2020年4月30日木曜日

"f複合汚染”

かつて、「複合汚染」という言葉が流行った時代があった。その言葉を生んだのは有吉佐和子の小説“複合汚染”。
もちろん小説は公害を主としたものであったが、今の「コロナウイルス」問題を考えていると、その言葉が浮かび、さまざまな事象にそれが当てはまるような気がして。

「コロナウイルス」に関してはわからないことだらけだ。
「ワカラナイ」がこの問題についての結論。

だいたい、このウイルスがどこで発生したのか。
武漢はそうだろうが、ヨーロッパやアメリカを席捲しているのは「武漢」からのものなのか。

あのクルーズ船での集団感染。
なぜ、14日間、密閉空間に人々を隔離しておかねばならなかったのか。

このウイルスが「何者」なのか、まだ、専門家と称する人たちもわかっていない。もちろん政府もだ。

あの14日という数字の“正当性”は何処にあるのか。
未知のウイルスとされながら、既知の如くに対処されてきた。

最初のころの大いなる疑問。

マスクについて書く。
当初、マスクは感染者が咳やくしゃみを防御するために用意されたものだったはず。
原発事故時の「マスク」とは意味が違うとされてきた。
WHOも医師会も「感染防御にはマスクは役立たない」としてきた。だから、それを信じた。いつの間にかの「手のひら返し」。

マスク狂奏曲の開演。そして「奪い合い」「転売」のいつの世にもいる他人の不幸を利得にする輩。
どうにかしてマスクを手に入れる。そんな世情を見て安倍は人気回復の“秘策”として、突如「マスク2枚の贈り物」を言う。
しかし、「贈り物」はカビが生えていた、縫製もデタラメだった。
それは、特に幼児向けとして配られたもの。

多分、カビのマスクを使って入れば新たな感染症が生まれるかも。
それごらん、複合汚染じゃないかい。

オリンピックのことしか頭になかった安倍と小池と森とバッハ。
ようやく気付く、このウイルスの厄介さ。1年延期で、とりあえずオリンピック問題を収めての安倍と小池のグータッチ。

それを機に「コロナ」は一気に「政治利用」されている。
小池は知事再選の布石。天敵だった自民との共同歩調。
「コロナを機に日本の社会システムを変える」と豪語される女帝様。
安倍は総理大臣の地位をいかに安泰にさせるかに考えを巡らす。

そうだ、カネで釣ろう。政治家特有のカネがすべての世渡り術。
「一人10万円」の「見舞金」。

これは、本当に困っている人や医療機関に回すべきだと思うが。
医療現場は「過酷」なのだ。機材も資材もない。

そして、緊急事態宣言。
各自治体も同調。

子供は学校にいけない。大人は自粛・自粛で戸惑いの日々。

諺にいわく。「二兎を追うものは一兎も得ず」。

コロナ対策と経済問題の両立を目論む。
コロナ担当相に、経済再生担当相を兼務させる。

コロナは終焉の兆しとてなく、経済は赤字だらけの、赤字増殖の実相。

PCR検査が、検査ですよ。それが何よりの「医療手段」。
検査を受けられない人、多々あり。
窓口は基本的に「帰国者・接触者相談センター」なるところ。

もはや「帰国者」はいないはず。

医療崩壊が叫ばれている。当該医療機関では。
人間ドッグや健康診断をやっている病院は、それらをすべて中止。
患者は減っている。多分、赤字になるだろうという素人の推測。
こんな形の医療崩壊だって出てくる。

老人ホームや老人収容施設では「集団感染」が相次ぐ。
スーパースプレッダーは誰だ。

唯一の期待は治療薬、ワクチン。
アビガンやレムデシベルや。
ワクチン、思い出すのは「丸山ワクチン」騒ぎがかってあったこと。

緊急事態宣言は「延長」されるという。
「専門家会議の意見も聞いて」と安倍は言う。
あの政府の専門家会議って何だい。科学者としての知見は安倍政治を補完しているようなもの。

福島県には未だ原発事故による非常事態宣言が出されたまま。やっと排気塔の切断、解体作業が。切断によってあの周辺は汚染されるかも。  

緊急事態宣言が延長され、友達と遊びたいという子供の願いは届かず、大人は、巣籠、籠の鳥生活を余儀なくされる。

「朝三暮四」のお国の姿勢。意味不明の専門家会議。

テレワークという言葉も聞き飽きた。

「日本を丸ごと洗濯したく候」。竜馬の声は今は無意味。

PCR検査を希望する人がいくら電話をしてもつながらない。
そりゃそうだ。限られた人員で対応しているのだから。
保健所の管轄は市町村。人員を割けないものか。

「オペレーター増員してお電話お待ちしています」。通販みたいにはいかないけど、通販で買い物する主婦は増えているんだろうな・・・。

政治は複合汚染の主役かも
fuku

2020年4月16日木曜日

“感染列島”を生ききる

正直、心底疲弊している。
「新型コロナウイルス」の騒擾の中で。テレビのワイドショーの無意味さが国民を混乱さす。出てくる専門家の勝手な意見にも何が正解なのか、受けとり方に戸惑う。。
事の本質を見失いがちになりそうな己への危惧。

日増しに周りからも非常時感が伝わってくる。

リハビリに通う病院。行くたびに「様相」が変わっている。
入り口で「問診表」を渡され、検温。
待合室の椅子にはテープが張られ、いわゆる流行の「ソーシャル・ディスタンシング」。
いきなりちょっと”余談“。テレビに出てくる専門家やコメンテーター、司会者。ソーシャルディスタンスと申されているが正確には違う。

コロナ騒動が始まってから、やたら「カタカナ語」が乱用されている。
エアゾル・クラスター・ピークアウト・オーバーシュート・ロックダウン・・・。
PCR・CRP・アビガン・・・。

病院の話に戻る。
マスク着用・アルコール消毒。面会禁止。雰囲気がどこかピリピリと。
院内感染を防ぐための最低手段。病院は患者を守る。患者も病院を守らないといけない。患者としての義務だ。
そんな思いでもろもろ考えを巡らすが・・・。

10年前、「感染列島」という映画があった。あらすじは・・・。
“2011年1月、東京のある病院に患者が救急搬送されてきた。その患者は異様な亡くなり方をした。悪魔のウイルスが日本に舞い降りた瞬間。当初は新型インフルエンザとされたが、そうではなかった。
感染は瞬く間に院内に広がり、医療崩壊が現実のものとなり、感染は日本列島全土にひろがった。患者数千万人。
主人公の医師は患者に血清を輸血する方法を採る。第一患者から採取した血清を知り合いとなった患者に打ち、その子は回復に向かう。
そして半年後にワクチンが完成する。沈静化に向かう。
他方、ウイルスの正体を探す医師は旧知の医師を頼りに、その足跡を追う。
ウイルスの正体は、感染源は海外の洞窟に潜むコウモリだと突き止める。“

おおよそそんな内容の映画。まさに新型コロナに揺れる今を描いたような。

緊急事態宣言が出された日の夜、早朝に繁華街を取材していたテレビカメラが、路上のゴミから逃げていくネズミの姿を撮らえていた。
ぞっとした。

あのカミュの「ぺスト」の始まりは、主人公の医師が階段でつまずいて転んだ黒い物体。ネズミの死骸だったから。

「ペスト」の終末にカミュはこう書いている。
“ペストの終息を喜び、歓喜の声を聞きながら、この歓喜が常に脅かされていることを思い出した。
ペスト菌は決して死ぬことも、消滅することもない。数十年間も、家具や布製品の中で眠りながら生き残り、寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束の中で忍耐強く待ち続ける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送り込むのである“

今、カミュの「ペスト」という本が売れているという。さもありなん。

COVIDO-19をめぐり、この国は揺れに揺れている。
指導者の立場にある人は、なんら定見を持たない。絶望的な国。
マスク2枚を全国民に配るという愚策。466億円。
病院の看護師さんも言っていた。マスクに不自由さを覚えながらも。
肉屋の親父も言っていた。
「466億の金を医療施設の充実に回すべきだ。医療従事者の保全、保護のために使うべきだ」と。まったく同感だ。

検査・隔離だけではことは済まない。
陽性患者への治療薬が必要だ。ワクチンも必要だ。その為に国の予算が
使われるのなら納得出来る。しかし、安倍の人気取りに予算が使われることに、例えマスクに不自由している人でも大喜びできるだろうか。

今、治療薬に「アビガン」という錠剤が有力候補に挙がっている。すでに完成している薬品。投与に踏み切るべきではなかろうか。
原発事故の後、各家庭に自治体の決断で「安定ヨウ素剤」が配布された。
飲む許可を国が出さないうちに一部の人たちが飲用した。
もしかしたら、ヨウ素剤は「精神安定」の効果を発揮したのかもしれない。
「アビガン」についても同じことが言えるかも。

安倍は全国に緊急事態宣言を適用するという。
一所帯10万円を支給するという。昨日までは30万の補償だったが。

揺れに揺れている政府の、安倍の対策。
絶望的な指導者像。

絶望かー。

カミュは「ペスト」の中にこんな言葉を書いている。
「絶望に慣らされてしまうことは、絶望そのものよりもさらに悪い」と。

カミユの言葉を反芻しながら、この感染列島を「生ききる」つもりだ。

2020年4月6日月曜日

「タイガーマスク」と「アベノマスク」

今から10年ほど前の12月25日、群馬県の児童相談所の前に真新しいランドセルが10個置かれていた。伊達直人という名前で。タイガーマスクの漫画の主人公の名前で。
伊達直人はその後相模原市などに出現。ランドセル以外に筆記用具やプラモデル、食品などを置いて行っていた。
タイガーマスク運動と名付けられ、“善意”として拡散された。

原発事故。津波災害。あの頃も人は人に対して優しかった。

政治が劣化し、機能不全を起こしてから久しい。その中で新型コロナウイルスによる災厄が起きた。予想通り「パンデミック」が起きた。

すべてが「後手後手」の対応がもたらしたこと。

2月のある日から、マスクが店頭から消えた。買占めがあり、高価な転売があり、なんでも金儲けにと考える輩が居た。
次にトイレットペーパーが消えた。

人間は人間に対して優しくなくなっているように感じる。

官房長官はマスク6億枚の確保を明言したが、画にかいた餅だった。
ある時から国会はマスクで口を覆った人たちの群れと化し、安倍は記者会見で得意満面に「1所帯2枚」のマスクを郵送すると大見得を切った。

時を同じくして、医師会やWHO(こいつは曲者集団)はマスクはコロナウイルスの予防には役立たないと言った。

医者がマスクの有用性に疑問を呈し、政治家はマスクで口を塞ぐ。

今更ながらの見方だが、武漢で感染爆発が起き、チャーター機が数回、在留日本人を救出し、千葉の三日月ホテルに逗留させた。
ここまではある意味順調だった。

問題は大型クルーズ船ダイアモンド・プリンセスの乗客・乗員の扱い。
「三密」に背くかの如く、“監禁”された。
厚労省の指示だ。
香港で下船したスーパースプレッダーの残滓が船内に残り、感染を拡大させた。
乗客を直ちに下船させ、陸地で対応すべきだった。

結果、下船を許された乗客たちは通常の交通機関で帰宅。ウイルスが拡散された。

政府の動きは鈍かった。何故だかわからない。何かがあったからだ。

WHOはパンデミクス宣言を出さず、模様眺めが続いた。

そして今。感染者は全国に拡大し続けている。
感染源の追跡調査不明とテレビは言う。

PCR検査が問題にされていた。その検査が十分になされていれば「感染源不明」の患者は減ったはず。

「PCR検査を保険適用することを決断しました。国民のみなさまは安心して検査を受けられます」。安倍は公言した。

実態は違う。検査をしたくても保健所が首を縦に振らない。保健所の物理的事情もあるだろうが、検査を受けられない感染者が町を自由に歩き回る。
自覚症状の無い人は特にだ。
経路不明の感染者拡大。「検査」がなされなかったことによるもの。

医療、検査体制があまりにも不十分だった。
厚労省は何を考えていたのか。医師会も表面には出なかった。

検査をしない、できない国。韓国ではドライブスルーも含めて出来得る最大の体制をとっていた。

感染者が拡大し、死者も増える同盟国アメリカ。日本に在留する米国人を帰国させるという。
日本の医療施設はパンク状態。突きつけられる悲惨な現実の数々。

安倍は明日、「緊急事態宣言」を出すという。

ある歴史学者・哲学者の言を借りる。
 “今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。
感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。その結果、今や私たちは、協調的でグローバルな対応を奨励し、組織し、資金を出すグローバルな指導者が不在の状態で、今回の危機に直面している“。

明日、安倍が国民の信頼に足り得る「言葉」を役人の書いた原稿を読まずに語り掛けることができるのか。

それによって、「コロナウイルス」に対する国民の態度も変わり得ると思うのだが。

終わりと始まり

安倍政治が終わった。菅政治が始まる。「同じ穴のムジナ」の終わりと始まり。   ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカが書いた詩にこういうのがある。   “戦争が終わるたびに    誰かが後片付けをしなければならない    何といっても、ひとりでに物事...