2019年3月11日月曜日

「復興」とは何なのだろう

東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。
未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。
今も「3・11」は続いている・・・。

勤労統計の“偽装”は、この国の根幹を揺るがした。
この国の“実態”を見えないものにした。
国の統計すべてに「疑惑をもって受け止める」という感情が生まれてしまった。

「国であって国で無い」。それがあの問題の本質だ。

「3・11」にかかわる数字だけは真正面から受け止める。

犠牲者数は「震災関連死」を含めて2万2100人を超えている。
いまなお避難生活を余儀なくされている人は約5万1778人。
東京電力福島第一原視力発電所の大事故により、福島県では約3万2600人が避難生活を強いられている。

その数字をどう受け止めるかは、その人それぞれの社会観、価値観の問題だ。
為政者から見る数字の意味と、さまざまな被災者個人から見るのとではその意味が変わってくる。

先日、新聞のベタ記事に近い扱いでこんな記事があった。
//消費者庁は6日、今年2月に実施した、食品中の放射性物質に関する意識調査の結果を公表した。放射性物質を理由に購入をためらう産地として「福島県」と答えた人は、これまでで最も少ない12・5%になり、2013年の初回調査から6・9ポイント減った//。

この原稿の書き方は違うと思う。
8年経ってもまだ12.5%もある。とすべきだ。

14時46分。黙とうをした。テレビでは追悼式の模様が映し出されていた。
「復興」という言葉が飛び交っていた。

「復興って元に戻るってことでしょ。戻らないわよ。新しく興すのじゃないと」。
三陸の被災者がそう言っていた。

そうだ、復興よりも新興というべきなのかもしれない。

福島でも「帰還困難区域」が解除になって行く。しかし、人は帰らない。
住むべき家は廃墟に近いし。
学校に子供はいないという現実は予想では無い。

少子高齢化。それの拍車がかかるのは「被災地」。
村や町が無くなる可能性も大だ。

原発汚染水のタンクは早晩パンクだ。海洋放出が現実味を帯びてくる。
アンダーコントロールは現代の最たる妄言だ。

山林除染は手つかずだ。

復興ってなんだろう・・・。

来年の五輪は復興五輪と位置付けられているそうだ。
Jビレッジを聖火リレーのスタートにするという。
福島県民の中には半数以上がオリンピックに懐疑的だ。

「私は、もともと東京五輪には反対だ。まだ、その時期ではない。「復興五輪」と銘打ちながら、東日本大震災や原発事故の被災地の復興とは無関係だ。むしろ、五輪関連の公共事業によって職人が不足し、復興の遅れや費用の高騰を招いていると聞く。原発事故の後始末もこれからだ。
 被災地にもスポーツ観戦が好きで、東京五輪を楽しみにしている人もいるだろうが、それどころではない被災者は少なくない」。
3・11後に日本に帰化したドナルド・キーン氏はかつてこう言っていた。

テレビや新聞は鉄道の再開や道路の再開を美しい見出しで報じる。
これとて真の復興なのか・・・。

復興という言葉が多用されている限り、復興は為されていないということだ。

復興とは何か。また1年考える。故郷とは何かという事も。

先ごろ亡くなった梅原猛は原発事故を「文明災」と位置付けた。
先ごろ亡くなった作家の橋本治は「バカになったか日本人」という著作を残した。3・11後のこの国を考えた上で付けられた題名。

そう、ぼくだってバカな日本人の一人だ。バカはバカなりに考えて行かないと本当のバカになるようで恐ろしい。

被災地のもろもろ、文明とは何か。考えることだけはやめない覚悟の8年の3・11。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...