2020年12月30日水曜日

年の終わりと年の始まりと

 

2020年が終わり、2021年が始まります。

今年はコロナに始まり、政治家は自分の言葉を持たないことを実感しました、首相は紙を読むだけの“操り人形”に過ぎないことが明らかにされました。

コロナ禍が浮き彫りにしたのは「政治家は最悪」という事実です。

 

安倍は「嘘」と「言い訳」に終始する政治家の風上にも置けない醜い政治家でした。菅は「その任に非ず」。権力欲の亡者にしか見えません。

 

コロナ禍を差配する力量もこれなし、政治倫理、政治哲学も持たずその地位に鎮座している「裸の王様」。

安倍は悪あがきに終始している。この期に及んでも。

 

今、この国が一番苦しんでいるのは「コロナ」という厄災です。

武漢の第一報が入ってから、即座に対応に乗り出すべきでした。

ところが、「経済を回す」という悪魔のささやきに乗り、春節の中国からの観光客をやすやすと受け入れていました。

ダイヤモンド・プリンセス号の乗客を“クラスター状態”にしてしまいました。

 

事の重大さに気付いても後の祭り。

 

防疫や感染症に対する危機感がなかったのです。

 

禍の芽は小さいうちに摘め。

 

台湾もニュージーランドも島国です。“鎖国”を決断すれば島国の日本はウイルスの侵入を阻止できたのでは・・・。

 

検査に勝る治療なし。今もって「PCR検査」はその体制含め、不備のままです。

盟友羽田 孜の長男が感染して急死しました。国会内の診療所では対応できませんでした。

 

コロナはやたらとカタカナ語をつれてやってきました。言葉の感染症とでも言えばいのか。

ウイズコロナ・アフターコロナ・ステイホーム・ニューノーマル・おーば^シュート・ロックダウン・ソーシャルディスタンス・テレワーク・パンデミック

 

 

こんな言葉が我々の生活の中に根付こうとしている。専門用語が日常用語とされる。忸怩たる思いです。

 

日本語では三密。どこへ行っても「密を避ける」。「密」は秘密の密とも読める。

安倍に始まって政治家の特権意識とカネまみれ

 

安倍政権、菅政権はコロナと経済を回すことを両立させようとしました。

コロナを早期に終息に向かわせたら、自然に経済はまわるのに。

 

二兎を追うもの一兎も得ず。

 

「静かな年末年始を」と菅は訓示を垂れる。

政治は“常在戦場”、国民に求めるだけで、国会は開こうとしない。

誤った政治の在り方です。

 

医療崩壊は現実のものとなってくる。

コロナの死者より多い自殺者。

非正規社員の首切り。生活苦。

富者はより富み、貧者はより貧困に。

 

資本主義の矛盾をコロナが露呈した・

 

“去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの”

高浜虚子の句。

 

去年今年という時間の区切りを超えてあり続けるものを「貫く棒」に例えた。ている。

 

来年は、と言っても明後日だが、新聞の一面トップをどんな記事がかざるのだろう。

コロナは衰えを見せない。多分東京は1000人を超える罹患者となるだろう。

 

ワクチンは4月。

7月からオリンピックを予定通り開催すると菅は断言している。

早い方が良い。中止の判断を下すべきだ。アスリートのためにも。

これ以上コロナの感染者を増やしてどうする。

GOTO再開。お得感という人間の欲望を刺激する愚策。

 

政治音痴にも程がある。

 

コロナは変異しているようです。やっと「入国制限」に踏み切ったが、すべてが後手後手なのです。

 

菅政権を倒閣するのは野党だけの力だけではない。

自民党の若手に是非立ち上がって貰いたいのです。

 

自民党の歴史の中では常に自浄作用が働いてきました。

それが無ければ「亡国」を覚悟しなければなりません。

 

折を見て来年も筆をとります。今年最後の妄語でした。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...