2019年1月22日火曜日

憂しき世の憂しき事ども

日本は少しずつ衰退していっている感がある。
その一つは、あってはならない“虚偽”にこの国の姿が反映されているという事である。

「毎月勤労統計」の不正調査問題。あまりにもおぞましい。
勤労統計は国の基幹統計とされている。賃金などを毎月調べ、その統計数字が例えば雇用保険の金額などを決める。

その統計がサンプル数を含めて過少に計上されていた。いわば国が支払う保険料などが過少な数字のデータとして扱われ、予算にもそれが反映されていた。

国の中枢のサボタージュか意図的な偽装か。
東京で過少に抽出された“標本”が“全体像”として扱われる。
で、賃金が上がってます、という国の説明が出来上がる。
10年以上前建築物の「耐震偽装」問題が世を騒がせた。
今は、国の形が“対民偽装”されている。

大学の時、「統計学」と言う科目があった。どうにか「不可」にならない範囲で授業に出てはいたが苦手な分野だった。しかしこれだけは覚えている。
「統計とは国の基礎、基幹、骨格をなすべきものだ」という教授の言葉。

国の基礎が緩んでいる。

その伝で言えば、テレビの視聴率もどこかにまやかしが存在しているのかもしれない。
メディアが行う「世論調査」だって疑わしくも思える。

簡単に一言で言おう。「我々は国に騙されている」と。

およそ国の統計に信用が置けないという事は、例えばGDPだってほんとかいとなる。
債務残高のGDP比だって、♪そんな借金したことない♪てなことにもなりかねない。

来年には一人暮らしの高齢者が700万人を超えるという。

人口統計が正確ならばだが。

若者が減り、高齢者が増えている。その数字もあながち正解なのかどうか。

人口減少、地方消滅・・・。

原発事故による放射性物質の飛散の問題だってそうだった。
役所の2階で測る数値と測定器を地上に置いたのでは数字は大きく異なる。
学者が持ち出してきた、引っ張り出してきた線量の雲泥の差。
当時11歳の子供が100m㏜の被曝をしていた。その子の検査結果は“隠ぺい”されていた・・・。

原発事故は「数値」をめぐる騙しっこだったような。

我々は大方「数字」の世界に生きることを余儀なくされている。

あの自民党の二階幹事長ですら言っている。
 「統計法違反の疑いがある問題は、安倍政権下で大臣名による虚偽の説明書類の提出や、不適切な調査部分のデータ補正を始めたことが判明したとすれば、「いささかでも疑問点があってはいけない」と言っている。
 
官僚が“適当”に数字を作り、大臣は“めくら判”を押しただけという事か。
何かの意図を持って、そんな数字を作らせたのか。

沖縄・辺野古の埋め立て問題。地盤が軟弱な地域があり、建設計画を変更するという。
設計段階でわかっていたことなのに、「土砂投入」という既成事実を作ってから
計画変更。

なんか、同じ構図のように思える。

あらためて書く。我々は国に騙されている、と。

♪その手は桑名の蛤よ♪なのだ。

2019年1月14日月曜日

嘘とカネまみれの東京オリンピック

いまさらというか、あらためてというか。来年の東京五輪に対して「反対」の意思表示を事あるごとに書いてきた。

改めて自分の意志を明確に表明します。
「2020年東京五輪は国の名誉のために開催権を返上すべき」だと。

今度のオリンピック開催は安倍による嘘から始まった。
各国が杞憂している原発事故に対して「アンダーコントロールされているから問題ないという少なくともまともな福島県民を無視し、世界に対して嘘をついた。
「アンダーコントロールはされていない。福島の現場はおろか、日本の上空に飛散した放射線は天候の具合によっては東京圏の一部にも時折線量計の数値を上げる。

原発事故に関しては、この国の統治機構は隠ぺいに次ぐ隠ぺいが繰り返されている。

IOC総会でtokyoが決まった時にも書いた。
まともな国ならトルコに譲るべきだと。
イランイラク戦争時、空港が閉鎖され行き場を失っていた日本人をトルコ政府は特別機を飛ばして日本人を救出した。
エルトールル号事故の時の「お礼」だとトルコ政府は言った。
日本のメディアはほとんどがその“歴史”に触れなかった。

東京招致をめぐるロビー活動、IOC委員への買収工作が明るみに出始めた。
いつの間にか後追いの記事も無いまま消えた。
オリンピックに重要な権限を持つ「電通」の意向がそこにはあった。
メディアは電通には逆らえなかったからだ。
逆らえば放送種目でも不利な扱いを受けるし、スポンサーもつけないかも。
テレビは怖気づいた。

オリンピック施設の建設をめぐり、不可思議な金の問題が次々と明るみに出た。
それも線香花火のように消えてしまった。

竹田JOC会長の贈収賄疑惑がまた浮上した。フランス発で。
カルロス・ゴーンの逮捕への報復と言う見方さえすぐにネット上を駆け巡った。あながち違っているとは言えないが・・・。

去年大騒ぎになったサマータイム導入も、あおの発想がいかにお粗末かにそれなりの人たちが気づいた。その「構想」はお蔵入りだ。
ボランティア募集の大声はどこかスポーツとは別の事象を思い起こさせる。

オリンピックを目標に掲げるアスリートたちは大勢いる。それを人生を賭けた「夢」だと思っている若者たちも多い。オリンピックこそがアスリートの絶対的目標という思考が彼らにはいつの間にか擦りこまれて来た。大きな夢として。
しかし、彼らが活躍するフィールドは嘘とカネにまみれているのだという事を多くの人が無視する。

子供の頃からラジオから流れてくる実況を噛り付くように聞いていた。
テレビの時代になっても大のオリンピックフアンだ。

それとこの国の実情、オリンピックは完全に政治に利用されているという事とは違う。

テレビの特にNHKの東京五輪に向けての煽り方は物凄い。NHKだけの発案とは思えない。
チコちゃんが「全ての日本国民に問います」というフレーズの如く、国家総動員体制だ。
金栗四三を登場させたドラマ。田畑政治を登場させたドラマ。
これが何を意味しているのか。

マラソンの円谷幸吉は国家の強圧によって死を選択した。

国家・政治と完全に切り離されたスポーツの祭典は望んでいるのだが・・・。

梅原猛が亡くなった。また一人「知の巨人」がいなくなった。
市原悦子が亡くなった。「黒い雨」という映画に出演した位、彼女は反戦を訴え、戦争童話の朗読をライフワークにしていた。
「戦争をなくすこと、世界の問題と関わることも、女優の大事な仕事」と彼女は自著の中で書いている。


来年の「安倍のための東京五輪」を競技を堪能しつつ、冷めた感情を持ってテレビを見ている老人がいる光景。

2019年1月7日月曜日

俺たちはどう生きればいいのか

去年一番売れた本は「君たちはどう生きるか」という吉野源三郎の本だったという。
「コペルくん」は言う。「僕はすべての人がおたがいによい友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進化してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行き着くだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います」。

「どう生きるかの」の問いかけだ。

その答えが「AI(人工知能、ロボット)」が“役立つもの”だとしたらコペル君はどう思うのだろう。

仮に僕が「コペル君」だとして、世の中のことに悩んだとき、それなりの答えを教えてくれる「叔父さん」はいない。
自分で答えを見つけて行かなければいけない。そう、この「老人」はどう生きるのかを。

去年から急速に台頭してきたような「AI論」。
どうも、身近の「センセイ」であるテレビは画像付きで、コンピューターグラフィック技術を駆使してAI礼賛の「空気」を醸成しているようだ。

将棋とAIロボットの対決を面白おかしく伝えてもいた。

そもそも「AI」とは何だろうか。僕にはその実相や存在意義がわからない。

人間はよかれと思って開発して来た者に裏切られて来た。
原発がその証左だ。
原発を作る能力や頭脳、技術を持ちながら、それがいったん事故を起こしたら、大爆発、大暴走を起こしたら、人類はそれを制御することは出来ない。
制御できたはずのものは自然界にある「水」だけだった。

いろいろな意味で人間生活に「明るさ」を与えるはずのエネルギーとしての原発は多くの人たちを破局に近い環境に追い込んでしまった。

原発の処理費用は40兆円を超えるだろう。
事故後の予測の5倍にはなるはず。

鉄腕アトムの生みの親、お茶の水博士は、アトムに「人間の心」を説き、「正義とは何か」を教える名教育者でもあった。

今、鉄腕アトムならぬAIロボットに、誰が「人間的教育」をほどこすのだろう。

日本の若手の研究者の間では2050年までにAI(人工知能)が人間の知能を超えるという“結論”を出している。
AI開発者の一人は「偏見なく少数意見も吸い上げるAI政治家は価値観、感情をもつ人間の政治家を越えた存在になるかもしれない」という。

「AIの進歩は目覚ましく、人知を超えつつある。」ということなのだろうか。

人知を超え、外見も人と区別がつかないAIが、政争に明け暮れる政治家を上回る政策を示せば、未来を決める政治の担い手は変わりうるかもしれない。

AIに「最大多数の最大幸福」とはなにかを問えば、人類は“奴隷”になるかもしれない。

あなたはAIと言うものに「支配」されることを是認できますか。
僕には出来ない。

原発と人類は共生存も共存も出来ない。そんな結論を我々は体得したはずだ。
しかし同じようなことがAIとの関係でも起きてくる気配がある。
人間の頭脳が開発したAIが人間生活に利点をもたらすものとばかり思っていたら、突然のしっぺ返しをくう可能性は大だ。

AIの前に跪くのか、AIを睥睨してみるのか。
AIを生かしつつ、解なき問いを熟議し、決断することが人類の知恵となる。という人も居る。

“お茶の水博士”がいて、AIに人間の倫理観や宗教観、死生観を教え込んだらどうなるのか。

流行物のようにAIが取沙汰されているこの世の中が恐い。

人間がコンピューターに利用されるようになるとは思いもしなかった時代は去る。
共生を考えねばならない時代になる。
スマホに支配される時代を国は強制してくるようだ。

政治をAIに任せた方が人間は幸福になるのだろうか。

「コペル君」教えてくれよ、一緒に考えようよ。俺たちはどう生きるのかを。

「復興」とは何なのだろう

東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...