2019年12月31日火曜日

「一杯のかけそば」のあった頃

大晦日。だから特に何がというわけではないが、我々の風習の中に「年越しそば」というのがある。
「ねえ、ねえ何で日本人は大晦日にそばを食べなくてはいけないの?」とチコちゃんに聞かれたら多分「ぼうーっと生きてんじゃねえよ」という怒りの火炎が吹いてくるだろうが・・・。

もう30年以上も昔、ブームを巻き起こした本があった。
「一杯のかけそば」。
著者については敢えて触れたくないが、物語は物語として存在している。
読んだ人は大方泣いただろうから。

読んだ覚えのある方も多いだろうが、そのあらすじを。

「この物語は、12月31日、札幌の街にあるそば屋 「北海亭」での出来事から始まる。 そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
夜、10時を過ぎると客足は途絶える。
最後の客が店を出たところで、店の主人とおかみさんがそろそろ暖簾を下げようとしていた時、二人の男の子を連れた女性が入ってきた。
「いらっしやいませ!」と迎える女将にその女性はおずおずと言った。
「あの・・・かけそば・・・一人前なのですがよろしいでしょうか」。
「えっ・・・どうぞ、どうぞこちらえ」。
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、 「かけ1丁!」

主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、 「あいよっ! かけ1丁!」 とこたえ、1人前半の量を茹でる。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を 下げて出ていく母子3人に、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と声を合わせる主人と女将。

その翌年も、同じような時間に3人が来店。「すいません、かけそば一人前よろしいでしょうか。

おいしいね……」 「今年も北海亭のおそば食べれたね」 「来年も食べれるといいね……」 食べ終えて、150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

その次の年、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、母 と子の3人連れが入ってきた。 兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。 2人とも見違えるほどに成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半 コート姿のままだった。 「いらっしゃいませ!」 と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。 「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」 「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」。


カウンターに向かって 「かけ2丁!」 それを受けて 「あいよっ! かけ2丁!」 とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。 2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、話も 弾んでいるのがわかる。。 「お兄ちゃん、淳ちゃん……今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」 「……お礼って……どうしたの」 「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、8人もの人にけがをさせ迷惑 をかけてしまったんだけど……保険などでも支払いできなかった分を、毎月 5万円ずつ払い続けていたの」 「うん、知っていたよ」
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、実は今日、ぜんぶ支払いを 済ますことができたの」 「えっ! ほんとう、お母さん!」 「ええ、ほんとうよ。お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、 淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、お母さん安 心して働くことができたの。よくがんばったからって、会社から特別手当を いただいたの。それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」 「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! でも、これからも、夕飯のし たくはボクがするよ」 「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」 「ありがとう。ほんとうにありがとう」。
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品され ることになったので、参観日に、ボクが参観日に行ったんだ」 。
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、全員に作文を書いてもらいました。淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。これからその作文を読んでもらいますって。『一杯のかけそ ば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから……淳のヤツなんで そんな恥ずかしいことを書くんだ! と心の中で思ったんだ。 作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残 ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊 夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。 そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいし かったこと。……3人でたった1杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさん とおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!って大きな 声をかけてくれたこと。その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだ よ!って言ってるような気がしたって。それで淳は、大人になったら、お客 さんに、頑張ってね! 幸せにね!って思いを込めて、ありがとうございま した! と言える日本一の、おそば屋さんになります。って大きな声で読み あげたんだよ」。
カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将は溢れる涙を拭っていた。
「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんがお母さんにかわっ て来てくださってますので、ここで挨拶をしていただきましょうって……」 「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」 「皆さん、いつも淳と 仲よくしてくれてありがとう。……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。 それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。今、弟 が『一杯のかけそば』と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。 ……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、1杯 のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いま した。 あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけない と思います。」

昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、300 円を支払い「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げて出て行く3人を、 主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と送り出した。

また1年が過ぎたが、待ちに待った母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、3人は現れ なかった。
店内を改装し、 真新しいテーブルが並ぶなかで、1脚だけ古いテーブルが中央に置かれて いる。 「どうしてこれがここに」 と不思議がる客に、主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、この テーブルを見ては自分たちの励みにしている、いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、その時、このテーブルで迎えたい、と。

それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜10時過ぎ、入口の戸がガラガラガラと開いた。北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない 3人家族。入って来たのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。その時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて二人の青年の間に立った。 「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」 その声を聞いて女将の顔色が変わる。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。おろおろしている女将に青年の一人が言った。 「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で1人前のかけそばを注文した者 です。あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。私は今年、医師の国家試験に合格しまして京都の大学病院に小児科医の卵として勤 めておりますが、年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりま せんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、今までの人生の中 で最高の贅沢を計画しました。それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さん を訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした」 うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。
気を取り直した女将は 「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」涙でぬらした主人、 「あいよっ! かけ3丁!」。


だから何かを言いたいわけでも無い。
テレビが世相として流す「年越しそば」の光景を見ながら思い出したこと。

からから亭も今年は閉店。来年も掛け声はありませんが御贔屓に。

2019年12月26日木曜日

宴のあと、宴の前


三島由紀夫が書いた小説に「宴のあと」という当時“物議”をかもしたものがある。
小説であり、登場人物は仮名だが主人公は、かつて外務大臣も経験した政治家有田八郎と、東京白金台にあった高級料亭「般若苑」の女将畔上てるい。ま、大人の恋物語とでも言おうか。当時、評判になった作品。有田八郎が都知事選に立候補していたから。
結果、有田は選挙に敗れ、三島を相手どった裁判を起こしたが係争中に有田は亡くなった。
世に言う“プライバシー”裁判。プライバシーという言葉が“認知された”嚆矢だ。

般若苑の桜は見事だったと聞く。
因みに般若苑も倒産、その後、経緯はわからないが、その跡地には白亜の殿堂と見まがうようなソフトバンクの孫正義の豪邸がある。
般若苑には数多くの骨とう品や家具、美術品があった。それらは、跡地の脇にある畔上家にゆかりのある人の家に管理されている。

今年の春、新宿御苑であった「総理と桜を観る会」を巡って数々の疑念や問題点が指摘され続けている。
この問題が報じられた時に浮かんだのが「宴のあと」という言葉。

政治を取り巻くあらゆる“醜さ”が表出しているから。

嘘と欺瞞と隠ぺい。それへの官僚の愚かな存在。
宴の場で得意満面ではしゃぎ回っていた「お祭り男」の安倍。能天気な夫人。
神輿に乗せられただけの醜い男と女。

年が明ければ国民は忘れる、高をくくっていた菅や二階。
そうは問屋が卸さない。

そして折しも、外国の「宴の場」、カジノ。あの煌びやかな遊びの場を巡り、
またも自民党の政治家が誘致を巡る汚職の疑いで逮捕された。
次の逮捕もあるらしい。

I Rとか言ってなにかと美しい政策のように喧伝をつづけてきた政権。
IR法とはカジノ法だ。日本を博打天国にするという。
パチンコだけでもういいでしょ。外国企業の資金源にされるのは。
カジノには、博打には必ず暴力団やマフィアが付いてくる。
そういえば御苑の花見の会の宴にもそれらがいた。菅は嬉々として並んで写真に。並んで写った方は嬉々としてネットに。
菅は「紛れ込んで来たやつと突き放し、隠す、隠す。

「反社勢力という定義は無い」と閣議で決めるありさま。実際には明文化された定義があるにもかかわらず、無いとする。
厭な奴らだな~。そうしないとIR法の有意性に懸念が生じるからだ。

反社勢力は健在だ。閣議で“嘘”が決められている時、広域暴力団・指定暴力団の内部抗争事件が発生。存在を誇示するかのように。

カジノ法案をめぐり、政権の内部にいた議員が取りあえずは300万の収賄で逮捕。醜い国ニッポンを見せつけられた思い。
カジノを経営する側には安い出費。お釣りは何億円。

カジノという煌びやかな宴の場。

かって郡山の著名な経済人がカジノにはまり、ラスベガスから「つけ馬」が付いてきた。
マカオ、ウオーカーヒルと転々と足抜きできず、ついに自己破産。みじめな老後の醜態を見せていた。

花見のことでもう一つ浮かんだ歴史の逸話。
「醍醐の花見」という秀吉にまつわる話し。
秀吉晩年の慶長3年。京都の醍醐寺三宝院で北の政所から始まって淀殿ら女性1,300人を招いて豪華な花見の宴を張った。
これとても己が権威を天下に見せつけるため。

半年後の9月、秀吉は亡くなる。

辞世。「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
安倍にすれば「浪速」を置き換えて「御苑の事は・・・」となるのか。

日本の政治を、特に今年の政治を「宴の政治」と呼ぼう。
「宴の政治」とは地に足を付け、格差や貧困、少子高齢化など、山積する政治課題に取り組むよりも、意図的に人々の耳目を集める祝宴を作りだし、それを自らの権力維持の為に最大限に活用する政治だ。

令和の宴から始まって、御苑の宴、便乗したラグビーのパフォーマンスなど。。

今年の“宴”は終わりだ。
来年も新たな宴が待っている。
「スポーツの祭典、オリンピック」。

そのオリンピックを宴らしい宴、祭りらしい祭りとし、その中で、自らの権威を思う存分発揮しようとしているのだろう。
お茶坊主どもは、その“お流れ”頂戴に腐心する。

新たな宴の始まりだ。宴の前には9年近く前の「災禍」や未曽有の原発事故などは無かったことのようだ。

そして、人々はその仕組まれた宴、祭典に無条件に巻き込まれて狂喜乱舞する。

政治家が政治でしか出来ないことをしない。これを何と呼べばいいのか。

三島亡きあと令和の宴の後を誰が書くのか。書かねばなるまい。

2019年12月8日日曜日

男の「矜持」

「矜持」とは、「自信と誇り」「自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと」という意味だ。

アフガニスタンの支援活動に心血を注いでいた医師の中村哲氏が襲撃されて亡くなった。

往時、登山隊の医師としてアフガニスタンとパキスタンの国境に赴いた際、治療を懇願する貧しい人々を助けられなかったことが医師としての使命感を突き動かし、診療所を開設した。しかし、干ばつの影響で次々と命を落とす子どもたちの姿を見て、灌漑事業を行うことを決意した。
乾燥し、ひび割れた大地に水を引いて来た。
水は命に係わる。用水路を完成させたところには、いつの間にか小麦やかんきつ類の畑、高々と伸びた木々。大勢の子供たちが軒を連ねる商店の前を歩いて学校に通っていた。

用水路の確保、灌漑事業はとめどもなく続く。

ここ郡山も安積開拓と言う明治政府の政策で、猪苗代湖の水を苦心惨憺の末、引くことに成功した。
それ以前の郡山がどういうところだったか。

宮本百合子の「貧しき人々の群」という著作に詳しい。

中村医師は折に触れて経験に基づいた数々の言葉を残してくれた。

「平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」。
4年前、一時帰国していた時の講演。
「アフガンでは米軍が落とした爆弾で、多くの子供たちが死んだ。
その米国と軍事同盟で一体化を目指す安倍政権について、“こんなバカな政権はない。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている”と。

現場主義を貫き、命の大切さを実践する男の「矜持」を見た。

中村医師の訃報が明らかになった日の夕方、官邸で記者団との立ち話で、通り一遍の悔やみの言葉を述べ、最後の言葉の語尾を言うか言わないかの瞬間、もう踵を返すようにマイクの前から立ち去った。せめて言葉を終えた後に、ひと時の瞑目、目礼があって然るべきだと。

中村医師と交流のあった上皇ご夫妻は、侍従を通じて哀悼の言葉を遺族に伝えられた。「驚き、深い悲しみを覚えているご様子だった」という。

国民の象徴であられた方の矜持の表れだ。

中曽根康弘が亡くなった。101歳の大往生。
中曽根内閣時、彼は官房長官に、内務省時代の先輩である後藤田正晴氏を三顧の礼を尽くさんばかりに官房長官に迎え入れた。
後藤田はその著書、「政と官」で憲法の順守、官吏の心得を書いている。
中曽根政治に“誤り”を見ると、諌言することに意を用いていた。

古武士風の風貌の中から、官僚、政治家の道を歩んできた人の少なくとも官僚斯くあるべしという「矜持」が垣間見えた人だった。

「桜を観る会」のことで世間がその不可思議さを感じているさなか、公邸にオリックス会長とともに、メジャーリーガーのイチローと食事をした。
イチローに国民栄誉賞の受賞を重ねて勧めた。
スポーツ紙の報道によれば、「野球を通じて私はフェアプレーの大切さを学んだ。ルールを破ったり、ごまかしたりするのは好きではないです」とイチローは述べたと言う。受賞をその都度固辞するように助言したのは弓子夫人だとも言われている。

安倍晋三、昭恵夫婦の間に、夫人の「内助の功」はあるのか。夫人が亭主の足を引っ張っているようにしか見えない。
古い言葉だが、タレント大好きの「ミーハー」な夫婦だ。

「桜を観る会」をめぐる数々の“疑念”。
名簿破棄の証拠隠しに始まって・・・。
数々の公私混同。愚かな宰相夫婦の姿を見る。

まともな政治家なら首相の行動、言動を諌めるべき官房長官。
安倍をかばうのに「ウソ」をつき、それを上書きし、平然と官邸に君臨している菅官房長官。官僚を屈服させることに快感をおぼえてでもおるのだろうか。
哀れな男だ。

野党のヒヤリングに対して答弁する官僚たちの言葉は嘘と欺瞞に満ちていることは誰が聞いてもわかる。
官僚としての「矜持」をかなぐり捨て、安倍や菅の意向を、顔色を伺う姿。
余りにも醜い姿だ。
彼らの言辞は日本と言う国の統治機能の激しい衰退を象徴しているようだ。

その醜さや欺瞞を追及しきれないマスコミにも“衰退”を感じる。

碩学者の安岡正篤氏は、その著書の中にしばしば“エリート”という言葉を官僚に当てはめ、その心がけを語っている。

安岡正篤は戦後の政界に「知性」としての影響力を与えて来た人だ。

田中角栄が総理を退陣するにあたって記者会見で述べた言葉の中に、「沛然としてふる驟雨に心耳を澄ます」という一節がある。安岡氏が手を加えた一文だと聞いた。

後藤田も安岡正篤も皆鬼籍に入った。
あまた人無きが如し。

きょうは日米開戦の日。なぜ軍部の台頭、独走を許したのか。政治家の力量が無かったから、官僚機構が腐敗していたからだとも聞く。

年が明けたら戦争があった

「去年今年 貫く棒の如きもの」。高浜虚子の句である。 1秒という時間で年が変わる。今年は去年の延長であり、一本の棒によってつながっていると解するべきか。 「棒」とは時間なのだろうと考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして」という記...