2016年4月16日土曜日

・・そしてまた「方丈記」

きのう、あるところで前日夜にあった熊本県の大地震をめぐる話をした。

あの地震の報を聞いた時、テレビを視ながら思ったのは、浮かんだ言葉は、やはり「寺田寅彦」だった。「災害は忘れた頃にやってくる・・・」。

東日本大震災から5年。この今のような「スピード」に支配されている時代にあっては5年と言うのは“忘れる”のには十分な時間だったのかもしれない。
「忘れた頃に」だったのかもしれない。と。

我々が暮らしているには、まさしく地震列島なのだ。

話しはいきおい川内原発に行く。「安全に稼働中です」という政府の言葉に反発する。“誇らしげ”ともとれるその物言いに。

忘れっぽい「国」にお住いの方々よ。あの2011年3月11日の夜7時過ぎ、政府は「原子力緊急事態宣言」を出しているんだよ。
「ただ今、原子力緊急事態宣言が発せられました」と官房長官は言い切ったのだ。

その時から、避難が、混乱が始まったのだ。

その宣言は今も取り消されてはいないはずだ。生きているんだ。政権がどこだということではない。
国はそれを忘れているのだろうか。

この日の地震は前震だったという。きょう未明に起きたのが本震だったという。
その地震を起こした中央構造帯という“断層”は長野から東京まで及んでいるという。

きのうは「寺田寅彦」であり、きょうは「方丈記」だった。また書棚から黄ばんだ本を取り出してくる。古文にしばし思いを移す。

大火、大風、飢饉、そして大地震(おおなゐ)。鎌倉幕府のあった1100年頃の都の「記録」だ。

阪神淡路大震災の時も、たまたま新聞に毎週連載していたコラムに「阪神大震災と方丈記」と題して書いた記憶がある。

時代に対する警鐘であり、人々の生き方の問題含めて。そして、繰り返される天災のことについて。

東日本大震災時にも「方丈記」を借りた記憶がある。いつの頃のブログかは定かではないが。

毎日新聞の写真記者から、彼が取材し、撮り、書いた記事が送られてきた。
福島に心を寄せている記者の一人だ。

「福島 うつろう日常、モニタリングポストと5年」と見出しがある。
記事の末尾に彼はこう書く。

“ポストがある今の日常も、また日常でなくなるだろう。日常とは無常だ”

このブログ、またしばし投稿できなかった。なにやらこの病み上がりには為し得ないほどの多忙な事があり、体調もまたまた芳しくなくあったから。

なにはともあれ、川内原発の稼働は即刻やめるべきだと思う。稼働を止めたからと言って、核燃料が燃料プールの中にあることは間違いないが。
停止中の伊方だって玄海だって、その中には核燃料はあるはずだ。

とにかく「第二の福島」だけは招来してほしくなのだ。それは「この国の終わり」を意味することにもなるのだから。

稼働に前のめりな国、稼働を受け入れる地元・・・。そこにはきっと「正常性バイアス」が働いているのだろう。「まさか」という。

地震はそいう人間の「自信」を容赦なく打ち砕いていく。

申し訳ない。熊本に心を馳せながらしばし床に臥す・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...