2016年4月30日土曜日

日本人は「忘れやすい」のか

きのう、こんな話をしてきた・・・。

4月29日のこと、その前後のこと。
話をする場に行く途中、デパートに寄った。
店員さんに聞いた。

なにせ「大型連休」、「きょうは忙しかたか」と。
「はい、肉の日ですからお肉屋さんは混んでました」。

いつの頃からかこの国では「数字の語呂合わせ」が流行っている。
29日だからニクの日・・・。

話をする場に行ってこの話をした。
さすがにそこに居た人たちは知っていた。昭和天皇の誕生日だということを。

我々の世代では、4月29日は“天皇誕生日”なのだ。崩御されてから緑の日と名を変えられたり、昭和の日とされたり・・・。

その場で「昭和天皇」にまつわるいくつかの話をした。
昭和天皇は「好戦論者」ではなく、むしろ「非戦論者」ではなかったかということ。
開戦の詔書を出すにあたり、上奏した東条英機に間接的に自分の意志を伝えた明治天皇の御製。

「四方の海、皆同胞(はらから)と思う世に、なぜ波風の立ち騒ぐらん」。

東条は天皇の真意をさとった。しかし、東条とても戦にはやる軍部を御すことは不可能だった。
国民の「空気」も軍部に洗脳されたまま、よもやあの数年後の負け戦など想像すらできず、戦争に突入していったということ。

4年後の“降伏”にあたっても、早期に“終戦”をのぞむ天皇の意志が、ある意味“無視”され、悲劇を拡充していったということ。

明治時代から、「官軍」なる勢力に天皇は神輿を担がれてきたということ。

それは今でも続く「天皇の政治利用」の具とされてきたということ。

その場で聞いた。29日の前日、28日は「何の日だ」と。語呂合わせが返ってきた。「シニアの日」だと。

4月28日は「サンフランシスコ講和条約」が締結された日だ。国際法上、正式に日本が「終戦」を迎えた日だ。
この日をもって日本は正式に独立し、主権を回復した日だ。別名「平和条約」とも呼ばれた。

本土にとっては。

この条約には明記されていることがある。
「沖縄は合衆国の信託統治領とする」ということだ。

沖縄にとっては“屈辱の日”となったということだ。

明治天皇の誕生日は11月3日。今は文化の日と呼ばれている。歴代天皇の誕生日をすべて「記念日」として「祝日」にするわけにはいかない。
しかし、少なくとも近代史として、それらが忘却の彼方にあることに「忘れやすい日本人」の残像が重なる。

ちなみに大正天皇は8月23日だ。

そして、明治天皇の誕生日である11月3日。昭和21年の11月3日には今の「平和憲法」が公布されている。

そして施行が翌年の5月3日。この大型連休という週間には、我々にとって大事な日がいくつもあるということだ。

いきおい、昨日、話をしながら、憲法についても語った。「平和」という言葉の持つ意義についても語った。

11章103条からなる憲法の中に「自由」という言葉はどれくらい登場してくるのか。

もちろん「言論の自由」も包含されている「表現の自由」。「学問の自由」。保障すると明記されている。
学問の自由の中には、考える自由、語る自由、表現する自由も含まれているはずだ。

そして権利と義務。国民が持つ権利の保障については20回以上書かれている。
国民の義務は納税、勤労など圧倒的に権利が保障されているということ。

健康で文化的な最低限度の生活を有する。それだって保障されているはずなのに。

大型連休、その“恩恵”に浴せない人も数多くいるはずだが、世の中はおおかた「遊び週間」なのだ。28日、大手のマスメディアは天皇誕生日に関する扱いは小さかった。沖縄屈辱の日については触れられてもいなかった。

忘れっぽいんだよな、日本人て。東北の片隅で、ひとりごつる老人がいた。

大手メディアの関心は、いや、ありきたりのニュースはどこの行楽地がどうだこうだ、渋滞がどうだこうだ、海外旅行の人はどうだこうだ。
「遊び」に胸はずます声だけを拾う。

これは決して「メディア論」ではないが、決まりきった“表層的”なことしか伝えない。いや、それでよしとしているんだろう。

常に、構造的、基本的な問題点にくらいついていかない限り、その役割は果たされていないと思うのだけど。

またも、例年の如く、数日、憲法や平和、そして「民主主義」について考える日々となりそうだ。

「お前はただの現在に過ぎない」。テレビジャーナリズムもことも含めて、”業界“の先輩が渾身の力を振り絞って書いた本を読み返す。

その本のタイトルが僕自身に向けられることを潔しとしないためにも。

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