2018年11月14日水曜日

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。
道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。
ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。
その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。
枯葉はどこから飛んできたかはわからない。やがて口論になる。
枯葉処分の「責任論」。

東京電力福島第一発電所の爆発事故。大量の放射線が各所に飛散した。
二本松にある岩代・小浜城ゴルフ場は汚染された。
客足は遠のいた。経営破たん。別の経営で再建。
ゴルフ場は汚染が原因だとして東電の「責任」を問い提訴した。
東電や裁判所の見解。放射能汚染は風が飛散させたものであり、東電のものでは無い。その放射線は「無主物」だ。責任を風のせいにしたとんでもない「責任論」。

福島県内の被災者から集団提訴されている裁判。
東電の元幹部、会長・副社長らは「津波を予測し得る立場になかったとし、勝俣元社長・会長に至っては「部下から報告は上がってこなかった。知り得る立場に無かった」と無罪を主張した。我々には「責任」はないと。
よしんば「知り得る立場になかった」という主張が事実だとしてもそんな組織を作っていた彼らには「責任」があるはずだ。企業のガバナンスとして。

南相馬の小高区の一部住民が起こしていた原発事故の損害賠償訴訟。いわば第三者のようなADRの和解案すら東電は拒否した。

原発事故の「責任」は会社も国もとっていない。
宙ぶらりんのままの「責任」。

シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏に関する「自己責任論」はいまだ続いている。それは彼が“個人”だからか。
自らは“安全”なこの日本という国に居て、彼の責任を云々する。それはいわば同業のジャーナリストと称する人達が言うべきでは無い。
“私はこのテレビ局の社員です。社が許可しなければシリアには行けない。
一人で、彼の地のことを伝えようとした安田さんの行為を責めるべきでない“
モーニングショーでテレビ朝日社員の玉川徹が怒りをぶつけていたのは腑に落ちた。

「政治責任」とは何だ。言葉だけが存在している。
「説明責任」、それを丁寧ではないまでも果たしたことはない首相。

「責任」「責任」という言葉が連日のようにいわれる。
連日のように企業のトップや学校関係者がテレビカメラの前で頭を下げている。“もうしわけありません”という言葉を並べて。

「製造責任」と言う言葉も聞かれる。
それらの背景には成長の名のもとに、あまた便利で快適で豊かな生活を求めてきた「消費者責任」だってあるのではないか。

落ち葉の季節に思う。
“焚くほどは風がもてくる落ち葉かな”。良寛の句だ。
良寛の教え「足るを知る」。科学文明が進み、AIが進化していく。
良寛の教え、価値観は時代遅れの言葉なのか。意味を持たない言葉なのか。

あとで枯葉一葉に伺てみることにする。


焚くほどに風が持ちくる落ち葉かな

2018年11月4日日曜日

♪ケ・サラ ケ・サラ♪が響いていた頃

3年前の夏、国会議事堂や首相官邸の前では反原発・安倍内閣退陣を求めた
人たちの群れで溢れていた。連日のような行動。

その中で一際目を引いたのは自由の森学園の生徒たちが歌う♪ケ・セラ♪の大合唱だった。

学生の中に大人も交じりケ・セラ、ケ・セラと歌い続けていた。
♪押さえ切れない怒り
 こらえ切れない悲しみ
 そんなことのくり返しだけど
 決して負けはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
 僕たちの人生は
 平和と自由もとめて
 生きてゆけばいいのさ

イタリアのホセ・フェリシアーノが有名な革命家たちを歌った歌。日本語訳は岩谷時子だ。青春の1ページとして残っているだけか。

自由の森学園とは埼玉県にある中高一貫の私学。
例えば、歌手の星野源が出た学校。

一時は3万人とも6万人とも10万人とも伝えられたあの人たちはいまはどこに行ってしまったのだろう。青春の1ページとして残っているだけか。

今でも毎週金曜日、反原発を唱え、安倍政治を批判する人達が官邸前にいる。
しかし、その人数は往時よりははるかに少ない。千人くらいの時も有るという。

こういうことを白々しく書いている自分に自己嫌悪めいたものを覚える。体の不調でそこには行けないという理由で。

ハロウィンというバカ騒ぎが渋谷であった。多くの群衆が仮装してそこに集まり、無目的に街を荒らしていく。
いわゆる“バカ騒ぎ”をしていた。

渋谷は“解放区”のようになったが、それは昔のカルチェラタンのそれでは無く。

人は化粧をすることによって「気持ち」が変わるという。
病人にいささかの化粧をほどこすと眼が輝いてくるという話もある。

ハロウィンに集った人達。仮装・変装することで、“非日常”なもう一人の自分が誕生する。日頃のうっぷん、不平・不満、働き蜂のような自分から解放されようとして。
そんな風にしか彼らを理解出来ない。

アメリカ大陸では民族大移動が続いている。圧政、暴力、貧困から逃れるために南米ホンジェラスからU・S・Aまでの2千400キロを徒歩で。
日本列島を縦断するより長い距離をただひたすらに歩いている。
仮の寝場所や食料は支援団体がどうにか提供しているようだが。
7千人のうち、半数以上はこども。一縷の希望を持って目指す合衆国。
そこでは武装した1万5千人の武装兵士が待ち受けているという。

彼らは群衆なのか群集なのか。

「孤独な群衆」という論考、「群衆の中の孤独」という論考。

もはやぼんくら老人になった身は「解」を持たない。
♪ケ・サラ♪の歌声だけが耳朶をくすぐる。
  

2018年11月1日木曜日

ジャーナリストという職業

昔、田中角栄と早朝の懇談の席で彼は新聞、テレビの記者にこんなことを言った。話のきっかけは覚えてないが。
「君たちジャーナリストは我々政治家を批判するのが職業だ。仕事だ。どんどん批判すればいい。われわれ政治家はそれらの批判に負けないような政治をする。それが政治家と言う職業にかかわる立場のものの仕事だ。」

フリージャーナリストという“職業”がいつから生まれたのかはよくわからない。どの会社にも所属していないジャーナリストということか。
なぜフリーを選ぶのか。組織からの束縛を排し、文字通り“自由”の書き、行動出来るということか。

フリージャーナリストの安田純平氏が取材先のシリアで武装勢力に拘束された。4年の拘束の後解放された。帰国した。
身代金を払ったのかどうか。3億が出所不明のまま支払われたと言う。

彼の解放時にはテレビは実況中継もどきをはかり、帰国したら、一部メディアやあの例の「ネトウヨ」の非難にさらされている。
「金儲けのために危険地帯に行ったんだ。そんなやつを助けるのに政府が援助、支援する必要は無い」というのが大方の言い分。
職業としてその道を選んだのは、組織メディアには不可能なことをやったんだ。
取材して書いて報酬を得るのは当然だ。と思う。

シリアがどういう状況なのか。知りたいと思っている人たちにそれを伝えようとした。
会社員としての新聞や雑誌、テレビの人間には会社からの許可が下りないだろうことをフリーなるが故の志と環境で出来たことだ。

かつてベトナム戦争時、毎日新聞は数名の記者を投入して「泥と炎のインドシナ」という記事を書き続けた。
その企画記事はベトナム戦争の実態を読者にそれなりに十分に伝えたものだった。
その後塵を拝するがごとく、朝日も何人もの記者を投入して「ベトナム戦争ものの企画記事を次々と書いた。
しかし、彼らの”拠点“は「南ベトナム」のサイゴンだった。
やがて朝日は北ベトナムの「ハノイ」に入るいことに成功し、「ハノイ発」の記事を書いた。
大新聞の記事とは別に、今でいうフリージャーナリストの等しいような外国通信社との特別契約をした岡村昭彦が南ベトナム軍に従軍して「南ベトナム従軍記」を書いた。
カメラマンの沢田教一も、川を渡る母娘の姿を捉えて「安全への逃避行」と題した写真を撮りピュリツアー賞も受賞した。

これらの報道があって日本の国内では「ベ平連」が生まれ、ベトナム戦争反対の機運が巻き起こった。アメリカとて同様だった。

中東の紛争地へ今はベトナム戦争時のような取材が敢行される機運にはない。
たとえば、安田さんらの報道に頼るしかないのだ。
テレビはスタジオの中でああでもない、こうでもないと無責任な”言論“が飛び交ている。

福島ではあの「3・11」時、原発から70キロ以外に報道人も居ろとされた。やがて50キロ・・・。
「現場」を踏めない記者たちにはイライラが募っていた。東京のキー局からの指示。
原発の近くに行きその様子を伝えたのは大方「フリー」のジャーナリストだった。あの時「現場」に行きたかった。20キロ圏内、10キロ圏内の様子を伝えたいとする記者たちの切歯扼腕ぶりを思い出す。

ジャーナルズムは何かが起きる度にそれとどう向き合うか。ジャーナリストは何を為すべきか。
結論の出ない問い。

「責任論」をめぐるあれこれ

落ち葉の季節である。枯葉が舞う季節だ。 道路にも玄関にも庭にも、落ち葉の“饗宴”が季節を感じさせる。 ある家の庭に落ち葉が、枯葉が大量に飛んできていた。 その家の主は隣家の樹が枯れて落ちたものとし、それを片付けるのは樹の所有者である隣家の「責任だ」と怒鳴りこんだ。 枯葉は...