素人の憲法論である。
日本国憲法は昭和22年(1947年)のこの日、5月3日に施行された。
だから憲法記念日と呼ばれる。なぜ5月3日だったのかは知らない。
敗戦の翌年だ。
今年は憲法施行70年にあたる。
憲法が公布されたのは前年の11月3日だ。奇しくも明治天皇の誕生日だ。今、文化の日と称されている日。
敗戦からわずか数か月で欽定憲法にかわる新しい憲法が作られた。GHQの占領下の中で。GHOの“指導”のもとで。
それをもってして、いわゆる「改憲派」とされる人々は、「押し付け憲法」という。それこそ“自虐的”ば憲法観を持っているようだ。
小学6年生の時、サンフランシスコ講和条約、別名平和条約が締結され、「平和国家日本」が“正式”に誕生した時、それを日本国民は日の丸の小旗を打ち振って歓迎した。
小学校6年生だった少年は出された習字の宿題に「平和日本」と書いて出した。その時の日本の「空気」がそれだったと思うから。
学校の先生はそれを見ながら「平和」ということについて語ってくれた。
一言で言うなら「平和という言葉は、世界が本当に平和となればその言葉を使わないで済むようになる。そんな国を作らなければね」という話だった。
難しい答えだったが、今も胸に刻まれている言葉だ。
そして中学生になって以降、“平和憲法”なるものにのめり込んでいった。
“平和”という4文字がある憲法の前文に惹かれた。
“日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う“
ただ一つだけこの前文の冒頭にある記述だけには、今は“ひっかかる”。
“日本国民は正統に選挙された国会における代表者を通じて行動し”というくだりだ。
今は「正当な選挙」とは何かに疑念がある。そして、それは憲法をめぐる議論の中で深く掘り下げられていない。
103条からなる憲法の中には「自由」という言葉が11回登場する。
学問の自由・表現の自由・職業選択の自由・・・。
憲法はGHQが提示した”原案“に日本人の憲法学者や政治家などが手を入れ“修正”をはかっている。日本人が起草した憲法草案も参考にされている。
その一人には相馬市の鈴木安蔵という憲法学者もいる。
そして日本人がこれを入れるべきだとした項目もある。
25条、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。も多分そうだ。
公布された憲法には天皇の御名御璽が印され、幣原喜重郎以下各閣僚の名も記されている。
それは修正を経て国会で承認され、施行にいたったものだ。
「憲法には出自はない」。
国会の“正当”な議を経て出来上がったものだ。
改憲論の焦点は「9条、戦争放棄」だ。それは勿論だが、今の政権下にあっての問題とすべきは、「国民が憲法で国に制約を課す」という立憲主義の思想が、たとえばある政治家によれば、「初めて聞く考えだ」と立憲主義が公然と否定されるということ。
「すべて日本国民は個人として尊重される」という条項を「人として」を書き換えることだ。
9条だけではない。問題視すべき点は多々あるのだ。
個人と人。雲泥の相違だ。
「たいした意味は無い」と国会で言い放った安倍。
彼らに憲法を語る資格は無い。
前文にだって、日本人の手による修正が加えられている。
70年・・・。どこかに燻っていた「自主憲法制定論」が、安倍内閣の登場と共に火がつけられた。
もはや「押し付け論」は何等の意味も持たない。
「憲法が揺らいでいる」。
改憲論議を憲法を知らない国会議員にだけ任せておけばいいという時代は終わった。
街場の民主主義という言葉を時々使う。
街場の憲法論議に、もっとそれを委ねるべきだ。
個人の集合体が民主主義であるように、国民あっての国家なのだから。
「よくわからない」「あまり日常の生活には関係ない」「専門家が考えればいいことだ」。
そんな“受け身の楽観主義”は止めよう。
最低限度の生活を保障しない国家は「憲法に違反している」と指弾しよう。
身近なものとして憲法を考えるべき時なのだ。
その導火線を敷き、引き金を引いたのは安倍ではあるからなおさらに。
素人としての国民であるからなおさらに。今の「職業政治家」にそれを委ねておくわけにはいかないのだ。面倒なことだから尚更にだ。
2016年5月3日火曜日
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