2022年3月1日火曜日

“チェルノブイリ”異聞

 

ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。

ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。

そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。

「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。

ウクライナの北部にあるその原発事故の名前を多くの日本人は知っているだろう。

 

日本にも原発が当初54機あった。

福島にある東京電力原子力発電所が爆発事故を起こした。2011年3月11日。昭和61年

 

 

 

福島の浜通り、原町市に住んでいた詩人はチェルノブイリに事故後むかった。悲劇の痕跡を見て回った。

詩人の名は若松丈太郎。チェルノブイリと双葉郡の様相や人々の悲しみが相似形のように描かれている。長いが引用する。なぜなら、ロシア軍はチェルノブイリを占拠したというから。石棺で覆われた原発の痕跡をロシアはどう見るかと思うから。チェルノブイリ事故時はウクライナもロシアもソビエト連邦の“友邦”同志だったから。

 

 

「神隠しされた街」

45,000の人びとが2時間のあいだに消えた

 

サッカーゲームが終わって競技場から立ち去った

のではない

人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり

消えたのだ

ラジオで避難警報があって

「3日分の食料を準備してください」

 

多くの人は3日たてば帰れると思って

ちいさな手提げ袋をもって

なかには仔猫だけをだいた老婆も

入院加療中の病人も

1,100台のパスに乗って

45,000の人びとが2時間のあいだに消えた

 

鬼ごっこする子どもたちの歓声が

隣人との垣根ごしのあいさつが

郵便配達夫の自転車のベル音が

ボルシチを煮るにおいか

家々の窓の夜のあかりが

人びとの暮らしが

地図のうえからプリピャチ市が消えた

チェルノブイリ事故発生40時間後のことである

 

1,100台のパスに乗って

プリピャチ市民が2時間のあいだにちりぢりに

近隣3村をあわせて49,000人が消えた

49,000人といえば

私の住む原町市の人囗にひとしい

さらに

原子力発電所中心半径30kmゾーンは危険地帯とされ

11日目の5月6日から3日のあいだに92,000人が

あわせて約15万人

 

人々は100km150km先の農村にちりぢりに消えた

半径30kmゾーンといえば

東京電力福島原子力発電所を中心に据えると

双葉町 大熊町 富岡町

楢葉町 浪江町 広野町

川内村 都路村 葛尾村

小高町 いわき市北部

そして私の住む原町市がふくまれる

こちらもあわせて約15万人

 

私たちが消えるべき先はどこか

私たちはどこに姿を消せばいいのか

事故6年のちに避難命令が山された村さえもある

 

事故8年後の旧プリピャチ市に

私たちは入った

亀裂がはいったペーブメントの

亀裂をひろげて雑草がたけだけしい

 

ツバメが飛んでいる

ハトが胸をふくらませている

チョウが草花に羽をやすめている

ハエがおちつきなく動いている

蚊柱が回転している

 

街路樹の葉が風に身をゆだねている

それなのに

人声のしない都市

人の歩いていない都市

45,000の人びとがかくれんぼしている都市

鬼の私は搜しまわる

 

幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具

台所のこんろにかけられたシチュー鍋

オフィスの机上のひろげたままの書類

ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに

日がもう暮れる

 

鬼の私はとほうに暮れる

友だちがみんな神隠しにあってしまって

私は広場にひとり立ちつくす

 

デパートもホテルも

文化会館も学校も

集合住宅も

崩れはじめている

すべてはほろびへと向かう

人びとのいのちと

人びとがつくった都市と

ほろびをきそいあう

ストロンチウム90 半減期 29

セシウム137 半減期 30

プルトニウム239 半減期 24,000

セシウムの放射線量が8分の1に減るまでに90

 

致死量8倍のセシウムは

90年後も生きものを殺しつづける

人は100年後のことに自分の手を下せない

ということであれば

人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか

 

捨てられた幼稚園の広場を歩く

雑草に踏み入れる

雑草に付着していた核種が舞いあがったに違いない

肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない

神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない

 

私たちの神隠しはきょうかもしれない

うしろで子どもの声がした気がする

ふりむいてもだれもいない

なにかが背筋をぞくっと襲う

広場にひとり立ちつくす

 

 

当時はソ連の枠の中にいたウクライナ。チェルノブイリはその共和国の中。

ウクライナに侵攻したロシアは首都キエフを襲っているとか。

チェルノブイリにミサイルを撃ち込んだとか。

石棺で覆われているとはいえ、ミサイルで破壊されれば放射能は放射線を撒き散らす・・・。

 

発電所にもっとも近い従業員の居住地であったプリピャチ市の全人口45000人は事故翌日の27日午後から1100台の大型バスにより移住した。また、事故後数日間にチェルノブイリ市(人口16000人)をはじめ半径30キロメートル圏内に居住する住民、計9万人が新たに移住した。

 

詩の冒頭の光景。

 

農家の家畜もいっしょに移動した。

従業員はその後、発電所から50キロメートル東に離れた所に建設された町スラブチッチに居住し、そこから最後まで運転していた3号機が200012月に運転停止されるまで鉄道で通勤したという。

 

ウクライナには原発があった故か、各所にシェルターが完備されている。

沖縄のガマの比ではない。

 

日々のニュースに、プリピャチの人たちのことを想う。

「今度は神隠し」には合わないぞと。

2022年1月1日土曜日

看破に足る人間(じんかん)の是非

 

新しい年となった。雪の中だ。

 

良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。

 

 回首七十有餘年    (こうべ)を回(めぐ)らせば七十有餘年

 

 人間是非飽看破    人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり

 

 往来跡幽深夜雪    往来跡はかすかなり深夜の雪

 

 一柱線香古窓下    一柱の線香古窓の下

 

振り返ってみれば,七十年あまり、

人間のいい悪いを判断するのも飽きた。

人の往来も幽かな外では深夜の雪が音もなくふっている。  

ひとくゆりの線香をつけ、1人座っている古い庵の中。

   

首を巡らせば我が人生八十有余年・・・。

この年への良寛の看破は無い。

自ら顧みるのみか。

看破すべきことが多すぎる。

 

日本はつくづく変わらない国である。

与党が今回の10万円給付を決めた本音は、先の衆院選で応援してもらった支援者へのお礼、そして来夏の参院選に向けた対策なのである。だから、所得基準が高いのだ。

 

 子どもへの応援と言っているが、タダのランチなどない。選挙権のない子どもたちに、一方的に請求書(将来における借金の返済)を送りつけるようなものだ。

「意義たない」政治のやり方。

 

コロナ禍の中で、また年を越すことになった。

「コロナ」とは一体なにものなのだ。

 

コロナを巡る疑問は絶えない。

コロナを取り巻く人間の知性、智識、感性もさまざま。

 

なぜコロナのウイルスは変異するのか。

 

ウイルスは、彼らの世界に住んでいた。しかし、人間は「経済成長・開発」それが人間社会の優位性を誇る証左として、「自然界」をも左右出来るものと驕り高ぶった。ウイルスは行き場を失った。

 

気候変動がいわれている。年をまたいだこの大雪も異常気象なのだろう。

 

政治の気候変動への対処は余りにも“お粗末”だ。官僚、大企業幹部の意識の低さが輪をかけている。10月の総選挙でも経済成長は大きな争点となったが、自民党は気候変動問題について語ることはほとんど無かった。

「政府は環境問題を理解していない」のだ。SDGSというまやかしの言葉で糊塗している。

環境相だった人のポエム発言からはなんら熱意や解決策は見つからない

今年も強力な台風や洪水など自然災害に悩まされるは必定なり。

 

昔、「素敵な宇宙船地球号」というテレビ番組があった。

“一乗組員に過ぎない私たちは、これまで他の仲間たちをないがしろにし、自分たちの幸福だけを 追求しすぎたようです。

その結果が現在の地球環境です。未来の“宇宙船地球号”乗組員のために、今私たちができることは?その答えを探り、喜びと感動を分かち合いたい…

それが『素敵な宇宙船地球号』という番組のメッセージです“

自画自賛だったのだろうか。番組はすでに終了している。

 

コロナは今やオミクロンとう株に変異し、日々感染者の数が増えているようだ。

地球は「ウイルス」が住みやすいところになったのかもしれない。

 

 コロナ禍に翻弄され、非日常が日常になるなか、その時どきに考えたことや抱いた思いが、一人ひとりの中からこぼれ落ちていっている。

作家の綿矢りささんがこの秋に刊行した日記「あのころなにしてた?」でこんなことを書いている。

 

 「“自粛の強化が必要”と“気にしすぎても経済が回らない”が交互にくり返され、洗濯機のなかで洗浄モードと脱水モードが延々くり返されるなかで、ちょっとずつ生地のすり減っていく洗濯物みたいな気持ちになった」。

 

 経済活動の収縮で真っ先にしわ寄せを受ける社会的弱者の悲鳴。ロックダウン、アラート、野戦病院といった勇ましい言葉の氾濫。患者の連日の増加、医療逼迫の下で強行された東京五輪。パラレルワールドだったのだ。

 

うやむやにされようとしている政治の迷走や、非常時が浮き彫りにした社会のひずみ、不条理。

立ち止まる。去年今年のあれこれを拾い集め、考える。

 

“看破の作業”とするか。年のはじめの。

2021年12月3日金曜日

晩鐘の譜

 

そう、あれは6月の初めだったか。

急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。

 

脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。

 

その後転倒して、それも二回。CT検査で圧迫骨折と。

治療方法は無く、安静に寝ていて骨がくっつくのを待つのみと。

 

またも病院のベッドに伏すのみ。リハビリの世話になったが、回復はままならず。

杖が三本目の足となった。

ギリシャ神話のスフインクスの謎の答えを実践。

 

やっと眼科でレザーによる手術へ。

眼科医の言。「80歳以上は手術は避けてます。しかも左目の黒目に傷がある。

病院からの紹介状もあるので手術はやってみますが・・・」

普通の手術なら5分で終わるものがなんと30分。しかも片目づつ。

 

「80の壁」

 

視力が回復してきたのは先週。気力は萎えきっており。脚の筋力も衰えから回復せず。

 

東京五輪がありました。申したきこと多々ありでしたが。

終ると同時に、どうも人々の記憶から消えて行ったような。

残滓はモニュメントだけと。

 

衆院選挙がありました。菅首相なら負けていた自民。自民党とは不思議な政党だ。岸政権の後にハト派と言われる宏池会の池田政権。ソフトバネガ働いた。

安倍・菅のタカ派路線危うしとみると、ハト派バネが働いた。

当選者を多少減らしたものの政権政党を維持した。

 

自民は嫌だけど野党も嫌だ。維新への過大な期待が国会の勢力分野を決めた。

岸田政権の「正体」は不明だ。

 

新型コロナ、デルタ株の蔓延に疲弊していた国民には、またもや「悪夢」が襲い掛かって来ている。

「オミクロン」という変異株。

 

コロナ禍は猛威を振るっていた。人災だと思うことも多々あり。

菅内閣が退陣した。政治の貧困が具現化し、弱者はより弱者になっていた。

 

菅内閣退陣と軌を一にしたようにコロナの感染者数が減っていった。

なぜ日本でコロナが急速に減ったのか。

「正解」は誰も判らない。

 

炊き出しに行列が出来て居る。テレビは「爆食」番組がもてはやされている。

あらためて「テレビ」について考える。「お前はただの現在に過ぎない」でいいのかどうか。

 

政府は長く続いた緊急事態宣言の期間中に出した規制を解除した。だが一方で、国民が納得して全てをコロナ前の状態に戻すのは、コロナと闘うのと同じぐらいやっかいなことかもしれない。コロナ下で必要に迫られて生活スタイルの急激な転換を余儀なくされ、人々の行動様式だけでなく考え方も変わったからだ。

 

 新型コロナの抑え込みにある程度成功している他の国々とは異なり、日本はまだ警戒を怠っていない。マスクの着用は当たり前のこととなり、今でも鼻や口元をおおわずに外出すれば疑いのまなざしを向けられる。また、消毒液はあらゆる場所に設置してあり、検温もルーティンに組み込まれている。

 

そして、オミクロン株。 

この課題を誰が解決できるのか。解決できなければ、きっとカミュが小説「ペスト」の結末でこう描いたシナリオに逆戻りすることになるだろう。

 

 「ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生きのこり、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束のなかで忍耐づよく待ちつづける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送りこむのである」

 

いわゆる地球温暖化。様々なウイルスを覚醒させたのかもしれない。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...