2018年11月1日木曜日

ジャーナリストという職業

昔、田中角栄と早朝の懇談の席で彼は新聞、テレビの記者にこんなことを言った。話のきっかけは覚えてないが。
「君たちジャーナリストは我々政治家を批判するのが職業だ。仕事だ。どんどん批判すればいい。われわれ政治家はそれらの批判に負けないような政治をする。それが政治家と言う職業にかかわる立場のものの仕事だ。」

フリージャーナリストという“職業”がいつから生まれたのかはよくわからない。どの会社にも所属していないジャーナリストということか。
なぜフリーを選ぶのか。組織からの束縛を排し、文字通り“自由”の書き、行動出来るということか。

フリージャーナリストの安田純平氏が取材先のシリアで武装勢力に拘束された。4年の拘束の後解放された。帰国した。
身代金を払ったのかどうか。3億が出所不明のまま支払われたと言う。

彼の解放時にはテレビは実況中継もどきをはかり、帰国したら、一部メディアやあの例の「ネトウヨ」の非難にさらされている。
「金儲けのために危険地帯に行ったんだ。そんなやつを助けるのに政府が援助、支援する必要は無い」というのが大方の言い分。
職業としてその道を選んだのは、組織メディアには不可能なことをやったんだ。
取材して書いて報酬を得るのは当然だ。と思う。

シリアがどういう状況なのか。知りたいと思っている人たちにそれを伝えようとした。
会社員としての新聞や雑誌、テレビの人間には会社からの許可が下りないだろうことをフリーなるが故の志と環境で出来たことだ。

かつてベトナム戦争時、毎日新聞は数名の記者を投入して「泥と炎のインドシナ」という記事を書き続けた。
その企画記事はベトナム戦争の実態を読者にそれなりに十分に伝えたものだった。
その後塵を拝するがごとく、朝日も何人もの記者を投入して「ベトナム戦争ものの企画記事を次々と書いた。
しかし、彼らの”拠点“は「南ベトナム」のサイゴンだった。
やがて朝日は北ベトナムの「ハノイ」に入るいことに成功し、「ハノイ発」の記事を書いた。
大新聞の記事とは別に、今でいうフリージャーナリストの等しいような外国通信社との特別契約をした岡村昭彦が南ベトナム軍に従軍して「南ベトナム従軍記」を書いた。
カメラマンの沢田教一も、川を渡る母娘の姿を捉えて「安全への逃避行」と題した写真を撮りピュリツアー賞も受賞した。

これらの報道があって日本の国内では「ベ平連」が生まれ、ベトナム戦争反対の機運が巻き起こった。アメリカとて同様だった。

中東の紛争地へ今はベトナム戦争時のような取材が敢行される機運にはない。
たとえば、安田さんらの報道に頼るしかないのだ。
テレビはスタジオの中でああでもない、こうでもないと無責任な”言論“が飛び交ている。

福島ではあの「3・11」時、原発から70キロ以外に報道人も居ろとされた。やがて50キロ・・・。
「現場」を踏めない記者たちにはイライラが募っていた。東京のキー局からの指示。
原発の近くに行きその様子を伝えたのは大方「フリー」のジャーナリストだった。あの時「現場」に行きたかった。20キロ圏内、10キロ圏内の様子を伝えたいとする記者たちの切歯扼腕ぶりを思い出す。

ジャーナルズムは何かが起きる度にそれとどう向き合うか。ジャーナリストは何を為すべきか。
結論の出ない問い。

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