2020年6月6日土曜日

アクセサリーとしての「ブルーリボン」

拉致被害者の会の前会長だった横田滋さんがついに力尽き、黄泉の国へと行ってしまわれた。

世の中はコロナ問題に多くの人の関心が集めっている。そんな中での横田さんの死。どう受け止めればいいのか。

「コロナ禍」の中にあって、多くの人は「新しい日常」という言葉に惑わされている。
日々の暮らしが、その積み重ねが日常だ。

めぐみさんが拉致されて以来、横田夫妻の日常は娘を北朝鮮から取り戻すことに終始した。40年以上にわたって。
温厚な人柄に見える横田さんも時には激しい言葉で政治家を責める時があったと聞く。
1400回の講演活動、署名運動。常人に出来る技ではない。

拉致被害者の会の「象徴」はブルーリボンだった。はじめは普通のリボンを安全ピンで胸に止めていた。
20年以上前から立派な「バッジ」に変わった。

車を走らせ、新潟にある被害者の会事務局のようなところを訪ねた。
バッジを求めて。
たしか2千円だったと記憶している。そして、幾ばくかの寄付をしてきた。

バッジは今は手元には無い。若い友人に託した。

民主党の野田政権時、野田の襟にはいつもバッジがあった。そ姿に「まやかしの政治」を感じた。第二次安倍政権になって、安倍はもちろん、すべての閣僚や議員がそれをつけていた。

小泉訪朝以来、北との交渉の道は閉ざされた。安倍は「任期中、在職中に解決する」と大見得を切っていた。

横田夫妻をはじめ、被害者家族の会のメンバーは機会あるごとに官邸を訪れ、一刻も早い救出を穏やかに訴えていた。
横田滋さんの胸中は察するに余りある。心の中では目の前の机を叩きたいような思いだったのではないか。安倍からは毎回「空言」のような返事を聞かされていた。

政府に、政治に頼る以外に救出の方途は持っていないのだから。
自力では動かず、動けず、安倍は盟友トランプに仲立ちを要請するのみだった。
横田さんたちは、そんな他力の動きにも幾ばくかの期待を持ち、進展を祈った。
家族会のメンバーは知っている。高齢化し親は亡くなっていくことを。

予想の中にあった横田滋さんの死。家族会の打撃。

今に始まったことではない。以前から思っていたこと。
政治家がつけている「ブルーリボン」は彼らが“日常”として付けている議員バッジとは意味合いが違う。

安倍は「外交の安倍」と大手メディアはもてはやす。
かれに外交的手腕などは皆無だ。

結局、家族会は誰もいなくなった・・・ということを恐れる。

ブルーリボンは政治家にとっては「アクセサリー」だ。
無意味な飾りを外すべきだ。

それが横田滋さんへの唯一の手向けにも思えるのだが。

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