日本の政治は完全に機能不全に陥っている。
新型コロナウイルスの蔓延は終わることを知らない。
政治は為す術を持たず、首相の口から出るのは「専門家の意見を聞いて」だけ。
緊急事態宣言で、乗り切れるのか。たぶん無理だろう。
緊急事態宣言、二度あることは三度ある。しかし、仏の顔も三度までなのだ。。
専門家とは政府を補佐する“分科会”のこと。
科学者の良心を持つものが首相と並んで記者会見する。
お里が知れるーということの光景。
会長さんは4度目も口にしている。
第3回目の緊急事態宣言。小池や吉村に懇願されてポリシーを持たない菅が安易に発出した。
「人の流れを抑制する」というのが触れ込みだが、まさに「オオカミ少年」、笛吹けど踊らず。時すでに遅しなり。
緊急事態宣言なるものの発令を含め、国のコロナ対策はすべてが後手後手だ。
感染者を増やしたのは「想像力の欠如した政治」、「決断力なき政治」、「言葉無き政治」。「理念無き政治」。無策がもたらした結果だ。
武田信玄の「風林火山」は政治の要諦だったような気がする。
速さが肝要だった。
全員検査。安倍のホラ。検査体制は不十分。“早期発見”が図れなかった。
医療崩壊、コロナが社会を脅かし始めてから1年半から2年。
医療施設の拡充は出来たはず。医療現場はもうもたない。「命の選別」が余儀なくされている。
本来、日本の医療や感染症対策はこれほど脆弱なものでは無かったはず。
「構造改革」の大義名分で、医療分野への予算は削りに削られてきた。
病院のベッドの削減、医師、看護師の待遇減。
東京女子医大の100人もの医師の退職騒動が実情を物語っている。
使命感を押しつけて事は解決しない。
IPS細胞の山中教授グループへの研究予算は半減された。
厚労省の“女帝”によって。国産ワクチンは出来ない。治験もしない。
コロナ担当相を西村にしてから、ワクチン担当を河野太郎にしてから、厚労省の”サボタージュ“が始まった。
この宣言なるもの、弱い者いじめの最たるものだ。少なくとも菅・小池の頭の中は「オリンピックありき」だ。
「人類がコロナに勝った証左としての五輪。菅の決まり文句。「コロナ」は勝ち負けの問題ではない。
眼に見えない敵としてのコロナが強いに決まっている。
生命体が構成する地球にあってはウイルスが強いはず。どう折り合いをつけていくかが問題なのだ。
緊急事態宣言の発令、解除の時期はIOCのバッハ会長の来日日程に合されたような。そのバッハ会長曰く「東京オリンピックと緊急事態宣言は関係ない」と。
訪米してファイザー製薬のCEOと電話会談。ワクチン供給の要請。
「9月までに供給の目途が立ったというが目途は目途だ」。確約したのかと国会で問われると詳細はは避けるという始末。
もう始まっているワクチン接種の“混乱”。順番待ちと勘違いして保健所の前に列を作って並ぶ高齢者の群れ。
先進国の姿ではない。ワクチン不信は増幅する。
今日も聖火リレーは無頓着に行われている。休校が要請され、こども達の運動は制限されているというのに。
「無観客」という言葉が勢いを増している。
無観客はスポーツでは無い。選手と観客がいったいとなったところにスポーツの意味があるのだ。
カネを払ってなんで競技場にいくのか。時間と空気と雰囲気を共有したいからだ。それは選手だって同じはず。
大相撲で無観客をやった。樹の抜けたビールだった。Jリーグもプロ野球もそうなるようだ。あの巨費を投じた新国立競技場。観客の歓声が無い中での競技。
選手は辛かろう。
三度目の宣言で感染が収まらなければどうなる。小池は開催都市の首長として「五輪返上」を言い出す。五輪は中止。責任取って小池は辞める。9月の衆院選に出馬して国会議員となる。女性首相の座を狙う・・・。
勝手な想像だが、五輪はあらゆる面で「政治利用」されている。
最近の小池の動きを見るとそんな憶測が湧く。
首相が自分の言葉で、正直に実情を言い、声涙ともに下る訴えをしない限り、宣言は国民生活を脅かしただけで終わりそうだ。
とにかく真の政治家が今はいない。国民にとっての最大の不幸だ.