2019年2月25日月曜日

74年後の「高配」

1945年、沖縄戦で最後の司令官だった大田実海軍中将は東京の海軍次官に打電した。
「沖縄県民斯く戦えり。今後、格別の高配を賜らんことを」。
そして、彼は自死した。

その後の沖縄の変遷。国は沖縄県民に対して“高配”があったのだろうか。
在日米軍の基地が70%沖縄に置かれている。その現実。

普天間を辺野古に移設すると言う国の施策。県民投票で示された県民の意志はNO。しかし、辺野古では“工事”が進む。

戦後74年の沖縄に示された“高配”。

3.11後埼玉の立教新座高校の渡辺校長は卒業生にこう告げた。
「3・11の時、お父さんやお母さんは何をしていたの?」子供に問われた時なんと答えるのか。知らなかった、忙しかったと言えるのか。
この日本で起きたことだ。福島までは電車で2時間余りで行ける。行って、黙って福島の海を見よ。と。

辺野古の住民投票の結果を知って、この言葉を思い出した。
事実、新聞紙面にあった那覇の記事。
「将来、子供たちに{県民投票の時お父さん、お母さんはどうしたの?}と聞かれたら、堂々と答えられるようにしたい」。取材中何度か聞いた言葉だ。

そう、その思いを本土の人間がどう受け止めるかだ。この結果をどう思うかだ。

想えば、2019年2月24日は日本にとって記憶に残る日だ。
3・11、東日本大震災を機に、日本に帰化したドナルド・キーン氏が鬼籍に入られた日だ。大事な人を失った日だ。
天皇在位30周年の行事が行われた日だ。
歌手の三浦大知が天皇陛下の作詞、美智子皇后が作曲された琉歌を歌った日だ。
誰よりも沖縄に心を寄せていた両陛下の想いが込められていた歌。

夜、県民投票の結果のニュース速報が流れた。辺野古NOという大多数の県民の意思が。

土砂で汚される辺野古の海を無理に見なくてもいい。
「民主主義」とはなんぞや。沖縄県民がその問い掛けを与えた。
そのことを我がこととして熟考するのが、遅まきながらも我々が出来る“高配”なのかもしれない。

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