過日、運転免許更新手続きのため、運転免許センターに行った。
去年、自動車教習所で後期高齢者の講習を受け、「合格証」を貰っている。
いつものように手続きは簡単に終わり、交付と思っていたが、あにはからんや。
眼の検査が通らず、眼鏡を治して再度と言う羽目に。
確かに、1年ほど前から視力が弱っている実感あり。
白内障の疑いと、以前医師に言われたこともあったが、なかなかレザー手術の施設がある眼医者と遭遇できずにいたことはたしか。
しかし、かかりつけ医の言う白内障の症状は今の症状とはちと違っており。眼医者からはカリユーニという白内障の進行を遅らす点眼薬を処方され、使ってきたのだが。
眼鏡屋に行き、検眼を繰り返し、「遠視退化、乱視進行」ということで眼鏡を発注。出来上がるのを待つばかり。
たしかに、パソコンは見にくくなっている。
以上、近況。老いると言うことの悲しさ、面倒くささ。
新聞を読み、テレビを視ることにさほどの不自由さは無いが。
世を憂うることは多々あり。
政治家の堕落、メディアの日本語の使われ方。まったく話題にすらならなくなった拉致被害者の問題。懲りずにスーツの襟にブルーリボンをアクセサリーのようにつけている政治家を見ると、ひっぱたきたくなる。
拉致問題解決のための「行動」はどこにも見られないから。
被害者家族の横田一さんは入院中のままだ。高齢だ。
横田さんに何かがあった時だけ、メディアは騒ぐのだろうが。
拉致被害者家族にとっては正月もなにも無い。
中国の正月、春節。その直前に武漢で「疫病」が発生した。
患者は瞬く間に世界中に広がろうとしている。
得体のしれない中国と言う大国。
発生元の武漢を封鎖した。1千万員いた住民は“封鎖”の前に5百満人がすでに武漢を脱出していたが、今、約500満員が「隔離されている」言うこと。
最初は武漢の食品市場の動物が原因だとされ、人から人への感染はないとされていた。
しかし、感染源は果たして“動物”かどうか、今は解明すらされていない。
「武漢封鎖」のニュースに接した時、アルベール・カミュの「ペスト」という文学作品のことが浮かんだ。
始まりはリユーという医師が階段でつまずいた一匹の死んだ鼠。それが感染源。
リユーはそれが「ペスト」だと気付く。町はパニックになる。最初は楽観的だった市当局も慌てて対応に乗り出す。
アルジェリアのオランと言う市は外部と完全に遮断されると言うもの。
カミュはこの小説で人間の不条理を書いたというが、今のコロナウイルスの蔓延もどこか「不条理」に覆われているような気がする。
不条理か・・・。我々は常の如くにさまざまな「不条理」に晒されている。
日本に来ている中国人は例によって「マスク」を爆買する。中国ではマスクの販売を中止させる。
日本は武漢にいる在留邦人の帰国のため、チャーター機を飛ばすと言う。
明日帰国だと。
国会が開かれている。
もう政治家たちの嘘やごまかし、逃げにはうんざりだ。
職責も果たせず、国会議員ていうのは「偉い人」だと勘違いし、常に国民を愚弄している。
武漢発の「疫病」。世界経済をも混乱に陥れている。
交通網と言うことで言えば世界は一つだ。
中国の団体観光客を渡航制限しても、事は収まらない。
我々が出来ることは、身を守ることは手洗いと嗽だという。マスクがまたも高機能のモノも含めて売れている。
マスク、手洗い。あの原発事故当時の光景を思い出す。
「避難」と言う言葉からもあの頃を思い出す。
強制手段で避難を強いられた人たち。避難した後の一種の「隔離現象」。
未帰還地域では“動物”達が我が物顔に行動し、人のいない家の中には動物の死骸もあると聞く。
あれから9年・・・。
原発事故ほど不条理の最たるものは無い。
世界の最強国に成りあがった中国、それを「最怖国」と呼んでみたくもなる。
不条理とは何か、不条理とどう向き合うか。
もしかしたら、カミユの時代をはるかに超えた時代からの人間の永遠の課題なのかも。
2020年1月28日火曜日
2020年1月12日日曜日
年が明けたら戦争があった
「去年今年 貫く棒の如きもの」。高浜虚子の句である。
1秒という時間で年が変わる。今年は去年の延長であり、一本の棒によってつながっていると解するべきか。
「棒」とは時間なのだろうと考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして」という記述にあるように、時の流れだけは止まらない。
「時間」という代物は、頼んだわけでも無いのに勝手にやってきて、勝手に去っていく。
毎年のように思う事だ。
年が明けたら、「穏やかな正月」という願いもものかは、トランプは、イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官をドローンで殺害した。
その端緒は去年の12月30日にある。
アメリカによるイランへの基地を狙った爆撃。そして米軍の反撃ともいえるソレイマニ襲撃。
イランは報復に出る。イラクの米軍基地をミサイル攻撃し、「第三次世界戦争」という言葉も脳裏をよぎった。
トランプのいわば「思いつき政治」がさらなる戦争を予感させたが、政権内の諫言をいれて、両国の関係はとりあえずは“落ち着いている”が。
とばっちりを食ったのがウクライナの民間機。イランのミサイル攻撃で搭乗していた176人が全員が死亡した。
誤爆だったとイランは釈明、謝罪。
「中東は火薬庫」という見方は今も続く・・・。火種は常にくすぶっている。
安倍は“沈黙”でやり過ごした。イランとは良好な関係にある。アメリカには楯突くわけにはいかない。
ゴルフ三昧で、何も語らず、時が過ぎるのを待つ作戦にでた。
そして、「戦闘地域」に近い中東に、自衛隊を派遣した。日本のタンカーを守るためにとして。
そして安倍は中東3国の意味なし外遊に出かけた。サウジ、オマーン、UAE。
「積極的平和外交」が何を指しているのか。
自衛隊の派遣に理解を求めるために、だそうだ。
またも夫人同伴だ。“私人”である限り、彼女の旅券は外交旅券では無いはず。
航空運賃の払うべき。
そんなことは誰も意に介さない。
アメリカ、イランの戦争勃発を懸念して、原油価格は高騰している。
株価も乱高下。
街のガソリンスタンドでは、すでにレギュラー150円になっていた。安いスタンドでも。
強固なナショナリズムが台頭し、定着化している。
7月からのオリンピック。
警備費を強化して総額3兆円のオリンピック。
カルロスゴーンの「国外逃亡」許したように、各所に“穴”がある。
オリンピックが無事に終了するのかどうか。
危惧の念はより高まる。
選手や関係者の「安全」を最優先させるため、市民生活は不便を強いられる。
しかし、何があろうと、少なくともテレビは、すでにして「メダル」の話題に血道を上げ、やはり、国威発揚、強固なナショナリズムを作り出すことに専念している。
「めでたさも中くらいなりおらが春」。一茶の句が身に染みる。
1秒という時間で年が変わる。今年は去年の延長であり、一本の棒によってつながっていると解するべきか。
「棒」とは時間なのだろうと考える。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れる。方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして」という記述にあるように、時の流れだけは止まらない。
「時間」という代物は、頼んだわけでも無いのに勝手にやってきて、勝手に去っていく。
毎年のように思う事だ。
年が明けたら、「穏やかな正月」という願いもものかは、トランプは、イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官をドローンで殺害した。
その端緒は去年の12月30日にある。
アメリカによるイランへの基地を狙った爆撃。そして米軍の反撃ともいえるソレイマニ襲撃。
イランは報復に出る。イラクの米軍基地をミサイル攻撃し、「第三次世界戦争」という言葉も脳裏をよぎった。
トランプのいわば「思いつき政治」がさらなる戦争を予感させたが、政権内の諫言をいれて、両国の関係はとりあえずは“落ち着いている”が。
とばっちりを食ったのがウクライナの民間機。イランのミサイル攻撃で搭乗していた176人が全員が死亡した。
誤爆だったとイランは釈明、謝罪。
「中東は火薬庫」という見方は今も続く・・・。火種は常にくすぶっている。
安倍は“沈黙”でやり過ごした。イランとは良好な関係にある。アメリカには楯突くわけにはいかない。
ゴルフ三昧で、何も語らず、時が過ぎるのを待つ作戦にでた。
そして、「戦闘地域」に近い中東に、自衛隊を派遣した。日本のタンカーを守るためにとして。
そして安倍は中東3国の意味なし外遊に出かけた。サウジ、オマーン、UAE。
「積極的平和外交」が何を指しているのか。
自衛隊の派遣に理解を求めるために、だそうだ。
またも夫人同伴だ。“私人”である限り、彼女の旅券は外交旅券では無いはず。
航空運賃の払うべき。
そんなことは誰も意に介さない。
アメリカ、イランの戦争勃発を懸念して、原油価格は高騰している。
株価も乱高下。
街のガソリンスタンドでは、すでにレギュラー150円になっていた。安いスタンドでも。
強固なナショナリズムが台頭し、定着化している。
7月からのオリンピック。
警備費を強化して総額3兆円のオリンピック。
カルロスゴーンの「国外逃亡」許したように、各所に“穴”がある。
オリンピックが無事に終了するのかどうか。
危惧の念はより高まる。
選手や関係者の「安全」を最優先させるため、市民生活は不便を強いられる。
しかし、何があろうと、少なくともテレビは、すでにして「メダル」の話題に血道を上げ、やはり、国威発揚、強固なナショナリズムを作り出すことに専念している。
「めでたさも中くらいなりおらが春」。一茶の句が身に染みる。
2019年12月31日火曜日
「一杯のかけそば」のあった頃
大晦日。だから特に何がというわけではないが、我々の風習の中に「年越しそば」というのがある。
「ねえ、ねえ何で日本人は大晦日にそばを食べなくてはいけないの?」とチコちゃんに聞かれたら多分「ぼうーっと生きてんじゃねえよ」という怒りの火炎が吹いてくるだろうが・・・。
もう30年以上も昔、ブームを巻き起こした本があった。
「一杯のかけそば」。
著者については敢えて触れたくないが、物語は物語として存在している。
読んだ人は大方泣いただろうから。
読んだ覚えのある方も多いだろうが、そのあらすじを。
「この物語は、12月31日、札幌の街にあるそば屋 「北海亭」での出来事から始まる。 そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
夜、10時を過ぎると客足は途絶える。
最後の客が店を出たところで、店の主人とおかみさんがそろそろ暖簾を下げようとしていた時、二人の男の子を連れた女性が入ってきた。
「いらっしやいませ!」と迎える女将にその女性はおずおずと言った。
「あの・・・かけそば・・・一人前なのですがよろしいでしょうか」。
「えっ・・・どうぞ、どうぞこちらえ」。
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、 「かけ1丁!」
主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、 「あいよっ! かけ1丁!」 とこたえ、1人前半の量を茹でる。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を 下げて出ていく母子3人に、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と声を合わせる主人と女将。
その翌年も、同じような時間に3人が来店。「すいません、かけそば一人前よろしいでしょうか。
おいしいね……」 「今年も北海亭のおそば食べれたね」 「来年も食べれるといいね……」 食べ終えて、150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
その次の年、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、母 と子の3人連れが入ってきた。 兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。 2人とも見違えるほどに成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半 コート姿のままだった。 「いらっしゃいませ!」 と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。 「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」 「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」。
カウンターに向かって 「かけ2丁!」 それを受けて 「あいよっ! かけ2丁!」 とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。 2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、話も 弾んでいるのがわかる。。 「お兄ちゃん、淳ちゃん……今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」 「……お礼って……どうしたの」 「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、8人もの人にけがをさせ迷惑 をかけてしまったんだけど……保険などでも支払いできなかった分を、毎月 5万円ずつ払い続けていたの」 「うん、知っていたよ」
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、実は今日、ぜんぶ支払いを 済ますことができたの」 「えっ! ほんとう、お母さん!」 「ええ、ほんとうよ。お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、 淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、お母さん安 心して働くことができたの。よくがんばったからって、会社から特別手当を いただいたの。それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」 「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! でも、これからも、夕飯のし たくはボクがするよ」 「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」 「ありがとう。ほんとうにありがとう」。
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品され ることになったので、参観日に、ボクが参観日に行ったんだ」 。
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、全員に作文を書いてもらいました。淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。これからその作文を読んでもらいますって。『一杯のかけそ ば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから……淳のヤツなんで そんな恥ずかしいことを書くんだ! と心の中で思ったんだ。 作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残 ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊 夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。 そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいし かったこと。……3人でたった1杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさん とおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!って大きな 声をかけてくれたこと。その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだ よ!って言ってるような気がしたって。それで淳は、大人になったら、お客 さんに、頑張ってね! 幸せにね!って思いを込めて、ありがとうございま した! と言える日本一の、おそば屋さんになります。って大きな声で読み あげたんだよ」。
カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将は溢れる涙を拭っていた。
「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんがお母さんにかわっ て来てくださってますので、ここで挨拶をしていただきましょうって……」 「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」 「皆さん、いつも淳と 仲よくしてくれてありがとう。……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。 それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。今、弟 が『一杯のかけそば』と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。 ……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、1杯 のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いま した。 あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけない と思います。」
昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、300 円を支払い「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げて出て行く3人を、 主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と送り出した。
また1年が過ぎたが、待ちに待った母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、3人は現れ なかった。
店内を改装し、 真新しいテーブルが並ぶなかで、1脚だけ古いテーブルが中央に置かれて いる。 「どうしてこれがここに」 と不思議がる客に、主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、この テーブルを見ては自分たちの励みにしている、いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、その時、このテーブルで迎えたい、と。
それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜10時過ぎ、入口の戸がガラガラガラと開いた。北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない 3人家族。入って来たのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。その時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて二人の青年の間に立った。 「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」 その声を聞いて女将の顔色が変わる。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。おろおろしている女将に青年の一人が言った。 「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で1人前のかけそばを注文した者 です。あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。私は今年、医師の国家試験に合格しまして京都の大学病院に小児科医の卵として勤 めておりますが、年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりま せんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、今までの人生の中 で最高の贅沢を計画しました。それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さん を訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした」 うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。
気を取り直した女将は 「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」涙でぬらした主人、 「あいよっ! かけ3丁!」。
だから何かを言いたいわけでも無い。
テレビが世相として流す「年越しそば」の光景を見ながら思い出したこと。
からから亭も今年は閉店。来年も掛け声はありませんが御贔屓に。
「ねえ、ねえ何で日本人は大晦日にそばを食べなくてはいけないの?」とチコちゃんに聞かれたら多分「ぼうーっと生きてんじゃねえよ」という怒りの火炎が吹いてくるだろうが・・・。
もう30年以上も昔、ブームを巻き起こした本があった。
「一杯のかけそば」。
著者については敢えて触れたくないが、物語は物語として存在している。
読んだ人は大方泣いただろうから。
読んだ覚えのある方も多いだろうが、そのあらすじを。
「この物語は、12月31日、札幌の街にあるそば屋 「北海亭」での出来事から始まる。 そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
夜、10時を過ぎると客足は途絶える。
最後の客が店を出たところで、店の主人とおかみさんがそろそろ暖簾を下げようとしていた時、二人の男の子を連れた女性が入ってきた。
「いらっしやいませ!」と迎える女将にその女性はおずおずと言った。
「あの・・・かけそば・・・一人前なのですがよろしいでしょうか」。
「えっ・・・どうぞ、どうぞこちらえ」。
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、 「かけ1丁!」
主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、 「あいよっ! かけ1丁!」 とこたえ、1人前半の量を茹でる。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を 下げて出ていく母子3人に、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と声を合わせる主人と女将。
その翌年も、同じような時間に3人が来店。「すいません、かけそば一人前よろしいでしょうか。
おいしいね……」 「今年も北海亭のおそば食べれたね」 「来年も食べれるといいね……」 食べ終えて、150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
その次の年、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、母 と子の3人連れが入ってきた。 兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。 2人とも見違えるほどに成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半 コート姿のままだった。 「いらっしゃいませ!」 と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。 「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」 「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」。
カウンターに向かって 「かけ2丁!」 それを受けて 「あいよっ! かけ2丁!」 とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。 2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、話も 弾んでいるのがわかる。。 「お兄ちゃん、淳ちゃん……今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」 「……お礼って……どうしたの」 「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、8人もの人にけがをさせ迷惑 をかけてしまったんだけど……保険などでも支払いできなかった分を、毎月 5万円ずつ払い続けていたの」 「うん、知っていたよ」
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、実は今日、ぜんぶ支払いを 済ますことができたの」 「えっ! ほんとう、お母さん!」 「ええ、ほんとうよ。お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、 淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、お母さん安 心して働くことができたの。よくがんばったからって、会社から特別手当を いただいたの。それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」 「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! でも、これからも、夕飯のし たくはボクがするよ」 「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」 「ありがとう。ほんとうにありがとう」。
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品され ることになったので、参観日に、ボクが参観日に行ったんだ」 。
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、全員に作文を書いてもらいました。淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。これからその作文を読んでもらいますって。『一杯のかけそ ば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから……淳のヤツなんで そんな恥ずかしいことを書くんだ! と心の中で思ったんだ。 作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残 ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊 夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。 そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいし かったこと。……3人でたった1杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさん とおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!って大きな 声をかけてくれたこと。その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだ よ!って言ってるような気がしたって。それで淳は、大人になったら、お客 さんに、頑張ってね! 幸せにね!って思いを込めて、ありがとうございま した! と言える日本一の、おそば屋さんになります。って大きな声で読み あげたんだよ」。
カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将は溢れる涙を拭っていた。
「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんがお母さんにかわっ て来てくださってますので、ここで挨拶をしていただきましょうって……」 「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」 「皆さん、いつも淳と 仲よくしてくれてありがとう。……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。 それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。今、弟 が『一杯のかけそば』と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。 ……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、1杯 のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いま した。 あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけない と思います。」
昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、300 円を支払い「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げて出て行く3人を、 主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、 「ありがとうございました! どうかよいお年を!」 と送り出した。
また1年が過ぎたが、待ちに待った母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、3人は現れ なかった。
店内を改装し、 真新しいテーブルが並ぶなかで、1脚だけ古いテーブルが中央に置かれて いる。 「どうしてこれがここに」 と不思議がる客に、主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、この テーブルを見ては自分たちの励みにしている、いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、その時、このテーブルで迎えたい、と。
それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜10時過ぎ、入口の戸がガラガラガラと開いた。北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない 3人家族。入って来たのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。その時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて二人の青年の間に立った。 「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」 その声を聞いて女将の顔色が変わる。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。おろおろしている女将に青年の一人が言った。 「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で1人前のかけそばを注文した者 です。あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。私は今年、医師の国家試験に合格しまして京都の大学病院に小児科医の卵として勤 めておりますが、年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりま せんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、今までの人生の中 で最高の贅沢を計画しました。それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さん を訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした」 うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。
気を取り直した女将は 「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」涙でぬらした主人、 「あいよっ! かけ3丁!」。
だから何かを言いたいわけでも無い。
テレビが世相として流す「年越しそば」の光景を見ながら思い出したこと。
からから亭も今年は閉店。来年も掛け声はありませんが御贔屓に。
2019年12月26日木曜日
宴のあと、宴の前
三島由紀夫が書いた小説に「宴のあと」という当時“物議”をかもしたものがある。
小説であり、登場人物は仮名だが主人公は、かつて外務大臣も経験した政治家有田八郎と、東京白金台にあった高級料亭「般若苑」の女将畔上てるい。ま、大人の恋物語とでも言おうか。当時、評判になった作品。有田八郎が都知事選に立候補していたから。
結果、有田は選挙に敗れ、三島を相手どった裁判を起こしたが係争中に有田は亡くなった。
世に言う“プライバシー”裁判。プライバシーという言葉が“認知された”嚆矢だ。
般若苑の桜は見事だったと聞く。
因みに般若苑も倒産、その後、経緯はわからないが、その跡地には白亜の殿堂と見まがうようなソフトバンクの孫正義の豪邸がある。
般若苑には数多くの骨とう品や家具、美術品があった。それらは、跡地の脇にある畔上家にゆかりのある人の家に管理されている。
今年の春、新宿御苑であった「総理と桜を観る会」を巡って数々の疑念や問題点が指摘され続けている。
この問題が報じられた時に浮かんだのが「宴のあと」という言葉。
政治を取り巻くあらゆる“醜さ”が表出しているから。
嘘と欺瞞と隠ぺい。それへの官僚の愚かな存在。
宴の場で得意満面ではしゃぎ回っていた「お祭り男」の安倍。能天気な夫人。
神輿に乗せられただけの醜い男と女。
年が明ければ国民は忘れる、高をくくっていた菅や二階。
そうは問屋が卸さない。
そして折しも、外国の「宴の場」、カジノ。あの煌びやかな遊びの場を巡り、
またも自民党の政治家が誘致を巡る汚職の疑いで逮捕された。
次の逮捕もあるらしい。
I Rとか言ってなにかと美しい政策のように喧伝をつづけてきた政権。
IR法とはカジノ法だ。日本を博打天国にするという。
パチンコだけでもういいでしょ。外国企業の資金源にされるのは。
カジノには、博打には必ず暴力団やマフィアが付いてくる。
そういえば御苑の花見の会の宴にもそれらがいた。菅は嬉々として並んで写真に。並んで写った方は嬉々としてネットに。
菅は「紛れ込んで来たやつと突き放し、隠す、隠す。
「反社勢力という定義は無い」と閣議で決めるありさま。実際には明文化された定義があるにもかかわらず、無いとする。
厭な奴らだな~。そうしないとIR法の有意性に懸念が生じるからだ。
反社勢力は健在だ。閣議で“嘘”が決められている時、広域暴力団・指定暴力団の内部抗争事件が発生。存在を誇示するかのように。
カジノ法案をめぐり、政権の内部にいた議員が取りあえずは300万の収賄で逮捕。醜い国ニッポンを見せつけられた思い。
カジノを経営する側には安い出費。お釣りは何億円。
カジノという煌びやかな宴の場。
かって郡山の著名な経済人がカジノにはまり、ラスベガスから「つけ馬」が付いてきた。
マカオ、ウオーカーヒルと転々と足抜きできず、ついに自己破産。みじめな老後の醜態を見せていた。
花見のことでもう一つ浮かんだ歴史の逸話。
「醍醐の花見」という秀吉にまつわる話し。
秀吉晩年の慶長3年。京都の醍醐寺三宝院で北の政所から始まって淀殿ら女性1,300人を招いて豪華な花見の宴を張った。
これとても己が権威を天下に見せつけるため。
半年後の9月、秀吉は亡くなる。
辞世。「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
安倍にすれば「浪速」を置き換えて「御苑の事は・・・」となるのか。
日本の政治を、特に今年の政治を「宴の政治」と呼ぼう。
「宴の政治」とは地に足を付け、格差や貧困、少子高齢化など、山積する政治課題に取り組むよりも、意図的に人々の耳目を集める祝宴を作りだし、それを自らの権力維持の為に最大限に活用する政治だ。
令和の宴から始まって、御苑の宴、便乗したラグビーのパフォーマンスなど。。
今年の“宴”は終わりだ。
来年も新たな宴が待っている。
「スポーツの祭典、オリンピック」。
そのオリンピックを宴らしい宴、祭りらしい祭りとし、その中で、自らの権威を思う存分発揮しようとしているのだろう。
お茶坊主どもは、その“お流れ”頂戴に腐心する。
新たな宴の始まりだ。宴の前には9年近く前の「災禍」や未曽有の原発事故などは無かったことのようだ。
そして、人々はその仕組まれた宴、祭典に無条件に巻き込まれて狂喜乱舞する。
政治家が政治でしか出来ないことをしない。これを何と呼べばいいのか。
三島亡きあと令和の宴の後を誰が書くのか。書かねばなるまい。
2019年12月8日日曜日
男の「矜持」
「矜持」とは、「自信と誇り」「自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと」という意味だ。
アフガニスタンの支援活動に心血を注いでいた医師の中村哲氏が襲撃されて亡くなった。
往時、登山隊の医師としてアフガニスタンとパキスタンの国境に赴いた際、治療を懇願する貧しい人々を助けられなかったことが医師としての使命感を突き動かし、診療所を開設した。しかし、干ばつの影響で次々と命を落とす子どもたちの姿を見て、灌漑事業を行うことを決意した。
乾燥し、ひび割れた大地に水を引いて来た。
水は命に係わる。用水路を完成させたところには、いつの間にか小麦やかんきつ類の畑、高々と伸びた木々。大勢の子供たちが軒を連ねる商店の前を歩いて学校に通っていた。
用水路の確保、灌漑事業はとめどもなく続く。
ここ郡山も安積開拓と言う明治政府の政策で、猪苗代湖の水を苦心惨憺の末、引くことに成功した。
それ以前の郡山がどういうところだったか。
宮本百合子の「貧しき人々の群」という著作に詳しい。
中村医師は折に触れて経験に基づいた数々の言葉を残してくれた。
「平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」。
4年前、一時帰国していた時の講演。
「アフガンでは米軍が落とした爆弾で、多くの子供たちが死んだ。
その米国と軍事同盟で一体化を目指す安倍政権について、“こんなバカな政権はない。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている”と。
現場主義を貫き、命の大切さを実践する男の「矜持」を見た。
中村医師の訃報が明らかになった日の夕方、官邸で記者団との立ち話で、通り一遍の悔やみの言葉を述べ、最後の言葉の語尾を言うか言わないかの瞬間、もう踵を返すようにマイクの前から立ち去った。せめて言葉を終えた後に、ひと時の瞑目、目礼があって然るべきだと。
中村医師と交流のあった上皇ご夫妻は、侍従を通じて哀悼の言葉を遺族に伝えられた。「驚き、深い悲しみを覚えているご様子だった」という。
国民の象徴であられた方の矜持の表れだ。
中曽根康弘が亡くなった。101歳の大往生。
中曽根内閣時、彼は官房長官に、内務省時代の先輩である後藤田正晴氏を三顧の礼を尽くさんばかりに官房長官に迎え入れた。
後藤田はその著書、「政と官」で憲法の順守、官吏の心得を書いている。
中曽根政治に“誤り”を見ると、諌言することに意を用いていた。
古武士風の風貌の中から、官僚、政治家の道を歩んできた人の少なくとも官僚斯くあるべしという「矜持」が垣間見えた人だった。
「桜を観る会」のことで世間がその不可思議さを感じているさなか、公邸にオリックス会長とともに、メジャーリーガーのイチローと食事をした。
イチローに国民栄誉賞の受賞を重ねて勧めた。
スポーツ紙の報道によれば、「野球を通じて私はフェアプレーの大切さを学んだ。ルールを破ったり、ごまかしたりするのは好きではないです」とイチローは述べたと言う。受賞をその都度固辞するように助言したのは弓子夫人だとも言われている。
安倍晋三、昭恵夫婦の間に、夫人の「内助の功」はあるのか。夫人が亭主の足を引っ張っているようにしか見えない。
古い言葉だが、タレント大好きの「ミーハー」な夫婦だ。
「桜を観る会」をめぐる数々の“疑念”。
名簿破棄の証拠隠しに始まって・・・。
数々の公私混同。愚かな宰相夫婦の姿を見る。
まともな政治家なら首相の行動、言動を諌めるべき官房長官。
安倍をかばうのに「ウソ」をつき、それを上書きし、平然と官邸に君臨している菅官房長官。官僚を屈服させることに快感をおぼえてでもおるのだろうか。
哀れな男だ。
野党のヒヤリングに対して答弁する官僚たちの言葉は嘘と欺瞞に満ちていることは誰が聞いてもわかる。
官僚としての「矜持」をかなぐり捨て、安倍や菅の意向を、顔色を伺う姿。
余りにも醜い姿だ。
彼らの言辞は日本と言う国の統治機能の激しい衰退を象徴しているようだ。
その醜さや欺瞞を追及しきれないマスコミにも“衰退”を感じる。
碩学者の安岡正篤氏は、その著書の中にしばしば“エリート”という言葉を官僚に当てはめ、その心がけを語っている。
安岡正篤は戦後の政界に「知性」としての影響力を与えて来た人だ。
田中角栄が総理を退陣するにあたって記者会見で述べた言葉の中に、「沛然としてふる驟雨に心耳を澄ます」という一節がある。安岡氏が手を加えた一文だと聞いた。
後藤田も安岡正篤も皆鬼籍に入った。
あまた人無きが如し。
きょうは日米開戦の日。なぜ軍部の台頭、独走を許したのか。政治家の力量が無かったから、官僚機構が腐敗していたからだとも聞く。
アフガニスタンの支援活動に心血を注いでいた医師の中村哲氏が襲撃されて亡くなった。
往時、登山隊の医師としてアフガニスタンとパキスタンの国境に赴いた際、治療を懇願する貧しい人々を助けられなかったことが医師としての使命感を突き動かし、診療所を開設した。しかし、干ばつの影響で次々と命を落とす子どもたちの姿を見て、灌漑事業を行うことを決意した。
乾燥し、ひび割れた大地に水を引いて来た。
水は命に係わる。用水路を完成させたところには、いつの間にか小麦やかんきつ類の畑、高々と伸びた木々。大勢の子供たちが軒を連ねる商店の前を歩いて学校に通っていた。
用水路の確保、灌漑事業はとめどもなく続く。
ここ郡山も安積開拓と言う明治政府の政策で、猪苗代湖の水を苦心惨憺の末、引くことに成功した。
それ以前の郡山がどういうところだったか。
宮本百合子の「貧しき人々の群」という著作に詳しい。
中村医師は折に触れて経験に基づいた数々の言葉を残してくれた。
「平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」。
4年前、一時帰国していた時の講演。
「アフガンでは米軍が落とした爆弾で、多くの子供たちが死んだ。
その米国と軍事同盟で一体化を目指す安倍政権について、“こんなバカな政権はない。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている”と。
現場主義を貫き、命の大切さを実践する男の「矜持」を見た。
中村医師の訃報が明らかになった日の夕方、官邸で記者団との立ち話で、通り一遍の悔やみの言葉を述べ、最後の言葉の語尾を言うか言わないかの瞬間、もう踵を返すようにマイクの前から立ち去った。せめて言葉を終えた後に、ひと時の瞑目、目礼があって然るべきだと。
中村医師と交流のあった上皇ご夫妻は、侍従を通じて哀悼の言葉を遺族に伝えられた。「驚き、深い悲しみを覚えているご様子だった」という。
国民の象徴であられた方の矜持の表れだ。
中曽根康弘が亡くなった。101歳の大往生。
中曽根内閣時、彼は官房長官に、内務省時代の先輩である後藤田正晴氏を三顧の礼を尽くさんばかりに官房長官に迎え入れた。
後藤田はその著書、「政と官」で憲法の順守、官吏の心得を書いている。
中曽根政治に“誤り”を見ると、諌言することに意を用いていた。
古武士風の風貌の中から、官僚、政治家の道を歩んできた人の少なくとも官僚斯くあるべしという「矜持」が垣間見えた人だった。
「桜を観る会」のことで世間がその不可思議さを感じているさなか、公邸にオリックス会長とともに、メジャーリーガーのイチローと食事をした。
イチローに国民栄誉賞の受賞を重ねて勧めた。
スポーツ紙の報道によれば、「野球を通じて私はフェアプレーの大切さを学んだ。ルールを破ったり、ごまかしたりするのは好きではないです」とイチローは述べたと言う。受賞をその都度固辞するように助言したのは弓子夫人だとも言われている。
安倍晋三、昭恵夫婦の間に、夫人の「内助の功」はあるのか。夫人が亭主の足を引っ張っているようにしか見えない。
古い言葉だが、タレント大好きの「ミーハー」な夫婦だ。
「桜を観る会」をめぐる数々の“疑念”。
名簿破棄の証拠隠しに始まって・・・。
数々の公私混同。愚かな宰相夫婦の姿を見る。
まともな政治家なら首相の行動、言動を諌めるべき官房長官。
安倍をかばうのに「ウソ」をつき、それを上書きし、平然と官邸に君臨している菅官房長官。官僚を屈服させることに快感をおぼえてでもおるのだろうか。
哀れな男だ。
野党のヒヤリングに対して答弁する官僚たちの言葉は嘘と欺瞞に満ちていることは誰が聞いてもわかる。
官僚としての「矜持」をかなぐり捨て、安倍や菅の意向を、顔色を伺う姿。
余りにも醜い姿だ。
彼らの言辞は日本と言う国の統治機能の激しい衰退を象徴しているようだ。
その醜さや欺瞞を追及しきれないマスコミにも“衰退”を感じる。
碩学者の安岡正篤氏は、その著書の中にしばしば“エリート”という言葉を官僚に当てはめ、その心がけを語っている。
安岡正篤は戦後の政界に「知性」としての影響力を与えて来た人だ。
田中角栄が総理を退陣するにあたって記者会見で述べた言葉の中に、「沛然としてふる驟雨に心耳を澄ます」という一節がある。安岡氏が手を加えた一文だと聞いた。
後藤田も安岡正篤も皆鬼籍に入った。
あまた人無きが如し。
きょうは日米開戦の日。なぜ軍部の台頭、独走を許したのか。政治家の力量が無かったから、官僚機構が腐敗していたからだとも聞く。
2019年11月28日木曜日
ローマ教皇と福島
ローマ教皇が来日した目的の主眼は「核廃絶」を唯一の被爆国で訴えること。
国連が核禁条約の批准を決めると、一番先に批准した国はバチカンだったという。
そして、来日の決め手となったのが、中村長崎県知事と松井広島市長の度重なる要請に応えたこと。もう一つが長崎の被爆直後アメリカ人カメラマンが撮った「焼き場に立つ少年」と題された一枚の写真だったとも聞く。
焼き場に立つ少年の写真がベッドの脇に置いてある。
気がつけば、何気なく置いたその写真の「彼」といつも顔を合わせているような気がする。
死んだ弟を帯紐でたすき掛けに背負い、まさに直立不動、両手をきちんと揃え、即席で作られたであろう「焼き場」が空く順番を待っている。幸いなことに背中の弟の顔は被ばくの影響をうけていないようだ。
少年の唇は固く噛みしめられている。歯が唇を噛んだのか。唇が傷ついているように見える。
かって聞いた話しでは、焼き場の順番が来ると、少年は背中から弟を下ろし焼き場に静かに横たえ、寝かせ、何も言わずにその焼き場を去って行ったと言う。
多分10歳くらい。弟は幼子だ。
その少年が何処の誰で、今はどうしているのか。
誰も知らない。
長崎・広島でのミサや集会で、教皇は核廃絶・平和・差別撤廃・貧困問題・環境問題について語って来た。
そのいずれもが「納得」出来る、いや、させられるものだった。
長崎のミサではあの「焼き場に立つ少年」の写真を正面に掲げていた。
天皇との会見のあと、安倍首相とも会談した。
核廃絶を巡る教皇の発言に対し、安倍首相の反応はあまりにも悲しいものだった。
核保有国と非保有国との仲立ちに努める、といった具合。
核禁条約の批准については触れなかったという。
東京でのイグナチオ教会、カテドラル教会で信者に語りかけ、東京ドームでのミサ。
福島のいわきの高校生の語りかけに耳を傾け、彼を癒すように抱擁した。
そして、東京での原発被災者との集会ではこんなことを語ってくれた。
“東日本大震災は地震、津波、原発事故の「三つの大規模災害」だ。災害は岩手、宮城、福島の3県だけでなく日本全土と全国民に影響を及ぼした。
被災者は、自らの言葉と姿で多くの人々が被った悲しみや痛みを伝えてくれた。
原発事故で汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響など、継続的な問題と向き合わなければいけない人も多い。
震災からの完全復興までは時間がかかるかもしれないが、助け合い、力を結集すれば必ず果たせる。
原発事故は科学的、医学的な懸念に加え、社会構造を回復するという途方もない課題がある。
地域社会が再び築かれ、人々が安全で安定した生活を送れるようにならなければ福島の事故は完全には解決されない。
この時代には技術の進歩を人類の進歩にしたいという誘惑があるが、立ち止まり、振り返ることも大切だ。“
その通りだ。
教皇帰国後、原子力規制委は女川原発の再稼働を認めた。
地域住民、近隣の町や村に表だった反対の首長はいない。
高浜原発を巡っては多額の金品が関電と町の助役とでやり取りされていた。
愛媛県の伊方原発。あの地域では昨今地震が多いようだ。
カトリックのミサ曲でもあるベルディ―のレクイエム。
キリエ、エレイゾンと言う祈りの言葉で始まる。キリエとは「主よ憐れみたまえ」という意味だとか。
そして「怒りの日」という楽章。
それが現実味を帯びてくるような。
全くの余談。
麻生太郎はカトリックの信者である。洗礼名はフランシスコ。
幼児洗礼だった故か。彼からその信者としての倫理観、哲学は全く感じられない。
名ばかり信者。この国の空気と重なるような。偽という字で。
国連が核禁条約の批准を決めると、一番先に批准した国はバチカンだったという。
そして、来日の決め手となったのが、中村長崎県知事と松井広島市長の度重なる要請に応えたこと。もう一つが長崎の被爆直後アメリカ人カメラマンが撮った「焼き場に立つ少年」と題された一枚の写真だったとも聞く。
焼き場に立つ少年の写真がベッドの脇に置いてある。
気がつけば、何気なく置いたその写真の「彼」といつも顔を合わせているような気がする。
死んだ弟を帯紐でたすき掛けに背負い、まさに直立不動、両手をきちんと揃え、即席で作られたであろう「焼き場」が空く順番を待っている。幸いなことに背中の弟の顔は被ばくの影響をうけていないようだ。
少年の唇は固く噛みしめられている。歯が唇を噛んだのか。唇が傷ついているように見える。
かって聞いた話しでは、焼き場の順番が来ると、少年は背中から弟を下ろし焼き場に静かに横たえ、寝かせ、何も言わずにその焼き場を去って行ったと言う。
多分10歳くらい。弟は幼子だ。
その少年が何処の誰で、今はどうしているのか。
誰も知らない。
長崎・広島でのミサや集会で、教皇は核廃絶・平和・差別撤廃・貧困問題・環境問題について語って来た。
そのいずれもが「納得」出来る、いや、させられるものだった。
長崎のミサではあの「焼き場に立つ少年」の写真を正面に掲げていた。
天皇との会見のあと、安倍首相とも会談した。
核廃絶を巡る教皇の発言に対し、安倍首相の反応はあまりにも悲しいものだった。
核保有国と非保有国との仲立ちに努める、といった具合。
核禁条約の批准については触れなかったという。
東京でのイグナチオ教会、カテドラル教会で信者に語りかけ、東京ドームでのミサ。
福島のいわきの高校生の語りかけに耳を傾け、彼を癒すように抱擁した。
そして、東京での原発被災者との集会ではこんなことを語ってくれた。
“東日本大震災は地震、津波、原発事故の「三つの大規模災害」だ。災害は岩手、宮城、福島の3県だけでなく日本全土と全国民に影響を及ぼした。
被災者は、自らの言葉と姿で多くの人々が被った悲しみや痛みを伝えてくれた。
原発事故で汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響など、継続的な問題と向き合わなければいけない人も多い。
震災からの完全復興までは時間がかかるかもしれないが、助け合い、力を結集すれば必ず果たせる。
原発事故は科学的、医学的な懸念に加え、社会構造を回復するという途方もない課題がある。
地域社会が再び築かれ、人々が安全で安定した生活を送れるようにならなければ福島の事故は完全には解決されない。
この時代には技術の進歩を人類の進歩にしたいという誘惑があるが、立ち止まり、振り返ることも大切だ。“
その通りだ。
教皇帰国後、原子力規制委は女川原発の再稼働を認めた。
地域住民、近隣の町や村に表だった反対の首長はいない。
高浜原発を巡っては多額の金品が関電と町の助役とでやり取りされていた。
愛媛県の伊方原発。あの地域では昨今地震が多いようだ。
カトリックのミサ曲でもあるベルディ―のレクイエム。
キリエ、エレイゾンと言う祈りの言葉で始まる。キリエとは「主よ憐れみたまえ」という意味だとか。
そして「怒りの日」という楽章。
それが現実味を帯びてくるような。
全くの余談。
麻生太郎はカトリックの信者である。洗礼名はフランシスコ。
幼児洗礼だった故か。彼からその信者としての倫理観、哲学は全く感じられない。
名ばかり信者。この国の空気と重なるような。偽という字で。
2019年11月18日月曜日
「桜を観る会」で思う安倍の軽さ、嘘の強弁
安倍首相主催の桜を観る会のことが連日、報道されている。
中味は周知のような事だ。
“一度嘘をつくとそれをごまかすため、また嘘を言う。
「ウソの上塗り」。よく言われてきた言葉だ“。
桜を観る会には行った事がある。
内閣総理大臣名の案内状を貰って。
いわゆる官邸記者会のキャップには送られていたもの。
“観桜会”(かつてはそう呼ばれていた)はきらびやかな風情も無く、人もまばらで、テントに設えられたテーブルの飲食物も簡素なものだった。
写真を撮る人もいた。
しかし、今のスマホブームとは大違い。
スマホとはまことに“不行儀”な文明の“利器”だ。
新宿御苑は子供の頃の遊び場だった。たしか20円くらいの入苑料を払い、新宿高校の側から入り、遊びまわって、四谷側の大木戸門から出る。
常に閑散としたところだった。
桜については複雑な心境がある。「3・11」以来だ。
あの年も桜は見事に咲いた。被災者と接しながら「それでも春は恨まない」と納得させていた。
梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には」という短編がある。その中にある一節「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる」という一行が頭に残っていた。記憶が呼び起こされた。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」も3・11時に思い出された小説。山賊が、夜道の峠で、“鬼女”と出会う。妖艶でありながら残酷な女との物語。
誰を何に喩えたかと言うことでは無いけれど。
今回の疑惑の一つの前夜祭の会場、ホテルニューオータニ。
「角福戦争」時、ニューオータニは田中派の“本陣”だった。
連日、そのホテルに通っていた。
安倍の源流「清話会」、つまり福田派。その“本陣”は赤坂プリンスホテルだった。
どっちのホテルに行くにも弁慶橋を渡った。橋の近くは昔、貸しボートがあった。その濠にも桜が咲き誇っていた。
時代はめぐる・・・。
ニューオータニが安倍の後援会の定宿になったとは・・・。
そう、赤プリは無くなったと聞く。解体されたと。
ホテルで行われる政治資金パーティー。事前の振込が原則。おひとり様2万か3万円。手渡しの現金制度は無い。
安倍のパーティー。5千円。会費は会場で安倍事務所の職員が現金を受け取り、まとめてホテル側に払ったという。領収書は渡されてるのかどうか。
パーティーに関るすべての書類は無いと安倍は言う。
菅に至っては「遅滞なく、内閣府で破棄しました」とほざく。
日本語の使い方を間違っているし、必要とされている政治を遅滞なく行う、という使い方だ。
言葉の“誤用”がこの問題の全てを物語っているのかもしれない。
会費5千円の前夜祭。立食と言えどもあり得ない。ホテルにはそれなりの「格」がある。立食といえども5千円の会費だと言うにはニューオータニの「格」が下がる。
「現金貰い、ホテル発行の領収書を手渡した」。一人一人から現金貰い領収書を手渡す。その所要時間は?
子供に計算してもらえばいい。受付で1時間以上はかかるはず。
これはカネにまつわることのおかしさの一例。
桜を観る会は、総理大臣名のいわば公文書的招待状で成り立つ。
安倍事務所のツアー参加呼びかけ文書そのものが“インチキ”だ。
私文書に過ぎない。
安倍は連日の様に官邸内で「総理番」記者との立ち話で釈明に躍起だ。
立ち話を「ぶら下がり」と全メディアが呼ぶ。誰が何にぶら下がるの?
あれはかつてのテレビ、ラジオのいわば「業界用語」。一本のマイクコードから、記者たちの後ろに設置したカメラに音声を分岐することから付けた“造語”。
新聞はぶら下がりと言う言葉を使うのを止めなさい。
その立ち話しでも安倍は開き直る。
“いわばですね”“いってみれば”“ようするに”。しどろもどろの接続語。
紙を読んでしかしゃべれない奴が、即座に反応しようとするとしどろもどろの意味不明言語となる。
“うそ”をついている証拠。
そして開き直る。喧嘩腰で。これ以上なんかあるかと。
総理番は政治記者に成り立ての若者。二の矢、三の矢を放つ力量は無い。
でも、食らいつくべきだ。
マスコミが世論から非難されないためにも。
国会の議席からの醜い野次。どうもお育ちと関係してようだ。
安倍の所業で日本は醜い。異形の国になって来た。
芸能人よ、納得の上の参加ならともかく「偉い人」に「ぶら下がる」のは辞めろよ。
もっとも、芸能人、タレントの類は「昭恵夫人」のお気に入りだから。
おお、夫婦善哉か。
各界の功労者や業績のあった人が招待の対象と言うのなら、あの「ボラ爺」こと、尾畠春夫さんでも招待して見ろや。
ま、見事に断られるだろうけど。
もう安倍の話しはきょうはこれで終わります。
中味は周知のような事だ。
“一度嘘をつくとそれをごまかすため、また嘘を言う。
「ウソの上塗り」。よく言われてきた言葉だ“。
桜を観る会には行った事がある。
内閣総理大臣名の案内状を貰って。
いわゆる官邸記者会のキャップには送られていたもの。
“観桜会”(かつてはそう呼ばれていた)はきらびやかな風情も無く、人もまばらで、テントに設えられたテーブルの飲食物も簡素なものだった。
写真を撮る人もいた。
しかし、今のスマホブームとは大違い。
スマホとはまことに“不行儀”な文明の“利器”だ。
新宿御苑は子供の頃の遊び場だった。たしか20円くらいの入苑料を払い、新宿高校の側から入り、遊びまわって、四谷側の大木戸門から出る。
常に閑散としたところだった。
桜については複雑な心境がある。「3・11」以来だ。
あの年も桜は見事に咲いた。被災者と接しながら「それでも春は恨まない」と納得させていた。
梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には」という短編がある。その中にある一節「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる」という一行が頭に残っていた。記憶が呼び起こされた。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」も3・11時に思い出された小説。山賊が、夜道の峠で、“鬼女”と出会う。妖艶でありながら残酷な女との物語。
誰を何に喩えたかと言うことでは無いけれど。
今回の疑惑の一つの前夜祭の会場、ホテルニューオータニ。
「角福戦争」時、ニューオータニは田中派の“本陣”だった。
連日、そのホテルに通っていた。
安倍の源流「清話会」、つまり福田派。その“本陣”は赤坂プリンスホテルだった。
どっちのホテルに行くにも弁慶橋を渡った。橋の近くは昔、貸しボートがあった。その濠にも桜が咲き誇っていた。
時代はめぐる・・・。
ニューオータニが安倍の後援会の定宿になったとは・・・。
そう、赤プリは無くなったと聞く。解体されたと。
ホテルで行われる政治資金パーティー。事前の振込が原則。おひとり様2万か3万円。手渡しの現金制度は無い。
安倍のパーティー。5千円。会費は会場で安倍事務所の職員が現金を受け取り、まとめてホテル側に払ったという。領収書は渡されてるのかどうか。
パーティーに関るすべての書類は無いと安倍は言う。
菅に至っては「遅滞なく、内閣府で破棄しました」とほざく。
日本語の使い方を間違っているし、必要とされている政治を遅滞なく行う、という使い方だ。
言葉の“誤用”がこの問題の全てを物語っているのかもしれない。
会費5千円の前夜祭。立食と言えどもあり得ない。ホテルにはそれなりの「格」がある。立食といえども5千円の会費だと言うにはニューオータニの「格」が下がる。
「現金貰い、ホテル発行の領収書を手渡した」。一人一人から現金貰い領収書を手渡す。その所要時間は?
子供に計算してもらえばいい。受付で1時間以上はかかるはず。
これはカネにまつわることのおかしさの一例。
桜を観る会は、総理大臣名のいわば公文書的招待状で成り立つ。
安倍事務所のツアー参加呼びかけ文書そのものが“インチキ”だ。
私文書に過ぎない。
安倍は連日の様に官邸内で「総理番」記者との立ち話で釈明に躍起だ。
立ち話を「ぶら下がり」と全メディアが呼ぶ。誰が何にぶら下がるの?
あれはかつてのテレビ、ラジオのいわば「業界用語」。一本のマイクコードから、記者たちの後ろに設置したカメラに音声を分岐することから付けた“造語”。
新聞はぶら下がりと言う言葉を使うのを止めなさい。
その立ち話しでも安倍は開き直る。
“いわばですね”“いってみれば”“ようするに”。しどろもどろの接続語。
紙を読んでしかしゃべれない奴が、即座に反応しようとするとしどろもどろの意味不明言語となる。
“うそ”をついている証拠。
そして開き直る。喧嘩腰で。これ以上なんかあるかと。
総理番は政治記者に成り立ての若者。二の矢、三の矢を放つ力量は無い。
でも、食らいつくべきだ。
マスコミが世論から非難されないためにも。
国会の議席からの醜い野次。どうもお育ちと関係してようだ。
安倍の所業で日本は醜い。異形の国になって来た。
芸能人よ、納得の上の参加ならともかく「偉い人」に「ぶら下がる」のは辞めろよ。
もっとも、芸能人、タレントの類は「昭恵夫人」のお気に入りだから。
おお、夫婦善哉か。
各界の功労者や業績のあった人が招待の対象と言うのなら、あの「ボラ爺」こと、尾畠春夫さんでも招待して見ろや。
ま、見事に断られるだろうけど。
もう安倍の話しはきょうはこれで終わります。
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