2020年6月3日水曜日

安倍政権への限りない憤怒

鳴り物入りで設置され、安倍の“私的諮問機関”のような様相が見て取れる
政府のコロナ対策専門家会議。
安倍の記者会見に座長代理が常に同席している姿を何回も見ていて、その異様さに驚いていた。

政治家と政治記者との会見に医学者がアドバイザーの如く補佐する。やはりおかしい。そして時には“政治”の分野にかかわる発言もする。

コロナ問題を巡っては、医学者による「専門家会議」、「有識者会議」、「諮問委員会」があるという。
その有識者会議のは医学者だけでなく、他分野の人たちも加えるべきだ。
経済界から一人加わったようだが、社会学者・心理学者・宗教学者・哲学者も加えるべきだとかねがね思っている。

科学者の知見に他分野の有識者も加えなければ「まともな会議」にはならない。

それはさて置きだー。
安倍の錦の御旗のような専門家会議。その議事録が無いという。
議事録の無い会議。それは会議そのものが無かったというに等しい。
座長も、座長代理もそれを承知で会議に参加、名を連ねているのか。

国民の生命にかかわる会議に議事録が無い。そのことをメンバーは了承しているのだろうか。
学者の良心として、それへの参加は拒否すべきだ。

知人の医師が言っていた。怒気を含んで。
「その会議で自分が何を発言したか。その発言の正確性を確認し、次に意見を述べる際の参考資料だ。あらゆる学会で“議事録”が無いということはあり得ない」と。

その時の専門家会議で、何が議論され、賛成意見だけでなく反対意見があったであろうことは議事録でしか確認しようが無い。

菅官房長官は「議事録があると自由な意見の開陳が妨げられる」と“暴論”で事を正当化しようとする。

世の中、連日「三密」と連呼されている。
政権の「密」とは、密室で密議を凝らし、内容は国民に対して秘密にする。ということなのだ。

企業や官公庁などで「不祥事」が露見すると、当事者は一様に「第三者委員会」で協議して原因や再発防止の検討をお願いする。流行の手法だ。
第三者委員会などではなく、当事者の例えば経営者で結論が出せることまで。

第三者委員会という隠れ蓑。それは政界とても同じだ。

あるはずのものを隠す。徹底的に隠す。身に不利益が及ぶから。典型的安倍的手法。


「歴史的緊急事態」と安倍は公言した。
安倍は新型コロナ対応のさまざまな場面で「専門家の意見を踏まえて」判断したと繰り返し述べてきた。
その判断のもととなった専門家会議の議論は当然、誰がどんな発言をおこなったのかも含め、すべて国民に公開されなければならない。

政府は今回の新型コロナを、3月10日、公文書管理のガイドラインに基づく「歴史的緊急事態」に指定した。
「歴史的緊急事態」では当然、平時よりも厳格な公文書の作成と管理がおこなわれなければならないはず。

コロナ感染の判断基準。
「37.5度以上4日以上」。PCR検査への目安。この数値に多くの人は振り回された。この目安設定にも、専門家会議の中で異論があったと聞いている。異論は隠蔽された。そして無駄な時間が費やされた結果、今はこの基準は「無意味だった」とされるに至っている。

だから、国民の「混乱」に拍車がかかるのだ。
安心を得ることが出来ない。それは政治の致命的欠陥だと思うのだが。


マスク、コロナ騒動の当初、感染防止への有用性は無いとされてきた。しかし、マスクは消えた。社会的混乱を引き起こした。
そして「アベノマスク」が登場する。
WHOは(テドロス事務局長は信用が置けない人物と思うが)以前、マスクの有用性に少なからず疑問を呈しているようだ。

我が家はまだ届いていない。その処置に悩む。
10万円もまだだ。それの使い方にも悩む。
原発時の8万円の時を想起する。

コロナに終わりは見えない。漠然とした不安に国中が覆われている。
安倍は「有事」の宰相でないことだけは確かだ。
コロナを巡っての彼の行って来た「愚策」の数々がそれを物語っている。

憤怒の川でも渡ろうとするか。

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