2019年3月24日日曜日

かくて「商業五輪」の扉が開かれ・・・。

JOCの竹田会長はいわば「犠牲者」だ。2億円以上の賄賂をIOC委員に渡した。
何が何でも2020年のオリンピックを東京に招致するために、誰かから「暗黙の指示」をされてのことだと聞く。
いつの頃からか、ロビー活動と称して、開催国を決定する権利を持つIOCの委員に金品による“買収行為”が行われるようになっていたという。
スポーツの祭典と言う「美しい祭り」の裏では、その他の事でもよくある「汚い行為」が行われていた。

カネのかかるスポーツの祭典、平和の祭典。それがいかに華美に走って行くのか・・・。開会式も閉会式も「ショー」と化し、さながらエンターテインメントの世界だ。

ブルーインパルスによる曲芸飛行が有り、コンピューター技術を駆使した、華やかな開会式をもって、国威発揚のためのスポーツの祭典が始まる。

いまや、東京オリンピックにどれほどの費用が投入されるのか誰も予想がつかない。

政治とスポーツは密接不可分の関係になった。
オリンピックは国威発揚の場になった。

今、この国にそれだけの「国力」があるのだろうか。
最初のうたい文句「コンパクト五輪」はうたかたの如く消えた。

福島の原発事故の「後遺症」は未だに色濃く残っており、何も解決していない。
除染作業は今でも我が家の周りで続いている。
ちょうどオリンピックの頃、1Fの汚染水を貯めるタンクは満杯になるはず。
トリチュウムを除去して海に放出する。それが国の方針だ。
汚染度は“中間貯蔵施設”に運び込まれてくるが、それとても“再利用”させるという。

「アンダーコントロール」などのかけらとてない。
8年前、プルームに乗って飛散した放射性物質は東京湾の汚泥の中に付着していると言われる。浚せつは出来ないそうだ。
オリンピックのためにつかれた嘘。大言壮語した安倍はもはや口にもしない。

まだ4万人の避難者がいる。帰還が可能になったところはどこも人が減った。
病院も機能していない。
そこには「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するインフラは無い。

福島県民はどう思っているのだろうか。
野球・ソフトボールの会場になることを歓迎し、聖火のスタートをJビレッジとすることを喜んでいる。

冗談じゃないよ!

賠償金の支払いを東電はことごとく“拒否”している。
知事はじめ福島県民はもっと怒ってもいいはず。でも歓迎ムードに取り込まれていく。

テレビは毎日のように「礼賛」を押し付ける。スポンサー企業としての“使命感”か、電通スポーツ局の差配か。

商業主義が平和の祭典なるものを支配する。

この20年、オリンピック開催によって繁栄した国は無い。これからもそうだろう。2024年以降の開催地は何を考えているのだろう。

クーベルタン男爵によってはじまった近代五輪も、それを商業主義が支配する限り、そろそろ終焉を、終焉ではなくとも“異次元の見直し”が迫られているような気がする。

原発事故と五輪と。僕の中ではその両立が有り得ない。

例えばマラソンは早朝のスタートになったようだ。
アメリカの三大ネットワークの圧力。これまた商業主義の典型。
アメリカのテレビの視聴率に日本が寄与する。

ばかばかしい。それでも選手は走るということ。

2019年3月11日月曜日

「復興」とは何なのだろう

東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。
未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。
今も「3・11」は続いている・・・。

勤労統計の“偽装”は、この国の根幹を揺るがした。
この国の“実態”を見えないものにした。
国の統計すべてに「疑惑をもって受け止める」という感情が生まれてしまった。

「国であって国で無い」。それがあの問題の本質だ。

「3・11」にかかわる数字だけは真正面から受け止める。

犠牲者数は「震災関連死」を含めて2万2100人を超えている。
いまなお避難生活を余儀なくされている人は約5万1778人。
東京電力福島第一原視力発電所の大事故により、福島県では約3万2600人が避難生活を強いられている。

その数字をどう受け止めるかは、その人それぞれの社会観、価値観の問題だ。
為政者から見る数字の意味と、さまざまな被災者個人から見るのとではその意味が変わってくる。

先日、新聞のベタ記事に近い扱いでこんな記事があった。
//消費者庁は6日、今年2月に実施した、食品中の放射性物質に関する意識調査の結果を公表した。放射性物質を理由に購入をためらう産地として「福島県」と答えた人は、これまでで最も少ない12・5%になり、2013年の初回調査から6・9ポイント減った//。

この原稿の書き方は違うと思う。
8年経ってもまだ12.5%もある。とすべきだ。

14時46分。黙とうをした。テレビでは追悼式の模様が映し出されていた。
「復興」という言葉が飛び交っていた。

「復興って元に戻るってことでしょ。戻らないわよ。新しく興すのじゃないと」。
三陸の被災者がそう言っていた。

そうだ、復興よりも新興というべきなのかもしれない。

福島でも「帰還困難区域」が解除になって行く。しかし、人は帰らない。
住むべき家は廃墟に近いし。
学校に子供はいないという現実は予想では無い。

少子高齢化。それの拍車がかかるのは「被災地」。
村や町が無くなる可能性も大だ。

原発汚染水のタンクは早晩パンクだ。海洋放出が現実味を帯びてくる。
アンダーコントロールは現代の最たる妄言だ。

山林除染は手つかずだ。

復興ってなんだろう・・・。

来年の五輪は復興五輪と位置付けられているそうだ。
Jビレッジを聖火リレーのスタートにするという。
福島県民の中には半数以上がオリンピックに懐疑的だ。

「私は、もともと東京五輪には反対だ。まだ、その時期ではない。「復興五輪」と銘打ちながら、東日本大震災や原発事故の被災地の復興とは無関係だ。むしろ、五輪関連の公共事業によって職人が不足し、復興の遅れや費用の高騰を招いていると聞く。原発事故の後始末もこれからだ。
 被災地にもスポーツ観戦が好きで、東京五輪を楽しみにしている人もいるだろうが、それどころではない被災者は少なくない」。
3・11後に日本に帰化したドナルド・キーン氏はかつてこう言っていた。

テレビや新聞は鉄道の再開や道路の再開を美しい見出しで報じる。
これとて真の復興なのか・・・。

復興という言葉が多用されている限り、復興は為されていないということだ。

復興とは何か。また1年考える。故郷とは何かという事も。

先ごろ亡くなった梅原猛は原発事故を「文明災」と位置付けた。
先ごろ亡くなった作家の橋本治は「バカになったか日本人」という著作を残した。3・11後のこの国を考えた上で付けられた題名。

そう、ぼくだってバカな日本人の一人だ。バカはバカなりに考えて行かないと本当のバカになるようで恐ろしい。

被災地のもろもろ、文明とは何か。考えることだけはやめない覚悟の8年の3・11。

「ウソ」で始まった東京五輪のこと。

このブログで何回も書いて来たつもりだ。 担当しているラジオの番組でも何回か言って来た。 「2020東京オリンピック反対」と。「開催を返上しろ」と。 復興五輪と言う呼称も名目だけ。五輪にカネはかけても被災地は蚊帳の外。 酷暑の中での、マラソンなどに投入された国土改革の...