2008年1月8日火曜日

一通の年賀状

きょう一通の年賀状が届いていました。

「早々の年賀ありがとう。私の軽率な行動や発想が災いし、退職金を全て失い、細々と年金暮らし。金は無くともカラダだけは鍛えています。元気です。能無しサラリーマン、働きたくても雇ってくれるとこなく。何か肉体労働でもしようかと。上京の折には是非お会いしたく・・」。携帯の番号が書かれていました。

学生時代からの友人です。社会人になってからもなにかと交流を持ち続けてきました。因縁浅からぬ仲。5年以上前から突然音信不通になっていました。風の便りで消息を聞くのみ・・・。気になっていました。毎年賀状だけは送っていました。返信無し。今年、やっと彼から届いた葉書。

年賀状出し続けていて良かった。手書きの文字を見ながら、うれしくなりました。来月にでも上京。会うつもりです。いや、会わなくっちゃ。ありがとう。返事をくれて・・・。

去年。JPとかのテレビCM。「年賀状は贈り物だと思う」。聞き流していましたが、「贈り物」でした。

毎年、年賀状をどうするか結構悩みます。少し減らそうか。もう、この人は顔も忘れたし・・・。仕事だけの付き合いだったし。もう会うことも無いだろうし・・・。悩みに悩んで出さなかった人から賀状が届いていました。申し訳けなさでいっぱいです。

折からの風邪。チェック機能働かず。無作法をした方にお詫びの返事出さねば・・・。早く体調復活しろ!!。

机の上にうずたかく積まれている年賀状との「闘い」(笑)が始まります。貰えば嬉しいものに違いなし。亭主は現状報告はしないものの、生きている証左にはなる。辞められない慣習。たった50円で心が通い合えるとも。

郡山の友人にはお世話になっているものの、俺だって退職金はもう無いよ。体は鍛えてるよ。プール行って。でも肉体労働は無理だよ。そう、おれだって基本的には年金生活者だよ・・・。そんなことを彼と会ったら話し会うでしょう。それからどんな話の展開になるか・・・。

50円×50円のやり取りが「友情」を復活させてくれる機縁になりました。彼の字は昔よりはいささか上手くなっているような気がしました。



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