2020年8月15日土曜日

コロナ渦の中で想う「八月」

八月や6日9日15日。俳句である。 原爆も戦争も、すべて人間が行った「行為」である。 コロナもまた人間による仕業だ。人間が起こしたことは、人間が後始末をしなければならない。論理的帰結としてはそうなる。 昭和史研究家、半藤一利は「日本の一番長い日」と今日15日のことを書いた。 八月15日の正午からの「玉音放送」を聴いた。途切れ途切れのラジオの音声。 その時思ったことがある。 これからは防空頭巾をかぶらなくて済む。ということ。 祖母は真綿で作った防空頭巾に姫路大空襲時の避難の際、火災の火がついて、頭から燃えていたという。気付いた消防団の人が溝に突き落としてくれた、火は消えたが、顔に大やけどを負った。肌は「ケロイド状態」だった。 防空頭巾を被っていなければ、自警団や近所の人たちから叱責された。 防空頭巾はあれから75年たった今の、コロナ渦にあってのマスク必携という社会と酷似している。 防空頭巾を被っていたために祖母は一命をとりとめたものの、危うい場面にあった。それを被っていれば安全ではなく、かえって危険だった。 今、この国の人は全員がマスクをつけている。都知事に至っては毎日がマスクのファッションショーだ。 マスクが感染を防げるものかどうか。「正しい答え」を聞いたことが無い。 「皆がしているから。していないと非難の目で見られるから」。あるメディアの世論調査の結果だ。 75年前と同じように「皆が」という「世間様」がまかり通り、マスクをしていないと脅しのような目線にさらされる。 マスクをする、しない。それはコロナ感染という恐怖がもたらすものだ。 恐怖心は、時として「歪んだ正義」という構図を生む。 原爆が投下されたあと、被爆し、瀕死の状態になった人たちは「水をくれ、水をくれ」と断末魔の“懇願”をした。 南方の島の戦場でも傷ついた兵士は「水、水」と懇願した。 水は与えられなかった。水を飲ますと死ぬ。そんな”思想“があったかららしい。それを大人から聞かされた。 75年前の夏、井戸水をくみ上げて柄杓で存分に水を飲んでいた。暑かったから。飲みながら伝え聞いた原爆被災者の「最後」を想った。 それから30年経っても、運動部の学生は水を飲ませてもらえなかった。 「精神論」が蔓延っていた時代。まだ、75年以上前からの「軍人精神」が生きていたからなのだろう。 いま、サッカーでもラグビーでも、その他の大方のスポーツでは水を飲めと言われる。スポーツ飲料を飲めと言われる。 お盆だ。仏壇には水を供える。墓には水をかける。 熱中症がその危険さを言われている。マスクを外してでも水を飲めと言われる。 「水分を十分に補給してください」と防災無線が呼びかける。 「コロナ本」が多数出版されている。 イタリアの作家で物理学者のパウロ・ジョルダーノが書いた「コロナの時代の僕ら」を読んでいる。 その中の一節。 「僕は忘れたくない。頼りなくして支離滅裂で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかするとこれこそ何より明らかな失敗といえるかもしれない。それは取るに足らぬ話しではない。 感染症流行時は、明確な情報ほど需要な予防手段などないのだから」。 どこか「戦争」の時に出された言葉のようにも思えて。 倉本聰の作品に「歸國」というドラマがある。戦後50年、“特別列車”で帰国した「英霊」たちは、それぞれのゆかりの場所に行く。 余りにも変わってしまった町、人の心。歸國したかった故郷は「国」に変わり、歸りたかったところは「国」に変わっている。 多分、ここ数日掛けて、倉本聰の脚本を読むだろう。英霊を考える上でも。 自然破壊と人間の安易な消費行動。それが森の中に潜んでいた「コロナ」を呼び出してしまった。宿主になるとは露知らず。ジョルダーノの基本的考えでもあるようだ。

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