2007年3月9日金曜日

"組織"が犯罪を作る

鹿児島県志布志の懐部落で起きたでっち上げの選挙違反事件。ようやく全員無罪が確定した。約4年の空白の歳月。無罪が確定しても誰も救われていない。県議選をめぐる買収事件として捜査されたこの事件。たれこみが発端で12人の「善良な人々」が皆罪人にされた。警察内部から「でっちあげ」の内部告発。メディアが動き、ようやくの地裁による無罪判決。警察内部には、そもそもこの事件はなかった。捜査指揮官に意向にさからえなかったーなどなど疑惑だらけ。検察も疑問をもちながらの公判請求。
すべて、警察組織というなかで行われた事なかれ主義、自己保身、組織擁護のなせるあまりにも卑怯な仕業。
検証していた警察庁は当時の県警本部長を厳重注意処分。それはまったくの異例だというが、そんなことで「被害者」の人生を償えるのか。しかも捜査指揮した警察官や関係者、さらに、北朝鮮ではあるまいし、上司に迎合するかのように拷問もどきの取調べをした奴らはほとんどおとがめなし。いや、内部での微々たる処分はあったみたいですが・・・。昔の「特高」ではあるまいし、しかし、それを彷彿とさせる警察権力のおぞましさ。なにが動機でこんなでっちあげがなされたのか。それはまったく解明されていない。
鹿児島地検や最高検はあらためて当時の「検証」を行うということだが、厳正、正当な検証を、そして納得できる処分を望む。こんなバカな警察官、警察組織が存在している限り、裁判員制度が導入されたって誰もなりたくはない。そもそも無いものを裁くなんて。
痴漢の冤罪事件が映画にされている。戦後の松川事件も映画になった。映画は趣味娯楽の類ではなくなっている。社会の不条理を追いつめるジューナリズムともいえる。

東京ときわ台駅の殉職警官が、もし、ありえないけれど、仮にこの捜査のかかわていたらどうしただろうか。身を挺してでも違法捜査をやめさせようとしたのではんかろうか。

懐部落事件で、全ての警察官を否定はしない。捜査関係者の人間性がどうだったのかは知る由もないし。しかし、こういうでっち上げがまかり通ったにには警察・検察という巨大な、伏魔殿のような組織があるからだ。無垢の人々の人生を狂わせるような犯罪捜査、冤罪事件。
いくら強固な意志を持ち立ち向かったとしてもあがらい難い組織の大きな壁、壁、壁。その中で権力を行使することに快感さえ覚えているやからのいること。
遺憾とか不祥事とかいう言葉の二文字や三文字で語るにはあまりにも口惜しく悲しい。




2007年2月4日日曜日

漢字への「変換」

私メは昔から変な"癖"がありまして・・・。
「音(おん)」だけ聞いただけではなかなか覚えられない。特に人の名前。音を聞いて、それをしらずしらずに漢字に変換しているー。そんな作業を脳がしているようです。だから、名前を聞いて「音」だけだと覚えられない。漢字に直して、その字が記憶に残る・・・。万事がそうではないにしてもなぜかそんな"癖"。
例えば「ワタナベエミ」さんという名前の人を紹介されても、名前がいまいち覚えられない。「渡辺恵美」。恵むに美しい。こうやってその漢字を知ると覚えやすい。漢字を使う日本人はどこかそういう脳の作用を持っているのではないでしょうか。最近、漢字に関する議論が交わされています。漢字を知らない若者が増えている。学校でも漢字教育にあまり重きを置いていない。
「漢字文化はやがてすたれるであろう。平仮名でも意味がわかるものはかなにすべきだ」。そんな説を説く学者さんもいます。ちょっと変。ひらがなだけでは日本全国言葉が通じない場合があります。アクセントの問題ってのがありまして・・・。例えば「かき」。柿と牡蠣。いわゆる標準語と東北弁ではアクセントがまったく逆。会話していて時々通じない時があるんです。
音を、かなを、漢字に置き換えることによって意味が通じたり、漢字を覚えることによってそれが字画と共に脳に記憶される・・・。
名刺を貰った時以外は、名前をなるべく漢字で聞くことにしています。人には時々変だと言われることもありますが。
この記憶法。間違いを犯す時があります。例えば「木村」と「小林」。字画というか字の感じが似ている。字で覚えると木村さんを小林さんと覚えてしまうという失態を演じるlことがあるんです。
日本画は同音意義語が多い。たとえば「せんせい」。パソコンで変換してみてください。「先生」「専制」「宣誓」「先制」・・・。これは記憶するという作業とは関係ありませんが、同じ「音」でもいろんな漢字があるという典型。

きょは月一回の「中国古典」の勉強会。読み下し文にしてある漢文を読むんですが、その字の難しいこと。愈々ーいよいよ。薨ずーこうず。みまかる。死ぬってこと。でも、なんか味わいがあるんです。




2007年1月26日金曜日

1690円のお年玉

やっとお年玉付き年賀状の「整理」をしました。そんなことやってるって暇な証拠なんですが(笑)。
約1,000枚。時間と労力を使います。目も首も手も痛くなってくるし・・・。
結果ーーー。一等、もちろん無し。かすりもせず。二等、1番違いが2枚。当選無し。三等、切手シート、ジャジャヤ〜〜ン。13枚当選。結果、「お年玉」は¥1,690円。換金出来ればラーメン5杯程度。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。以前は30枚以上当選あったし、切手シートは4等か5等だったような。賞品が減ったような気がして。
でも、ま、しばらく、事務所の郵券代が助かります。

年末ジャンボも仲間でまとめ買い。9,000円投資して、戻りは2,600円。お年玉年賀状は1,690円。年とともにだんだん「夢」と「あぶく銭」、「運」が消えていくようで・・・(笑)。
一等のデジタルカメラとプリンターセット欲しかったな〜〜。
とらぬたぬきのかわざんよう。オバカな亭主の繰言でした。



2006年12月22日金曜日

dog is god

戌年が終わろうとしています。戌は犬。世間のお犬さまはわが年をそれぞれ謳歌したのでしょうか・・・。
銅版画家の山本容子さんはその著書「犬は神様」で、面白い「発見」を記されています。
銅版画家は版画の性質上、しばしば物事を反転させて考える。あるとき犬(DOG)を反転させると神(GOD)になった。そう、犬は神様なんだーと。
わが意を得たり!。モノグラムの妙か。犬という動物がこの世に存在したときの神がその動物を自らの使いとしてDOGと名づけたのかと思考が飛ぶほどの置き換え。確かに。納得。我が家においても犬は神様なのです。散歩を催促し、ごはんを催促し、わがままいっぱいに暮していますが、彼や彼女からどれだけ"愛"を貰ってきたか・・・。「犬の眼はキリストの眼に似ている」。遠藤周作が書いていましたが、常にどこか憂いを含んだような犬の眼はたしかにそんな表現がぴったりです。犬が人間に与えてくれる愛。それは無償の愛。犬の目によってどれだけ癒されてきたでしょうか。犬の仕草にどれだけこころ穏かにされたでしょうか。

戌年。例えば徳島の「崖っぷち犬」。お騒がせクン。やっと人の手から餌を食べるようになったとか。恐る恐る口にする姿は、どこか、かつては捨て犬状態だった我が家の「澪ちゃん」に似ています。今は「主」のようですが。
年末、もしかしたら「神様」がもう一頭我が家にくるかもしれません。先輩と後輩。神様同士が仲良くできるのか。きっと仲良くするでしょう。

そのうち、どこかに、我が家の犬の話、かかわった犬の話を書いてみようかな。「神様」のことを書くのはおこがましい気もしますが。沢山の"愛"をくれた犬へのエピタフを記すのも、貰ったもののすべき事かもしれない。そんな気持ちになる戌年の暮れです。



2006年11月17日金曜日

100円ライター

とにかく「物忘れ」がひどくなっています。先日、新幹線に乗ることに。切符を買ってちょっと一服。ドトールコーヒーの喫煙席へ。無い!!タバコもライターも。隣の席では若い女性がプカプカ。「ちょっと一本下さい」ってわけにもいかず・・・。出かける荷物は持ってきたのに肝心のタバコとライターを忘れたのです。コーヒーもそこそこに改札を入ってキオスクへ。タバコは買いました。でもラーターのこと忘れてる。週刊誌買った時に気付きました。またレジへ。100円ライターを買うのはすごく悔しいことです。家にも事務所にもいっぱいあるのですから。でも背に腹は変えられぬ。ライターと手に取り100円出すと「130円です」とのお返事。ぎゃ〜〜〜。ライター130円。凄い損をした気分。吸えないのならしょうがない。130円払いましたが・・・。
なんで100円ライターがいつの間に130円になったのですかね。なんの変哲もないやつですよ。困った人からのぼったくり!!。タバコはどこで買っても、週刊誌はどこで買っても同じ値段なのに、ライターは違う。まるで富士山頂での飲み水状態。だけどライターにはなんの労力も使われていない。ゴルフ場の飲み物状態かも。食い物状態かも。ゴルフ場で1,000円以下のラーメンに出会ったことない。そこでしか食べられないから値段はいかようにでも付けられる。そして、まず不味い。

キオスクで買ったライター、ご丁寧にシールまで貼られました。みっともない。
もう絶対忘れないぞ、ライター。
ちょっとした物忘れは大損した気分にさせられる。ばかばかしいお話でした。
タバコ吸う人、こんな経験おありですか(嘲笑)。



2006年10月3日火曜日

「ぶら下がり」

最近の新聞記事、政治面に、よく「ぶら下がり」という言葉が登場します。総理大臣と内閣記者会との立ち話のインタビューのこと。それを一日一回にするか二回にするかで揉めているようです。
「ぶら下がり」−−。なんて奇異な言葉でしょう。だれが何にぶら下がるの?カギカッコ付きとはいえ、新聞がこの変な"業界用語"を当然のように使っているのにはあきれます。
昔の記憶をたどれば、「ぶら下がり」とは、テレビ、ラジオが使っていた特殊用語。しかも稚拙な表現。
かつて総理番の記者と総理大臣が交わす会話は歩いているときだけ。もちろん新聞中心。そばにいる記者が質問し、それをあとで「番小屋」で各社の記者に教えたものでした。やがてテレビがジャーナリズムとして認められるようになった昭和40年代後半。総理サイドは時折テレビのインタビューに応じるようになりました。しかし、各社のマイクをごそっとだされることに違和感。そこで代表取材。例えばNHKがインタビュー。マイクは一本。そのマイクで拾った音声を、テレビ・ラジオ各社にその場で分岐配信。一本のマイクに各社がぶらさがったーー。そこから「ぶら下がり」という業界用語が生まれました。ぶら下がり方式とも呼びました。安易な発想から生み出された苦肉の策の"用語"です。その頃考案された取材方法の異称がいまも使われていることの驚き。単にインタビューといえばそれでいいのに。それとも今でも音声だけは「ぶら下がって」いるのでしょうか。テーブルの上には録音機がいっぱい並べてあるように見えるのですが・・・。
「ぶら下がり」−。美しい日本語ではありません。語感も含め。昔の用語が使われているのは懐かしくもあり、しかし、業界用語を押し付けられる読者、視聴者は悲しくもありーーではないでしょうか


2006年9月1日金曜日

黒ネコの疾走

黒ネコと言っても本当の猫ミャーミャー 〜(=^・・^)ヘ >゜)))彡ちゃんではありません。くろねこヤマトの宅配便。
制服を着たお兄さんが道路を疾走しています。それがですね〜面白いっていうか、感動というか。三輪車をこいでいるのです。後ろの荷台に荷物を入れた大きな箱を積んで。思いっきりこぐペタル。まさに競輪選手のような勢いで道路を走っています。駐車禁止問題以降、いろいろな手立てが講じられてきたようですが、三輪車を見たのは始めて。たしか昭和30年代まではあったんです。三輪車。オート三輪も。自転車の荷台のそれこそ三倍以上の荷物を積める。時代が大きく遡ったような感覚。宅配業者の知恵ですね。
それに、その一生懸命走らせている姿が心地よい。本人はとっても辛いんでしょうが。友人と二人。その三輪車を追いかけながら感服していました。近くの駐車場にトラックを置いて荷物を積み替え、目的地に向かうのでしょうね・・・。きょうから9月。初秋の町のヒトコマ。後ろに箱を積んだ郵便局のバイクが猛然と三輪車を追い越して行きました・・・・。


“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...