久方ぶりに書いている。書かないことがストレスになり、かえって体調不良をもたらすから。
悲観的に言うのではないが、やはり加齢というか年齢によること大なのだろうか。
どうも免疫力が著しく減退しているようだ。医者にもそう指摘されたが。
激しい偏頭痛に襲われること数日。薬でそれが治まると、今度は、身体中に強い痒みを伴った湿疹。眼の中にまで。
気力も体力も減退してくるという“負の連鎖”。
そして、見聞きする世相の動きに連日のように“義憤”を覚えるというストレス。
ざっと言えば、これが近況なのでありまして・・・。
大上段に振りかぶったようなものの言い方をすれば、今のこの国は「不思議な国」だと思う。その不思議とはアリスが住む”夢“の国では無くて、摩訶不思議な理解しがたいことが平気で起き、平気で行われているということだ。
数日前、安倍は国会でこう述べた。大音声で公言した。
「立法府の長は私だ」と。
数年前にも同じようなことを言っている。間違いを指摘されてもなんら恥じ入る気配すらない。
憲法を知っていて、あえて言ったのか。知らないで言ったのか。
小学生でも知っている三権分立を理解していない。
立法府の長は議長だ。その議長が何も言わないということの違和感。
そのことを定例である記者会見で聞かない衆院記者クラブの面々。
選挙があれば議長は終わりだ。お役御免だ。
大島君よ、いまのうちに“正論”を言っておけよ。
「三権分立がどうのこうのと言ったって、その長を決めるのは俺だぜ。
人事権は俺が持っているんだ。現実論として俺がすべての長だと言って何が悪いんだ」。
そう“うそぶいて”いるんだろうな。「宰相“A”」は。物書き一人がその“国”に舞い込んだとて、なんの「歯止め」にもならないってわけだ。
そう言えば、去年の今頃の国会でも、共産党の委員長の質問に「ポツダム宣言については、つまびらかにしていないと堂々と無知を晒して、恥じるところもなかったし。
国会での答弁、多くは紙の読み上げだが、時に自分の言葉で喋るとなると、なんでもかんでもいきなり喧嘩腰だ。
憲法を知らない首相。昭和史を知らない首相。経済政策にも疎い首相。
かつて沖縄のことを問われた時、「琉球処分」という本を今読んでいます、と答えた菅もそうだ。
一国の宰相が、おおむね無知であると言うこと。それは何党の政権であるかが問題ではない。あまねく「器量」の問題なのだ。
毎夜の如く宴席で数時間のメシを食ってる時間あるなら、家でメザシを食って本でも読めよ。国を真剣に思っていた先人にならい。
とにかく、これほど無知で、独裁的な、そして幼稚な首相を見たことが無い。
「安倍さんはずるい政治家です。安倍さんを表現するとき、無知と無恥の二つの“ムチ”に集約できると思っています。
彼はまず歴史を知らない。戦後の日本人が築いてきた歴史を踏まえていない。
過去の世代へのルスペクトが全く無いんです。
安倍さんのずる賢さは、自分の考えに同意する人を登用し、反対する人をクビにしてしまう。安倍政権のやり方は“法による支配”ではなく“人による支配”なんです。人事に手をつけて、自分に都合のいい解釈をひっぱり出してきて、後のことは考えない。実に危険な考え方であり、無恥としか言いようが無い・・・。」
こう批判しているのは、安倍の政治思想史の(履修したかどうかはわからないけど)恩師である成蹊大学名誉教授の加藤節氏だ。
先生からも見放された駄々っ子はこの先どんな道を突き進むのだろう。
御先真っ暗だ。いえね、自分の事です。目がもう翳んできて・・・。ストレスが倍加しているようでね。明日は医者に・・・。
またも暫時「沈黙」という抗議行動に出ます。沖縄県民がそうであるように。
2016年5月23日月曜日
2016年5月12日木曜日
間尺に合わないこと
間尺に合わない。損をするという意味だけでは無い。どこか納得がいかないという解釈で使わせてもらう。
自動車税の納付通知が来た。なんと7千円も高くなっている。
13年以上乗った車。排ガス規制がなんとやら。
その“公文書”の行間からにじみ出ている「お上」の言葉。
「お前の車はもう13年以上も乗っているんだぞ。この排ガス低減を目指す“先進国”にあって、そんな車に乗っていることは世の中に公害をまき散らしていることになるんだぞ。
ハイブリッド車や電気自動車に早く買い替えなさい。新車に買い替えなさい。
言うことを聞かないから”罰“として税金を上げてやる」と。
車を買い替えれば“優遇税制”が適用される。新車を買えば自動車メーカーは儲かる。新車出荷台数は国の経済指標の一つだ。
自動車メーカーは儲かるよ。いや、儲けさせねばならないのだ。
車の面倒を見てくれている整備士くんが言った。
「車は10万キロ乗ってからパフォーマンスがよくなるんですよ」。
そう、彼はちゃんと車の面倒をみてくれている。手入れもしてくれている。
まだ走行距離は10万キロちょっとだ。20万キロまでは十分乗れるはずだ。
たしかに燃費はよくない。しかし、この車が発生させる排ガスってどこにどんな“害”を与えるのだろう。
たしかに、正直言えば、新しい、さまざまな装備の着いた車は欲しい。でも、買えるわけがない。年金暮らしに毛の生えた程度の収入では。
保険料も上がった。仕方ない。補償額を下げることにした。自車両保険はやめた。
自動車税、揮発油税、道路財源に消える。
車と道路と税金と。
どこかたどっていけば、電源3法と原発立地との関係にも似ているような。
「物は大事に使いましょう」。子どもの頃の“道徳”の教えだ。
車を大事に使って高い税金を払わされる。つまり、消費文明の象徴としての日常に欠かせない車。その在り方。
高齢者の交通事故が多いという。人間が運転しないで、コンピューターに車を運転させる時代。
新しい車、バックモニターやサイドモニター、自動ブレーキ。そんな車は確かに安全には資する。
その代り、人間の”能力“は低下する。判断能力も含めて。
事故が起きないことにこしたことはないのだが。
なんとも取りやすい税金なんだ。自動車税は。
折しも、いわゆる「パナマ文書」、租税回避、タックスヘイブンの事が問題視されている、されるようになった。
違法ではないから問題ではない。“当事者”とされた人たちの言い分だ。
国家予算に匹敵するくらいの“税金”が払われていないとうこと。
納税通知が来たからってわけじゃないが、なんか腹の虫が収まらないようなきがしての“戯言”。
てやんでえ、もってきやがれ、どろぼう~って
自動車税の納付通知が来た。なんと7千円も高くなっている。
13年以上乗った車。排ガス規制がなんとやら。
その“公文書”の行間からにじみ出ている「お上」の言葉。
「お前の車はもう13年以上も乗っているんだぞ。この排ガス低減を目指す“先進国”にあって、そんな車に乗っていることは世の中に公害をまき散らしていることになるんだぞ。
ハイブリッド車や電気自動車に早く買い替えなさい。新車に買い替えなさい。
言うことを聞かないから”罰“として税金を上げてやる」と。
車を買い替えれば“優遇税制”が適用される。新車を買えば自動車メーカーは儲かる。新車出荷台数は国の経済指標の一つだ。
自動車メーカーは儲かるよ。いや、儲けさせねばならないのだ。
車の面倒を見てくれている整備士くんが言った。
「車は10万キロ乗ってからパフォーマンスがよくなるんですよ」。
そう、彼はちゃんと車の面倒をみてくれている。手入れもしてくれている。
まだ走行距離は10万キロちょっとだ。20万キロまでは十分乗れるはずだ。
たしかに燃費はよくない。しかし、この車が発生させる排ガスってどこにどんな“害”を与えるのだろう。
たしかに、正直言えば、新しい、さまざまな装備の着いた車は欲しい。でも、買えるわけがない。年金暮らしに毛の生えた程度の収入では。
保険料も上がった。仕方ない。補償額を下げることにした。自車両保険はやめた。
自動車税、揮発油税、道路財源に消える。
車と道路と税金と。
どこかたどっていけば、電源3法と原発立地との関係にも似ているような。
「物は大事に使いましょう」。子どもの頃の“道徳”の教えだ。
車を大事に使って高い税金を払わされる。つまり、消費文明の象徴としての日常に欠かせない車。その在り方。
高齢者の交通事故が多いという。人間が運転しないで、コンピューターに車を運転させる時代。
新しい車、バックモニターやサイドモニター、自動ブレーキ。そんな車は確かに安全には資する。
その代り、人間の”能力“は低下する。判断能力も含めて。
事故が起きないことにこしたことはないのだが。
なんとも取りやすい税金なんだ。自動車税は。
折しも、いわゆる「パナマ文書」、租税回避、タックスヘイブンの事が問題視されている、されるようになった。
違法ではないから問題ではない。“当事者”とされた人たちの言い分だ。
国家予算に匹敵するくらいの“税金”が払われていないとうこと。
納税通知が来たからってわけじゃないが、なんか腹の虫が収まらないようなきがしての“戯言”。
てやんでえ、もってきやがれ、どろぼう~って
2016年5月3日火曜日
憲法の「出自」
素人の憲法論である。
日本国憲法は昭和22年(1947年)のこの日、5月3日に施行された。
だから憲法記念日と呼ばれる。なぜ5月3日だったのかは知らない。
敗戦の翌年だ。
今年は憲法施行70年にあたる。
憲法が公布されたのは前年の11月3日だ。奇しくも明治天皇の誕生日だ。今、文化の日と称されている日。
敗戦からわずか数か月で欽定憲法にかわる新しい憲法が作られた。GHQの占領下の中で。GHOの“指導”のもとで。
それをもってして、いわゆる「改憲派」とされる人々は、「押し付け憲法」という。それこそ“自虐的”ば憲法観を持っているようだ。
小学6年生の時、サンフランシスコ講和条約、別名平和条約が締結され、「平和国家日本」が“正式”に誕生した時、それを日本国民は日の丸の小旗を打ち振って歓迎した。
小学校6年生だった少年は出された習字の宿題に「平和日本」と書いて出した。その時の日本の「空気」がそれだったと思うから。
学校の先生はそれを見ながら「平和」ということについて語ってくれた。
一言で言うなら「平和という言葉は、世界が本当に平和となればその言葉を使わないで済むようになる。そんな国を作らなければね」という話だった。
難しい答えだったが、今も胸に刻まれている言葉だ。
そして中学生になって以降、“平和憲法”なるものにのめり込んでいった。
“平和”という4文字がある憲法の前文に惹かれた。
“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う“
ただ一つだけこの前文の冒頭にある記述だけには、今は“ひっかかる”。
“日本国民は正統に選挙された国会における代表者を通じて行動し”というくだりだ。
今は「正当な選挙」とは何かに疑念がある。そして、それは憲法をめぐる議論の中で深く掘り下げられていない。
103条からなる憲法の中には「自由」という言葉が11回登場する。
学問の自由・表現の自由・職業選択の自由・・・。
憲法はGHQが提示した”原案“に日本人の憲法学者や政治家などが手を入れ“修正”をはかっている。日本人が起草した憲法草案も参考にされている。
その一人には相馬市の鈴木安蔵という憲法学者もいる。
そして日本人がこれを入れるべきだとした項目もある。
25条、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。も多分そうだ。
公布された憲法には天皇の御名御璽が印され、幣原喜重郎以下各閣僚の名も記されている。
それは修正を経て国会で承認され、施行にいたったものだ。
「憲法には出自はない」。
国会の“正当”な議を経て出来上がったものだ。
改憲論の焦点は「9条、戦争放棄」だ。それは勿論だが、今の政権下にあっての問題とすべきは、「国民が憲法で国に制約を課す」という立憲主義の思想が、たとえばある政治家によれば、「初めて聞く考えだ」と立憲主義が公然と否定されるということ。
「すべて日本国民は個人として尊重される」という条項を「人として」を書き換えることだ。
9条だけではない。問題視すべき点は多々あるのだ。
個人と人。雲泥の相違だ。
「たいした意味は無い」と国会で言い放った安倍。
彼らに憲法を語る資格は無い。
前文にだって、日本人の手による修正が加えられている。
70年・・・。どこかに燻っていた「自主憲法制定論」が、安倍内閣の登場と共に火がつけられた。
もはや「押し付け論」は何等の意味も持たない。
「憲法が揺らいでいる」。
改憲論議を憲法を知らない国会議員にだけ任せておけばいいという時代は終わった。
街場の民主主義という言葉を時々使う。
街場の憲法論議に、もっとそれを委ねるべきだ。
個人の集合体が民主主義であるように、国民あっての国家なのだから。
「よくわからない」「あまり日常の生活には関係ない」「専門家が考えればいいことだ」。
そんな“受け身の楽観主義”は止めよう。
最低限度の生活を保障しない国家は「憲法に違反している」と指弾しよう。
身近なものとして憲法を考えるべき時なのだ。
その導火線を敷き、引き金を引いたのは安倍ではあるからなおさらに。
素人としての国民であるからなおさらに。今の「職業政治家」にそれを委ねておくわけにはいかないのだ。面倒なことだから尚更にだ。
日本国憲法は昭和22年(1947年)のこの日、5月3日に施行された。
だから憲法記念日と呼ばれる。なぜ5月3日だったのかは知らない。
敗戦の翌年だ。
今年は憲法施行70年にあたる。
憲法が公布されたのは前年の11月3日だ。奇しくも明治天皇の誕生日だ。今、文化の日と称されている日。
敗戦からわずか数か月で欽定憲法にかわる新しい憲法が作られた。GHQの占領下の中で。GHOの“指導”のもとで。
それをもってして、いわゆる「改憲派」とされる人々は、「押し付け憲法」という。それこそ“自虐的”ば憲法観を持っているようだ。
小学6年生の時、サンフランシスコ講和条約、別名平和条約が締結され、「平和国家日本」が“正式”に誕生した時、それを日本国民は日の丸の小旗を打ち振って歓迎した。
小学校6年生だった少年は出された習字の宿題に「平和日本」と書いて出した。その時の日本の「空気」がそれだったと思うから。
学校の先生はそれを見ながら「平和」ということについて語ってくれた。
一言で言うなら「平和という言葉は、世界が本当に平和となればその言葉を使わないで済むようになる。そんな国を作らなければね」という話だった。
難しい答えだったが、今も胸に刻まれている言葉だ。
そして中学生になって以降、“平和憲法”なるものにのめり込んでいった。
“平和”という4文字がある憲法の前文に惹かれた。
“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う“
ただ一つだけこの前文の冒頭にある記述だけには、今は“ひっかかる”。
“日本国民は正統に選挙された国会における代表者を通じて行動し”というくだりだ。
今は「正当な選挙」とは何かに疑念がある。そして、それは憲法をめぐる議論の中で深く掘り下げられていない。
103条からなる憲法の中には「自由」という言葉が11回登場する。
学問の自由・表現の自由・職業選択の自由・・・。
憲法はGHQが提示した”原案“に日本人の憲法学者や政治家などが手を入れ“修正”をはかっている。日本人が起草した憲法草案も参考にされている。
その一人には相馬市の鈴木安蔵という憲法学者もいる。
そして日本人がこれを入れるべきだとした項目もある。
25条、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。も多分そうだ。
公布された憲法には天皇の御名御璽が印され、幣原喜重郎以下各閣僚の名も記されている。
それは修正を経て国会で承認され、施行にいたったものだ。
「憲法には出自はない」。
国会の“正当”な議を経て出来上がったものだ。
改憲論の焦点は「9条、戦争放棄」だ。それは勿論だが、今の政権下にあっての問題とすべきは、「国民が憲法で国に制約を課す」という立憲主義の思想が、たとえばある政治家によれば、「初めて聞く考えだ」と立憲主義が公然と否定されるということ。
「すべて日本国民は個人として尊重される」という条項を「人として」を書き換えることだ。
9条だけではない。問題視すべき点は多々あるのだ。
個人と人。雲泥の相違だ。
「たいした意味は無い」と国会で言い放った安倍。
彼らに憲法を語る資格は無い。
前文にだって、日本人の手による修正が加えられている。
70年・・・。どこかに燻っていた「自主憲法制定論」が、安倍内閣の登場と共に火がつけられた。
もはや「押し付け論」は何等の意味も持たない。
「憲法が揺らいでいる」。
改憲論議を憲法を知らない国会議員にだけ任せておけばいいという時代は終わった。
街場の民主主義という言葉を時々使う。
街場の憲法論議に、もっとそれを委ねるべきだ。
個人の集合体が民主主義であるように、国民あっての国家なのだから。
「よくわからない」「あまり日常の生活には関係ない」「専門家が考えればいいことだ」。
そんな“受け身の楽観主義”は止めよう。
最低限度の生活を保障しない国家は「憲法に違反している」と指弾しよう。
身近なものとして憲法を考えるべき時なのだ。
その導火線を敷き、引き金を引いたのは安倍ではあるからなおさらに。
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