2020年8月8日土曜日

「日本の特別な夏」

小池百合子都知事が会見で「今年の夏は特別な夏。旅行、帰省、夜間の会食、遠くへの外出をお控えいただきたい」と訴えた。
誰が思いついた手法か。
フリップを掲げる。それはしばしば「斜め」になる。テレビを見ながら顔を斜めにしてそれを見る。

何が特別なのか。伝わるものが無い。“自粛”は今年の冬もおそらく続く。
「コロナ」は終わらない・・・。

特別とは何か、通常とは何か。戸惑う。

1945年以降、日本人は毎年の夏、「特別な日」を持たざるを得ないようになった。それは「悲劇の記念日」として。

8月6日の「ヒロシマ」、8月9日の「ナガサキ」、そして8月15日の「敗戦」。
数字を言えば320万人の死。
助けるにも助けようのない命があった。

唯一の被爆国だ。多数の犠牲者をうんだ被爆国だ。
その国の首相が、なぜ、核について語らないのか、語れないのか。
核兵器禁止条約を批准しないのか。
依然、アメリカの“核の傘”を信じ切っているのか。その傘は”黒い雨“を防げない傘なのかもしれないのに。

「特別な日」にはその特別さを一年に一回だけでも考えるべきだ。
それは被爆当事者でなくても、日本人である以上。
では、何を考えるのか。
NHKは平和を考える日だという。僕は「違う!」と思う。
戦争を考える日だと思う。
戦争を考えたその先に平和という燭光が見えるのならともかく。

「平和」とは何か。それは何気ない日常なのか。
「敵基地攻撃能力」などとこの“コロナ渦”の中でまじめに言う政治家どもがいる。そんな環境下で「平和」がかなうわけもない。

僕の部屋に「焼き場に立つ少年」の写真が置いてある。時折、その写真を見ながら考える。そして想う。

それにしても小池百合子という人は目立ちたがり屋だ。“パフォーマンス”がお好きなかただ。
大阪の吉村という知事も目立ちたがり屋の双璧だ。
もはや、バカというしかない。「イソジン」の製品を机の上に並べて、「コロナを殺す」みたいなことをいった。
バカな一部の在阪テレビは好んでネタとして取り上げた。

ドラッグストアからは瞬く間にイソジン系消毒液が消えた。郡山でもそうだった。

彼にも政治家の資質が無いと思った。こう言えばこうなる。そんな想像力が皆無な奴。
歯科医師会が強力に抗議しているという。さもありなん。ヨード系の薬品は劇薬なのだ。滅多に医師は処方しない。

原爆に被爆し、瀕死の火傷を負った人たちは、皆水をくれといった。
「水を飲ませると死ぬ」。そんな考えが当時は横行していた。それが“正解”なのかどうかはわからない。しかし、水筒の水を分けてあげれがよかった、と未だに後悔している人もいるという。

コロナ渦でマスク必携。熱中症が多発する。水を飲めという。

焼き場に立つ少年はずっと姿勢を崩さぬまま順番を待っていた。順番が来ると焼き場の人に、水をくれとも言えなくなった背中の妹らしい少女の「おんぶひも」をほどき、遺体を託し、その場で深く一礼して去っていったという。写真を撮ったアメリカ人カメラマンの話だ。

それが日本の“特別な日”なのだ。

あの少女の墓標はどこかにあるのだろうか

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