れよう」。原発事故後、この標語のような言葉をずっと聞かされてきた。
しかし、何が正しくて、どう怖がればいいのか。正しく知る術を持ち得なかった。テレビの登場する「専門家」という名の学者。彼らの見識は、知見はばらばらだった。

結局何もわからなかった。

テレビや新聞は、大方その解説を「専門家」に任せた。専門家とは“学者”の代名詞。様々な解説が飛び交う中で人々は迷い、戸惑い、不安を募らせていた。
不要不急の外出をするな。外出するなら「マスク」「帽子」は必須。
帰宅したならまずウガイ、手洗い。着ていたものは玄関で脱ぐ、はらう。

原発には「安全神話」があった。それが崩壊した。
人々は何が正しいのか分からなくなった。

人は常に「正しい側」に居たいという本能がある。
その「正しさ」は時として間違った方向に向かい、他者を糾弾する、差別するという「正しくない」方向に走った。そして、それが「正しいこと」とされてしまった。
福島の食品は忌避され、排除され、福島ナンバーの車は県外に出ることを許されないという風潮が「正しさ」として拡散された。

それは今ほとんど姿を消した。差別、糾弾に飽きたからだ。非を認めたわけではない。

そしてコロナ渦。新型コロナの感染が拡大、深刻化するにつれて、再び「正しさ」の押し付けが始まった。専門家や有名人らの新型コロナウイルスについての見解が入り乱れ、「正しさ」争いが激化する。

国は無力だった。やたら権力の行使に走った。
突然のように総理大臣が「全校休業」を宣言する。
それは“市民生活”の実態、そう、”現場“を知らない「お上」の発想。
教育現場の混乱や教師、父兄らの困惑は実体験した「当事者」でないとわかるまい。

そして、緊急事態宣言。おかしな日本語が“粗製乱造”されていく。
不要不急の外出はするな。
三密を避ける。
そして、すべてが”自粛“”自粛“。
外出者を8割減らさないと40万人が死ぬ。そんな”理論“がまかり通っていた。

マスクの「有用性」、いまも医学的な、科学的な正解は無い。
しかし、マスクをしていないと医療機関はおろかコンビニまでも“着用義務付け”が正義の言葉として押し付けられる。

手作りのカラフルなマスクが流行っている。そのマスクは”善意“に基づいて他者への好意として作られたものもあることは百も承知だが。

戦時中、子供も「防空頭巾」を強要されていた。祖母は綿入れの防空頭巾に空襲による火災の火がついて、頭巾が燃えていることに気付かず、大火傷を負った。

75年前の光景とマスクの時代の光景が交錯する。

やたら「自粛」が強要されている気がする。
”解除“への動きがある中でも、”自粛“は正義の御旗だ。

戦時中、自警団という組織があって市民生活を見張っていた。非国民という錦の御旗を掲げて。
空襲警報発令と自警団がメガホンで叫ぶ。電灯にボール紙を黒く塗った傘で明かりを隠す。明かりが漏れていたら自警団から激しい非難と攻撃を受ける。

町の人出を”市民警察“が見張っている。強制された時間内営業を見張っている。時間外営業を攻撃の的として、営業阻止の行動やSNSでの攻撃に精を出す。
飲食店の死活問題、「生存権」はそこには存在していない。“市民警察”は月光仮面となり、“間違った正義”を振りまき、行使する。

安倍晋三は「コロナの時代の新たな日常を取り戻す」と語り、生活ルールの細部にまで言及する。それは正解なのか。
馬鹿馬鹿しい政治の典型だ。
 なぜなら、今は異常事態で非日常のまっただ中なのに、これを「新たな日常」などと言うなんて。生きるために必死で働き、苦労している人たちに、「それが日常」だなんてあり得ないからだ。

西村担当大臣も東京都知事も「新しい生活様式の時代」とほざく。
今の生活様式は「コロナ」が終息するまでの仮の生活様式、それも自粛ではなく“強粛”されたもの。
 安倍の発した言葉で、生活ルールの細部にまで踏み込んだ発言で、またひとつ、無意味な、新しい「正しさ」が生まれてしまった気がする。
 そもそも、「多様性」を求めていたはずの政府が、個人の生活スタイルに枠を設けるなど、民主国家のすることではない。

コンビニでもスーパーでも客と店員との間にはビニールによる境界が出来ている。
レジの前には足跡が書かれ、そこで待機しろと強要される。

他県の人間が来ることを拒否する。駅に「来るな!」というプラカードを持った人が立つ。
井上ひさしの「吉里吉里国」の再来か。

見えないものは恐ろしい。放射線もみえないものだ。だから人々はより恐れた。
コロナも顕微鏡で拡大されたウイルスの写真しか見えない。
だから人は恐れる。ワクチンもない、治療薬もない。
「新型コロナ」のことは実は誰もわかっていないはず。
わかっていない方、未知の事だから人は恐怖にかられる。
わからないことをわかったように言う人たちがいるから人々は戸惑う。
原発時と同じような光景。

 何より、自粛とは、自らの判断で、慎めばよいのであって、誰かに要請されるものではない。現状は、強制的に慎む、「強粛」というべきだろう。そんな矛盾した行動を、国民に連呼するような人の「正しさ」に負けてはいけない。
 我々はいま、新型ウイルスより恐ろしい「正義」という伝染病に立ち向かっているようだ。

誰もが政治に望んだのは「コロナ対策」。コロナの終焉。
しかし政治の世界は全く別のことに関心があった。
検察官の殊遇。その裏にあること。
その政治は正しさのかけらもない。

すべてを疑う。疑うということの正しさ。原発でまなんだこと。

出来ないことの言い訳に終始する国。
少なくとも望んでいるのは、「ワクチン」であり、「治療薬」なのだが。

マスク644億円のムダ金、コロナ患者受け入れた病院の破産危機。

「正しさ」をめぐる混乱した頭脳は、明るい春の光景にはきっとなじまないのだろうか。

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