2018年11月4日日曜日

♪ケ・サラ ケ・サラ♪が響いていた頃

3年前の夏、国会議事堂や首相官邸の前では反原発・安倍内閣退陣を求めた
人たちの群れで溢れていた。連日のような行動。

その中で一際目を引いたのは自由の森学園の生徒たちが歌う♪ケ・セラ♪の大合唱だった。

学生の中に大人も交じりケ・セラ、ケ・セラと歌い続けていた。
♪押さえ切れない怒り
 こらえ切れない悲しみ
 そんなことのくり返しだけど
 決して負けはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
 僕たちの人生は
 平和と自由もとめて
 生きてゆけばいいのさ

イタリアのホセ・フェリシアーノが有名な革命家たちを歌った歌。日本語訳は岩谷時子だ。青春の1ページとして残っているだけか。

自由の森学園とは埼玉県にある中高一貫の私学。
例えば、歌手の星野源が出た学校。

一時は3万人とも6万人とも10万人とも伝えられたあの人たちはいまはどこに行ってしまったのだろう。青春の1ページとして残っているだけか。

今でも毎週金曜日、反原発を唱え、安倍政治を批判する人達が官邸前にいる。
しかし、その人数は往時よりははるかに少ない。千人くらいの時も有るという。

こういうことを白々しく書いている自分に自己嫌悪めいたものを覚える。体の不調でそこには行けないという理由で。

ハロウィンというバカ騒ぎが渋谷であった。多くの群衆が仮装してそこに集まり、無目的に街を荒らしていく。
いわゆる“バカ騒ぎ”をしていた。

渋谷は“解放区”のようになったが、それは昔のカルチェラタンのそれでは無く。

人は化粧をすることによって「気持ち」が変わるという。
病人にいささかの化粧をほどこすと眼が輝いてくるという話もある。

ハロウィンに集った人達。仮装・変装することで、“非日常”なもう一人の自分が誕生する。日頃のうっぷん、不平・不満、働き蜂のような自分から解放されようとして。
そんな風にしか彼らを理解出来ない。

アメリカ大陸では民族大移動が続いている。圧政、暴力、貧困から逃れるために南米ホンジェラスからU・S・Aまでの2千400キロを徒歩で。
日本列島を縦断するより長い距離をただひたすらに歩いている。
仮の寝場所や食料は支援団体がどうにか提供しているようだが。
7千人のうち、半数以上はこども。一縷の希望を持って目指す合衆国。
そこでは武装した1万5千人の武装兵士が待ち受けているという。

彼らは群衆なのか群集なのか。

「孤独な群衆」という論考、「群衆の中の孤独」という論考。

もはやぼんくら老人になった身は「解」を持たない。
♪ケ・サラ♪の歌声だけが耳朶をくすぐる。
  

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