2017年3月12日日曜日

そして7年目に・・・

早朝の地震は嫌な感覚でした。さっきもありました。
6年前の3月11日、地震と共にいきなり空が雲に覆われ、雪が舞い、3月とは思えない寒さでした。
そして夜中、どうにか片づけた部屋で、度々の余震に飛び起きながらの仮眠でした。
翌12日の天気は良く覚えていません。何をしたかも記憶に無いのです。
今日のような春を思わせる陽気だったのか。

ようやく入手した小さなテレビで、三陸の大津波の惨状にただただ呆然と見入っていたような気がします。

「3・11」に節目なんてありません。単に月日の経過が6年から7年になっただけです。

「時代を追うこと、それは人間を追うことです」。

ウクライナのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシェービッチが自作「チェルノブイリの祈り」に書いている言葉です。その通りかもしれません。
被災者の声をひたすら聞き、それに注釈を加えることなく書き続けると言う彼女の文学手法。

被災地の被災した人たちにとって大方は節目の無い時代の流れなのかもしれません。そこで日々さまざまな出来事があったとしても。
時代を追うために人間を追うのか。人間を追うために時代を追うのか。
被災地の、被災した人の姿を追うことが事実としてこの時代を語るということになるのでしょう。

仮設問題はいまだ解決していません。3万人以上もの人が仮設に暮らしています。そこが人間同士が身を寄せ合い、語り合えるコミュニティーとなった仮設もあります。

何回も訪問しましたが、4畳半二間に家族が住む。衣料品だって最小限しか買えない。置くところがないのだから。
天気のいい日は表で勉強している子供もいる・・・。
敗戦後、しばらく復興住宅なるところの一間で暮らしていたものにとっては、それがどんな環境なのか実感としてわかるのです。

仮設で亡くなった人は1,700にものぼるということです。その死をどんな状況で迎えたのか。

入院していた最後の病室はホスピス病棟でした。病室の空きの関係もあったのでしょう。また、そこには神経科の医師もいます。疼痛緩和にはその病棟がよかったのかもしれません。

ホスピス病棟は病院の中でも別次元のような空気がんがれています。
静かで穏やかな空気。
看護師さん達も皆穏やかで丁寧なのです。

乱暴で粗野な言い方ですが、そこは病院の中にあって、病気を治すための病院にあって、“死”に一番近い場所です。多くの方がそこで終焉の時を迎えるのでしょう。
大きな病院で、痛みを緩和するための措置としてモルヒネを投与されながら意識が混濁したまま癌で亡くなっていった友人の姿を思い浮かべます。

痛みが緩和すれば退院できる患者としての自分は、その病棟にあってはまさに「異質の存在」であったと思います。
その病室の中で、薬のせいがあるのかもしれませんが、うとうととしながらどうしても、それは痛みと言う苦痛のせいかもしれませんが、それと闘う気力よりも自分の死と言うことを毎晩のように考えていました。

といってもそれはどんな死に方をするかと言うよりも、葬儀の段取りとかその運営とかきわめて事務的なことであり、しかし、それらで家内に未経験の負担を与えるよりは自分で取り仕切っておこうというおかしな話なのです。

仮設で死ぬと言うこと。そこは病院では無く、「今」の家なのですが、不慮の事故は別にして、孤独死は勿論のこと、「終焉」をどうするか、ある意味身勝手な想像なのです。

子供の頃からも人は死について考えます。大人になって他者の死にかかわると、また、その時の自分の年齢にみあったような考え方をします。
高齢になって入院すれば、それはそれで、また違った考え方をするものです。

それは身内を亡くした被災者の方にとってもそれぞれの捉え方、考え方があうでしょう。

病院の中で考える死。死を考えたということ。それも一つの勉強でした。

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