2021年3月11日木曜日

「花は咲いていた」あれから10年後に

 

10年前の大震災、原発爆発.

情報源は新聞、テレビ、ラジオ、そしてツイッターだった。

それらからの「情報」をどう咀嚼し、状況を分析すべきか、悩んでいた。

ツイッターでは今のコロナと同じように「エビデンス」という言葉がやたらと登場していた。

 

民放テレビはCMを止めた。しばらくして、AC(公共広告機構)による♪パパパパ~ン♪のウサギちゃんと会ってばかりいた。

そしてNHKの♪花は咲く♪

その二つを受け入れるには時間がかかった。

“私は何を残しただろう”その解釈を巡って仲間たちと議論したものだった。

 

10年後の今、ようやくこの歌が受け入れられるようになった。

10年前の東北、そろそろ桜の時期になるころだった。

苦しみや悲しみを抱えた人が溢れている中で、いつものように桜は咲いた。桜を恨んだ。それは間違っていたと思う。

それでも春を恨まない。そんなことを書いていた。

 

花とは不思議なものだ。愛でるものでもあり、弔意を示すものでもあり、愛する人に捧げるものでもある。

華道という道も生活や生き様の中に取り込まれている。

 

かつて東電の原発、ゲートから建屋方面に向かって綺麗な花が植えられていた。

あれから10年、異形な場所になった1Fの構内。

40年で廃炉という約束。その四分の一が過ぎた。

アンダーコントロールどころではない。過日の地震で水位計の値は下がっている。デブリを取り出す工程は示されていない。東電の社員は地元との関係維持のため片付け作業などに汗をかいている。

 

汚染水の行方は決まっていない。

 

何も終わっていないのだ。

 

昔、田中角栄が言っていた。

「日本の法律は、あらゆるところに欠陥だらけだ。法律をよく勉強しろ」と。

法律の不備を埋めるために彼は議員立法を数多く出した。

原発のための電源3法を作った男だが、彼ですら原発事故は想像の中になかったのだろう。。

原発のあり様を巡って彼はどういうのだろうか。

 

既存の法律を盾に被災3県の被害者は「法」による被害を被っている。

 

五輪の聖火リレーは福島から出発する予定だ。

「復興五輪」と国は位置付けていた。菅はいつの間にか「コロナに人類が勝った証」と大義を変えた。

福島に来て言った。

「汚染水の処理は、適切な時期に政治が責任をもって処分方法を決定したい」。

 

今では遅すぎるのに。

 

富岡の夜ノ森公園の桜並木は桜の名所だった。事故以降立ち入り禁止になった。

一部はそのまま。

 

「人見るもよし見ざるもよし我は咲くなり」。世阿弥の言葉を桜は実践した。

コロナ禍でまたも桜は犠牲となる。

上野公園は一方通行で桜を眺めるだけとされる。

 

桜はまた愁いを含んで咲く。花は毎年咲くことを忘れてはいない。

 

原発事故時、官邸の対応に非難が多く寄せられていた。

「司令塔」は動くべからず。動ぜずして冷静沈着な判断を。

 

10年前とコロナ禍の今と政治が無能であることにあらためて気づく。

奇しくも同じ漢字の宰相同士。

 

3・11時。当事者の時代と言われた。当事者はいつの間にか被災3県に絞り込まれてしまった。

コロナ禍では全国民が、いや全世界が当事者だ。

 

原発時、水が消えた。コロナではマスクが消えた。愚かな人間ども。

桜はそう思って間もなく咲くのかもしれない。

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