2018年5月24日木曜日

この国の「空気」にキミは耐え得るや

加計問題をめぐり安倍はかたくなに加計理事長との会談を否定している。
愛媛県の文書には面談の記録があるというのに。
愛媛県が文書を捏造する必然性はどこにもない。
知事は職員を信頼していると言う。

「電話もしてないのですか」と委員会で野党の議員が問う。
「仮定の質問には答えられない」という。

“もし、私や家内が森友と関係しているのなら総理はおろか国会議員も辞めますよ」と大見得を切った男。すべてが隠ぺいさればれないと言う自信があったからだろう。
それは仮定の事に答えたのだ。

まさに二枚舌としか言いようがない。

森友の破棄されたはずの資料が大量に出てきた。抜けている日もあるが森友と谷査恵子との詳細なやりとりが記載されている。
安倍昭恵が関与していたことは明白だ。

資料の破棄作業は佐川前理財局長が国会で「破棄した」と明言したのとあわせてその作業が行われている。

官僚の答弁は全てが安倍を忖度してのものだ。

イラクの日報問題も当時の大臣は知らなかったと言い続け、処分は防衛省の役人どまり。

セクハラ罪は無いと開き直る麻生。

すべてが安倍を擁護するための詭弁の連続だ。

嘘と疑惑と隠ぺいで塗り固められた政権。忖度と言う空気が支配する政権内部。

「空気」と書くのはイザヤベンダサンこと山本七平がこの国を評した著作のタイトルで用いた表現だ。「空気の研究」。

日大のアメフット部の事件。
「この場に出て事実を話すことが自分の償いだ」と述べたあの選手。大好きだったアメフットを辞めると言う覚悟をして彼は語った。
彼を称賛するにいささかのためらいもない。
彼は一人の人間として自分の良心に忠実であろうと決心したのだ。

きのう会見に臨んだ監督・コーチは保身を旨とした。
挙句、監督は心労で入院した。逃げたと言うに等しい。
伝統ある日大フェニックスの中にある逃げと嘘と保身。

最高権力者である監督を忖度したあのコーチや司会者。
絶対権力者であり、大学の経営陣のナンバー2である男に逆らえない大人たち。

奇しくも「空気」は政界と符合しているのだ。
日大はマンモス校と呼ばれる。学生数の多さを学校当局は売りにしている。

自民公明の議席はまさにマンモス的数字だ。どこか符号してはいないか。

かつて学園闘争が激しかった時代。それは日大にも飛び火していた。
日大全共闘の秋田明大。彼らを潰しにかかったのは応援団はじめ体育会の学生、そしてその中には暴力団も交じっていた。

あの真相を告白した学生はもしかしたら学校をも辞める事態に追い込まれるかもしれない。

「空気」に染まらないまともな企業だってあるはずだ。彼を有能な社員として迎え入れればいい。きっと役に立つ。

東大でのエリート官僚は日大など目にもくれない存在だ。しかし、学生の中には「人間性」に於いて権力を忖度しない優れた人物がいたということ。

「空気」を振り払い、権力機構を解体に追い込む。そんな萌芽が生まれることを祈る。

安倍政権の「醜さ」を糾弾する政治家が与党の中からも生まれることを祈る。

監督もコーチも会見で「正直言って」と何回も行った。
正直と言う倫理観も言葉もかれらによって壊された。

自ら用いた「信なくば立たず」という言葉も安倍によって無意味な言葉とされてしまった。

僕はこんな空気に耐えられない。アナタは耐えられるのですか。

2018年5月22日火曜日

その存在の耐えられない「嘘」

永田町や霞が関、日本の中枢。
そこで虚言や妄言、有ってはならないことが相次いだ。
首相は「膿を出し切る」と大見得をきった。

膿を出すための「手術」が行われた気配はどこにもない。
丁寧な説明ももちろん無い。

「口先だけ」の所業が相次いでいる。それに国民は馴らされてくる。

膿は出せない。なぜなら膿の元凶は言った本人だからだ。

加計問題で愛媛県が安倍と加計の「密会」があった記録を出した。
きのう、それを記者団から聞かれた安倍は無言で去った。

歴史は夜作られる、そんな大仰なことを言うまでもないが、昨夜安倍周辺は「対策会議」に大童だったのだろう。
今朝になって「会ったことはない」と言い切った。
愛媛県文書を「無視」することで乗り切れると判断したからだろう。

会った、会わない。記録が無い。あまりにも子供騙しが過ぎる。
愛媛県が偽の文書を作る必然性はどこにも無い。

官邸の面会記録は「破棄される」と公言してきた。記録が無いのだから確認のしようが無い。全く都合のいい理屈だ。

「愛媛県文書」というれっきとした記録がある。

面談は15分。多忙な日程でもその合間を縫えば可能だ。その夜は公邸。
彼が公邸泊の時はなにかその理由があるからだ。
公邸への出入りは番記者の目にも止まりにくい。正面では無く南門と言う溜池側からの出入り口もある。
かって今の公邸のその門もしばしば利用されたことがある。

公邸での来客は秘書官の言うがままに報道される。

ベタ記事ではあるが「首相動静」は立派な記録である。
新聞は今回の「ぬかり」を糧として首相動静の報道の在り方を官邸サイドと内閣記者会でこれまでのような馴れ合いのやり方を再考するチャンスだ。

報道機関の恥でもあるのだから。

「モリカケ問題よりももっと重要な法案がある。いつまでもモリカケにかまっていられない」と自民幹部や安倍寄りのテレビのコメンテーターは言う。

違う。

一国の宰相が「嘘」を言っているという事はこの国にとってのその存在を問われる重大事なのだ。

もう一つ書く。
麻生が「セクハラ罪」と言うのは無いと記者を脅すように言った。閣議もそれを追認した。

ならば、少なくとも野党は、国会は立法府であり、国権の最高機関である以上、すぐさま「セクハラ罪」を明記した法律を議員立法で作るべきだ。
女性閣僚がどう反応するかが見ものだ。

野党は本腰で加計問題をさらに追及しなさい。立法府としての責務として。
ジャーナリズムよ、覚醒しなさい。我々はあなた方の報道によってしか事実や真実を知ることが出来ないのだから。

昔し、一緒に取材活動に当たっていた毎日の岸井君が逝った。彼があの病気であることは聞いていたが無念だ。もう一回、昔よばれていたあだ名で呼んでほしい。
岸井君とて政権やジャーナリズムに対する思いは同じだと思う。

安倍はあまりにも甘い蜜を味わい過ぎた・・・。去るのが唯一の汚名を着ない道だと思うが。

2018年5月13日日曜日

官邸の“黒い霧”

かつて政界には「黒い霧解散」と呼ばれる“政変”があった。
政治家が関与した疑獄事件、汚職事件が多発し、その「霧」を吹き払おうとした解散。
極端な話し、政界はしばしば黒い霧に覆われてきた。

「黒い霧」とは松本清張が書いた政界の不祥事を称した言葉だ。名付け親は松本清張だ。

いま、また首相官邸に「黒い霧」が渦巻いている。

加計問題を巡る通産省出向の柳瀬唯夫秘書官の行動、言動の件。
過日の国会での参考人招致で、かって首相秘書官の経験がある江田憲司が自分の経験をもとに質問していたが、いささか隔靴掻痒、ポイントがずれていたような思いがした。

あの参考人質疑やその後の愛媛県知事の会見を聞いておもったいくつかの疑問。
なぜあの加計関係者や愛媛県職員、今治市職員が面談することになったのか。
その経緯が判然としない。

首相秘書官が、多忙なはずの秘書官が、日程をたくさん入れるのが好きな首相の秘書官が「記憶にない」面談が実現したのか。

首相からの指示があったのか。
かねて面識があった加計学園の関係者だったからか。
おおかた、秘書官といえども官邸の要職あるものがなんらかの“介在”が無ければ「陳情」を受けることは無い。
議員であっても野党なら入門を阻止される時代。

政治部の記者になった時、テレビの用語では首相と言うのは使ってはいけない。
総理大臣とすべきだ。各大臣にしても相という言葉はつかってはいけないと教わった。
何故なら、読みいくいし、発音もしにくい。間違って聞き取られることがある。というような理由だった。
首相案件でなく総理案件というのが自分たちの「正しい用語」だと言う“柳瀬理論”の根拠もここら辺にあるのだろう。

しかし、永田町居住者以外では多くが「首相」だ。文字化するときは尚更だ。新聞では首相と表記されている。

名刺が出てきた。ということは名刺交換が行われたという事の証左だ。
それを「相手方の名刺をもらってないか、探したけれど見つからなかった」というのは秘書官室の事務怠慢だ。

官邸に入るには「表門」と慣例でよばれる警備小屋兼受付の様な「関所」がある。
「表門さん、どこそこの誰それさんたちが見えますが面会はOKです」と事務方の連絡がいくはずだ。いきなり来ても入れるはずはない。
受付では名前などを書かされる。警備上の都合もある。
面会記録がないということは有り得ない。

首相と秘書官は一心同体である。常日頃、連日事務報告事務連絡は欠かせない業務だ。親分に報告していないという事は有り得ない。
面談の時にはお茶が出されるはずだ。事務職員は知っているはずだ。

「官邸の中にいると世間の事に疎くなるので、なるべく外部の人と会うようにしている」。
おいおい、あんたは宮中に居るのじゃないぜ。

首相の傍にいつもいるのだから同席していれば”外部“の様子は逐一わかるはずだ。
彼の言い分は「総理も世間の事に疎い」と言っているに等しい。

内閣記者会の記者は毎晩のように秘書官宅にも夜回りに行く。世間と接触できているはずだ。

首相秘書官は田中内閣までは政務秘書官、大方は首相にずっと仕えてきた秘書。
事務秘書官は大蔵省、外務省、警察庁からの出向だった。
田中内閣の時に田中通産大臣の有能な秘書官だった小長啓一氏が首相秘書官になった。彼を角さんが見込んだからだ。
彼は日本列島改造論も書き、田中首相の国会演説原稿も書いていた。

田中内閣の名残か。通産出身の秘書官が定位置を占めた。
今や官邸は通産、ではない経産省か、そこ出身者が枢要な地位を占めている。

今の建て替えられた官邸にはもちろん入ったことがない。
今は公邸といわれる昔の官邸の模様を想起しながら「おかしな点」を列挙してみた。
白亜のような官邸にはどうも黒い霧が立ち込めているような思いに捉われて。

官邸に発生している霧が日本中を覆わないようにと念じながら・・・。

2018年5月3日木曜日

71歳の誕生日を迎えたキミへ

きょうはキミの71歳の誕生日だ。昭和22年、1947年にキミは正式に生まれた。

71年間、ボクはキミと付き合ってきた。
高校3年時、大学受験勉強の合間に、毎日キミを読んでいた。キミが語りかけてくる言葉を一語一語噛みしめるように。

キミの前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」。この部分をある種の感動を以って接していた。

テレビの社会に入り、政治担当になると渡される議員手帳。そこには憲法が記載されている。
折に触れて読みふけっていた。

71歳になって、またぞろ「改憲論議」にキミはさらされている。
しかし、その論議は戦争放棄をうたった9条の扱いに収斂された感があり、どこか本質論とずれている。

キミが公布された昭和21年11月3日。総理大臣は吉田茂、国務大臣に幣原喜重郎の名がある。吉田茂の前任者。
キミを誕生させたのは事実上は幣原喜重郎という人だ。

幣原喜重郎「外交50年史」という“公文書”が、国立公文書館に保管されているはずだ。
彼の日記がそこに残されているはずだ。
「私は図らずも内閣を組織することを命ぜられ、総理の職に就いた時、すぐ余の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これはなんとかして、あの野に叫ぶ国民の意志を実現すべく努めないといかんと堅く決心したのであった。
それで、憲法の中に未来永劫、あのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹するようにしなければならんということだ。

少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっている。

中途半端な軍備をもつよりもむしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが一番確実な方法だと思ったのである。」

抜粋すればこんな文章だ。幣原はキミの誕生のタネを植えたのだ。

キミが生まれて50年後くらいの人たちは、憲法論議をあえて避けている。
仲間の中でそれを言い出せばその場がしらけてしまうからだという。

新聞の世論調査は「安倍政権下での改憲について」と聞く。
どの、だれの政権下にあってもキミはキミなのだ。

今日の新聞は一日では読み切れないくらいの量でキミのことを書いている。
でも、一挙にこの日に合わせて書いても理解は深まらない。
常時、この憲法と言う民主主義の「基本法」について誰もが議論しやすいような記事を書き続けなければいけないのだ。

若者が日常の話題に供せるような書き方で。それが、マスコミと言うものがキミの誕生日に心することではないのだろうか。

AKB48の内山奈月と言う子はどうしているのだろう。今も活動しているのだろうか。
彼女が憲法学者の南野森教授と書いた「憲法主義」と言う本は若者への啓蒙に足る本だと思うけれど。

ボクは終生キミに付き合うつもりだ。
お祝いにもならない誕生日のメッセージ。

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。 道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。 ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。 その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。 枯葉は...